182 近くにいる者は、しがみついて止めて! 車が来るまで、何とか抑えなさい!
モブキャラクターが数十人、ひしめき合って人の壁を作り出す光景が、慧夢の目に映る。
だが、慧夢は構わずにアクセルを踏み込んで、雪を撥ね退けるラッセル車の様に、モブキャラクター達をハンヴィーで撥ねまくる。
その際、轢かれた太った男が、断末魔の叫び声を上げた直後、口から吐き出した大量の鮮血が、ハンヴィーに浴びせかけられる。
ハンヴィーのボンネットだけでなく、フロントガラスが血に染まる。
「血ィ出過ぎだろ!」
慧夢は忌々しげに、愚痴を吐く。
最初の頃にフロントガラスを汚した血が、ようやく消え始めたのだが(その血の持ち主であるモブキャラクターが、時間経過により修復された為)、これまで以上にフロントガラスは血に塗れてしまい、前方が半分近く、見えなくなってしまった。
「あと少しで、籠宮ン家に着く筈だ! これだけ見えれば大丈夫!」
自分に言い聞かせながら、慧夢はハンヴィーを走らせる。
慧夢の言葉通り、既にハンヴィーは籠宮家から五十メートルくらい離れた辺りまで、近付いていた。
そんなハンヴィーの姿を、籠宮家の屋根の上から見下ろしていた者も、程無くハンヴィーが籠宮家に辿り着くと、認識していた。
「――あと少しで……辿り着くな」
屋根の上で呟いたのは、青いTシャツにデニムのハーフパンツ姿の陽志。
外の騒がしい音を耳にして、慧夢による最後の突撃が始まったのを察し、陽志は屋根の上によじ登って、北側住宅街の様子を見下ろしていたのだ。
陽志の左隣には、白いTシャツにジーンズという出で立ちの志月。
こちらも慧夢の突撃を察し、北側住宅街を見下ろし易い屋根に上ったのだが、志月の場合は見ているだけではなく、モブキャラクター達に大声で指示を出し続けていた。
大型自動車による入り口の封鎖や、自動車による道路封鎖。
更に慧夢のルート変更に合わせた、自動車の封鎖位置の移動、モブキャラクターの群の移動など、これまで以上に積極的に、志月は慧夢の突撃を止める為に行動した。
だが、明らかに志月側の旗色は悪く、ハンヴィーは既に籠宮家の屋敷の近くまで、辿り着いていた。
志月は屋敷の近くを念入りに、自動車で封鎖していたのだが、それは逆に自動車のスムーズな配置換えが、やり難い状況を作り出してしまった。
封鎖箇所だらけの道路は、自動車を回り込ませ難く、好き勝手に塀を壊し、庭を通り抜けるハンヴィーの行く手を、自動車の配置換えで遮り難かったのだ。
「そこの三台! 吉川さん家の庭の手前にある道に並んで、出られない様にして!」
声を張り上げてモブキャラクター達に指示を出し、志月はハンヴィーが通ると思われるルートを塞ごうとする。
だが、封鎖箇所が多いせいで、自動車は上手く移動出来ない上、肝心のハンヴィーは、志月の指示を見透かしたかの様に、吉川家の屋敷の庭を通らずに、別の屋敷……土御門家の屋敷の塀を破り、庭を走り始めてしまう。
「吉川さん家は止め! 土御門さん家の庭の手前を封鎖して!」
志月は慌てて指示を変更するが、手遅れだ。
ハンヴィーは土御門家の庭を突破、道が封鎖される前に、今度は道路を少しだけ左折して走ってから、また凄まじい破砕音を響かせながら、別の屋敷の塀を破って庭に突入。
確実に、ハンヴィーは籠宮家に近付き続け、程無く……辿り着く状況。
「諦めなよ、もう止められないのは分かっているだろう? 夢の中では、彼の方が上手だ」
「近くにいる者は、しがみついて止めて! 車が来るまで、何とか抑えなさい!」
陽志は諭すが、志月は聞く耳を持たず、モブキャラクター達に大声で指示を出し続ける。
だが、屋敷の庭と道を上手く繋いで、蛇行して来るハンヴィー相手に、志月が動かす自動車による封鎖は後手に回り、モブキャラクター達は踏み潰され続ける。
籠宮家の屋敷の庭がある方向の、二十メートル程先を見下ろしつつ、志月は焦りと口惜しさの入り混じった表情を浮かべる。
喧しいエンジン音と、塀を破壊する派手な音を立てながら、既にハンヴィーは籠宮家の隣家の庭に、突入しようとしていた。
庭の中では、多数のモブキャラクター達が、待ち構えている。
庭を通路にする慧夢に対抗する為、志月は予め近所の庭の中には、多数のモブキャラクターを配置していた。
追い込まれた原因の一つであるハンヴィーを睨み付けながら、志月は忌々しげに言葉を吐き捨てる。
「叔母さんが、あんな無茶苦茶な車なんて買うから……」
志月の目線の先にあるハンヴィーは、モブキャラクターの血で、車体の半分程が赤く染まり、フロントのあちこちがひしゃげていた。
繰り返された塀や自動車との衝突、モブキャラクター達の攻撃により、満身創痍と言えなくもない状態ではあるのだが、走れなくなる類のダメージは、まだ受けてはいない。
隣家の庭にハンヴィーが入った直後、助手席側の窓を守るスチール製の蓋に、学生服姿の少年のモブキャラクターがしがみつき、その少年に数人のモブキャラクターが、更にしがみつく。
数人分の重さと車体の揺れに耐え切れず、とうとう蓋が外れてしまう。
ようやく剥き出しとなったガラス窓に、鼠色のスーツを着た中年男が、手にしているゴルフクラブを勢い良く振り下ろす。
甲高い音を立てながら、窓ガラスが砕け散る。
「ひッ!」
ガラスの破片が助手席側から車内に飛び散り、慧夢に降り注ぐ。
咄嗟に目の辺りを右手で防ぎ、慧夢は目だけは守り通すが、手や頬の辺りに苦痛を覚える……ガラスの破片で切り、出血してしまったのだ。
しかも、僅かな間とはいえ、目を手で覆って視界を塞いだ際、運悪く大きな庭石にハンヴィーが衝突。
そこで止まりはしなかったが、向きが微妙に左にずれてしまい、ハンヴィーは屋敷に激突、白塗りの壁を破って突っ込んでしまう。