195 これ以上邪魔出来ない様に、兄さんの動きを止めて! なるべく傷付けない様にね!
鉄梃と包丁、どちらへの対処を優先するか、慧夢は迷う。
(どっちだ?)
だが、その迷いは、すぐに消える。包丁を手にした割烹着姿の中年女が、背中から鮮血を噴出しながら崩れ落ちた姿が、慧夢の視界に映ったからである。
崩れ落ちた割烹着姿の中年女の背後には、日本刀を振り下ろした姿勢の、返り血に全身を赤く染めた陽志がいた。
戦いの場となっている庭の持ち主である、吉村家の爺が手にしていた日本刀を拾った陽志が、慧夢の元に駆け付け、割烹着姿の中年女に斬りかかったのだ。
陽志の救援のお陰で迷いが消えた慧夢は、鉄梃を振り上げている作業着姿の中年男への対処に専念。高枝切りバサミを両手持ちして、振り下ろされた鉄梃を受け止める。
鈍い金属音が響き、衝撃が慧夢の両手に伝わって来る。
まだ僅かに右肩への痛みを覚えるが、そんな事を気にしている場合ではない事態が発生。
「お、折れたッ!」
特殊警棒とは比較にならない、鉄梃の重い一撃を受け止めた高枝切りバサミが、への字を逆さまにした感じに、折れ曲がってしまったのだ。
これまで散々、様々な武器による攻撃を受け続けた負荷が溜まり、鉄梃の一撃で限界を迎えたという感じである。
折れた高枝切りバサミでは、まともな攻撃は難しい。
鉄梃で殴りかかって来る作業服姿の男に対し、慧夢は折れ曲がった高枝切りバサミで攻撃を受け止めるだけの、防戦一方の展開となる。
(くそっ! さっさと元に戻らないかな? ま……そりゃ無理か)
折られた高枝切りバサミが、再生して修復されると有難いのだが、それは無理だろうと慧夢は思っていた。
何故なら、切り落とされた先端部分ですら、再生修復される気配が無いからだ。
高枝切りバサミは、志月の夢世界に存在した物であり、慧夢が持ち込んだ物ではない。
破壊された物の再生順序を、志月が自由にコントロール出来ている訳ではないのだが、志月の感情の影響を受けるのは避け難い。
敵対する慧夢が武器として手にした時点で、高枝切りバサミの再生修復は、後回しにされてしまった可能性は高い。
使用している姿を志月に見られ、認識されてしまえば、後回しにされる可能性は、更に高まるだろう。
その事を、斬り落とされた高枝切りバサミの先端が、中々修復されない事から、慧夢は認識していた。
故に、折られて攻撃能力を失った高枝切りバサミが、すぐには元に戻らないだろうと、推測したのである。
「夢占君!」
陽志に名を呼ばれた慧夢は、鉄梃による攻撃を防ぎながら、声が聞こえた方に目をやる。
すると、高枝切りバサミを放り投げる陽志の姿が、慧夢の目に映る。
慧夢の高枝切りバサミが折れたのを目にした陽志は、慧夢が倒した初老の男が持っていた、高枝切りバサミに目を付けて拾い上げ、鋏の部分を素早く日本刀で斬り落として竹槍状にしてから、慧夢に投げて渡したのだ。
わざわざ先端を斬り落としたのは、その方が突きをメインに戦う慧夢には使い易いだろうと、陽志が判断したから(鋏よりも竹槍状の方が、突き刺し易い)。
先端を斬り落とされた状態の高枝切りバサミを、慧夢が見事に使い続けていたのを、陽志は目にしていたので、そう判断したのである。
折れた高枝切りバサミを左手だけで持ち、何とか鉄梃の攻撃を受けながら、慧夢は右手を伸ばして、飛んで来た高枝切りバサミを受け取る。
「サンクス! 助かった!」
焦りよりも、喜びの色が濃くなった表情で、慧夢は陽志に礼を言うと、折れた高枝切りバサミを、多少の名残惜しさを覚えつつ放棄。
慧夢は一歩後退した上で、新たなる高枝切りバサミを持つ右手を前に出し、アロンジェブラの姿勢を取ると、そのまま右足で一歩前進し、作業服姿の男の喉に向けて突きを放つ。
攻撃一辺倒となっていた作業服姿の男は、防御と回避を怠っていた為、あっさりと高枝切りバサミの突きを食らう。
急所である喉に突きを食らった作業服姿の男は、鮮血を噴出しながら、その場に崩れ落ちる。
顔にかかった生温かい返り血を、左手の甲で拭いながら、当座の危機を何とか乗り越えた慧夢は、安堵の表情を浮かべる。
「――邪魔しないでよ、兄さん!」
志月は声を張り上げ、慧夢のピンチを救った陽志に文句を言う。
「邪魔しない訳が無いだろう! 邪魔しなければ、お前も夢占君も死んじまうんだから!」
当たり前だと言わんばかりの口調で、陽志は志月に言い返す。
「だったら、兄さんの動き……止めさせて貰うよ!」
志月は良く通る凜とした声で、モブキャラクター達に指示を出す。
「これ以上邪魔出来ない様に、兄さんの動きを止めて! なるべく傷付けない様にね!」
門や玄関と庭を結ぶ通路にいた、十人のモブキャラクターの男女が、志月の指示を耳にするなり通路を出て、志月と慧夢達の間に割って入る。
慧夢が四人のモブキャラクター達と戦っていた間に、門から侵入した十人のモブキャラクター達が、通路に溜まっていたのである。
だが、志月が指示を出した相手は、この十人だけでは無かった事に、即座に慧夢は気付く。
志月の背後にある、屋根付きの白い壁の上に姿を現していた、モブキャラクター達の姿を目にして、慧夢は驚きの声を上げる。
「塀の……上にまで!」
二メートル程の高さがある塀を乗り越えて、庭の中に進入しようとしていたモブキャラクター達も、志月が指示を出した相手であった。
この時点では慧夢の視界には入っていないが、既に塀を乗り越えて庭に入り込んでいる、少数のモブキャラクター達も同様に。
屋敷の回りは、志月の指示で仲間を集めに行ったモブキャラクターが呼び寄せた、多数のモブキャラクター達により、取り囲まれていた。
門の場所に多数のモブキャラクターが殺到し、詰まって塞いでしまったせいで、集まった殆どのモブキャラクター達は門から入れなかった為、塀を乗り越えて侵入し始めていたのである。
危機が訪れようとしているのは、明らかな状況。
侵入に気付けていなかった慧夢は、口惜しげに言葉を吐き捨てる。
「――拙ったな。戦いに気を取られ過ぎて、周囲への注意を怠り過ぎてたか!」