189 今宵(こよい)の虎徹(こてつ)は……血に餓えておるわ!
素早いフットワークで縁側の前に移動すると、慧夢は棒に手を伸ばして拾い上げる。
長い金属棒だが、予想よりも相当に軽く、慧夢は意外さを感じる。
(軽いな! アルミの高枝切りバサミか!)
慧夢が拾った棒は、先端に小さな鋏がついている、アルミ製の高枝切りバサミだった。
屋敷の主人が、業者に頼む程ではない剪定をする為に、使っている物だ。
現実世界で、隣家の主人が庭木を高枝切りバサミで剪定しているのを、志月は何度か目にしていた。
その為、夢世界の隣家の庭にも、同じ高枝切りバサミが存在しているのである。
慧夢は軽く高枝切りバサミを振り回し、感じを確かめつつ、陽志の近くに戻る。
(伸縮式だが、伸ばすと強度が落ちそうだ。ただでさえアルミで強度は低そうだし、このまま伸ばさないで使うか……)
復活を終えたモブキャラクター達は、バットやゴルフクラブなどの武器を手にして、今にも慧夢に襲い掛からんと身構える。
鼠色のスーツ姿の中年男性や、カジュアルな服装の若い男女、作務衣姿の爺にジャージ姿の中年女性という、五人のモブキャラクター達だ。
爺に至っては、日本刀という物騒な武器を手にしていた。
「どこから持って来たんだ、日本刀なんざ? まぁ、刃のない模造刀だろうけど」
呆れ顔で、慧夢が口にした疑問に、陽志が答える。
「模造刀じゃなくて、本物だよ。吉村のお爺ちゃん、何年か前にオークションで、高い日本刀を競り落としたって自慢してたから、たぶんそれじゃないかな」
吉村とは、慧夢達がいる庭に住む家族の苗字である。
陽志が吉村のお爺ちゃんと呼んだのは、親しくしている隣家の家長の老人だった。
陽志の話の正しさを裏付ける様に、日本刀を八相で構えた爺が、時代劇の役者の様な口調で言い放つ。
「今宵の虎徹は……血に餓えておるわ!」
「――今宵って、もう朝だよ爺さん、惚けてんのか?」
突っ込む慧夢との間合いを詰めると、爺は袈裟懸けに斬りつけてくる。
日本刀の刃が煌き、身構えている慧夢に迫る。
慧夢は咄嗟に、高枝切りバサミの先端で、迫り来る刃を受け止める。
甲高い金属音が響き、高枝切りバサミの先端に日本刀の白刃が食い込む。
一刀両断にはされなかったので、刃による攻撃を慧夢は防げた。
だが、そのまま爺は日本刀を鋸の様に引いたので、その段階で高枝切りバサミは、先端部分を切落とされてしまう。
慧夢は切断され、鋏の部分を失ってしまった高枝切りバサミの先端部分を見ながら、驚きの声を上げる。
「マジもんの日本刀かよ!」
「虎徹っていう、新撰組の近藤局長が使ってた名刀と、同じ刀工の刀だそうだよ」
爺の日本刀についての説明を、陽志は補足する。
「吉村のお爺ちゃん、時代劇や時代小説好きで、新撰組ファンだから」
「――いや、爺の趣味に関する情報はいらないから! それよりも、あんたの妹にとって宝といえる程に大事な物を……夢の鍵かも知れない物を、さっさと思い付く限り教えてくれ!」
鋏を失った高枝切りバサミを、サーベル風に右手で持ち、オンガルドの構えを取りつつ、慧夢は焦り気味の口調で言葉を続ける。
「夢の鍵を破壊しないと、あんたの妹は……あの世逝きなんだからな!」
「分かった! えーっと……」
陽志は志月が宝の様に大事にしている物を、頭の中に思い浮かべ始める。
「頼んだぜ! あんなブラコン女と一緒に、あの世逝きなんてのは、俺だって御免なんだからさ!」
慧夢の言葉を聞いて、陽志だけでなく、志月も不思議そうな表情を浮かべる。
二人には、「あんなブラコン女と一緒に、あの世逝き」という部分の意味が、良く分からなかったのだ。
陽志は慧夢に、問いかける。
「――君が志月と一緒に、あの世逝きって……それ、どういう事だい?」
「どういう事って……言葉通りの意味だけど」
少し切断されたとはいえ、リーチの長い武器として使える高枝切りバサミの先端を、爺や他のモブキャラクターに向けて牽制しつつ、慧夢は説明する。
「チルドニュクスを飲んだ奴の夢は、十五日が過ぎると終りを迎え、夢を見ていた奴は死んで、霊魂はあの世に送られるんだが、その時に夢世界の中に、あんたみたいな死霊や、俺みたいな幽体がいたら、一緒にあの世に送られちまうんだ」
慧夢は早口で、説明を補足する。
「あの世に幽体が送られたら、まだ生きてる俺の身体の方も、死んじまうんだよ!」
「いや、既に死んでいる俺はともかく、君は十五日が過ぎる前に、夢の中から逃げ出せば、あの世に逝かずに済むだろう?」
陽志の問いに、慧夢は首を横に振る。
「詳しい説明は省くが、俺は夢の中には入れるけど、夢を見てる奴が目覚めないと、外には出れないんだ! だから、夢の鍵を破壊しないと、あんたの妹やあんたと一緒に、俺もあの世逝きになる訳!」
慧夢の言葉を聞いて、陽志だけでなく志月も、驚きの表情を浮かべる。
慧夢が死ぬかもしれないリスクを背負って、この夢の中に来ている事を、二人は今になって初めて知ったのだ。
知った結果、籠宮兄妹の頭に、同じ疑問が浮かぶ。