172 さすがはハンヴィー! こんな田んぼくらい、何ともないぜ!
「車か!」
明らかに、車同士が衝突した際の衝撃と金属音。
慧夢の頭の中に、ハンヴィー以外にも何台もの自動車が駐車していた、籠宮総合病院の駐車場の光景が甦る。
「モブキャラクター連中、駐車場にあった車で、追って来やがったんだ!」
慧夢が察した通り、駐車場に駐車していた自動車による追撃の体当たりを、ハンヴィーは受けたのだ。
ハンヴィーが病院の敷地内から出た場合の追撃に備え、他のモブキャラクター達がハンヴィーに武器で殴りかかっている時、駐車場に駐車していた自動車に乗り込んでいたモブキャラクターが、実は何人もいたのだった。
その中の一人が乗り込んだ、脚の速い黒い国産のスポーツカーが、真っ先にハンヴィーに追い着いた。
そして、現実世界なら数百万はする、お高いスポーツカーの車体が破損する事など気にもせず、ハンヴィーに体当たりをかましたのである。
しかも、攻撃は体当たりだけでは、済まなかった。
ハンヴィーの後ろのドアが、爆竹の様な音を立て始めたのだ。
明らかに何者かにより、窓が殴りつけられている音が、ハンヴィーの車内に響き渡る。
「何だ? どうなってんだよ?」
慧夢はドアを開けて身を乗り出し、走りながらも器用に後方の様子を確認。
すると、慧夢の目に、ハンヴィーの荷台でゴルフクラブを振り上げている、白衣姿の男性看護士の姿が映る。
ハンヴィーの荷台に乗り込んだモブキャラクターの看護士が、ゴルフクラブで窓ガラスを叩き割るべく、連打しているのだ。
そのハンヴィーの荷台の近く走っている、助手席側のドアを開け放った黒いスポーツカーの姿も、慧夢の目は捉えた。
「――あの黒い車から、荷台に乗り移りやがったのか!」
慧夢が察した通り、黒いスポーツカーは体当たりした後、助手席に乗せていた看護士を、荷台に乗り込ませる方法に、作戦を切り替えたのだ。
ハンヴィーは頑丈で車体も重く、体当たりしても大した効果が無かったので、黒いスポーツカーは作戦を切り替えたのである。
ゴルフクラブに連打された結果、後ろの窓は割れ始め、ガラスの破片を車内に飛び散らせつつある。
このままではハンヴィーは車内に、モブキャラクターの侵入を許す羽目になる。
「さっさと振り落とさないとヤバイな、こうなったらゲームのアレでも試してみるか……」
後ろの様子を見終えた慧夢は、ドアを閉めながら呟く。
そして、幹線道路であるが故の、広い道路幅を確認した上で、慧夢はハンドルを右側に切る。
急にハンドルを切ったので、ハンヴィーは向きを変えつつ、車体の後部が滑る……いわゆるテールスライド状態となる。
後輪がアスファルトと擦れて発生する、甲高いスキール音を聞き取った慧夢は、即座にハンドルを逆に切り返す。
すると、後輪が滑ったままの状態で、ハンヴィーは再び向きを左側に変える。
二車線程度の範囲で蛇行しつつ、後輪を滑らせて車体を左右に振る、いわゆる直線ドリフト状態になったのだ。
激しく左右に振れるハンヴィーの荷台の上で、ゴルフクラブを手に立っていた看護士は、踏ん張り切れもせず、手で何処かにつかまる事すら出来ず、吹っ飛ばされて荷台から落下。
手脚が変な方向に曲がる形で、アスファルトに叩きつけられた後、追跡して来た車の一台に轢かれて、グチャグチャになってしまう。
ドライブシミュレーション系のゲームで、慧夢は直線ドリフトのやり方を知り、夢世界の中でも遊びで試した経験があった。
故に、荷台に乗っているモブキャラクターを振り落とす為に、慧夢は直線ドリフトを利用しようと考えたのである。
五度程車体を振った後、慧夢は直線ドリフトを止めて、通常走行に切り替える。
慧夢はドアを開けて、後ろの荷台に誰もいないのを確認。
「無賃乗車はお断り……ってね」
荷台から落ちたモブキャラクターを、タクシーの無賃乗車客に擬えた冗談を口にしつつ、慧夢は荷台以外の後方を確認。
黒いスポーツカーだけでなく、数十メートル遅れて数台の自動車が、ハンヴィーを追跡して来ている状況を視認してから、慧夢は後ろを見るのを止めてドアを閉める。
「凍り付いた領域まで、あと少し……追い着かれる訳にはいかないっつーの!」
慧夢はアクセルを限界まで踏み込んで、ハンヴィーを加速させる。
だが、スピードではスポーツカーには勝てず、追撃を振り払う事は出来ない。
「だったら!」
ガードレールの切れ目を見付けると、慧夢はハンドルを左に切る。
ハンヴィーは幹線道路を飛び出して、道路脇に広がる田んぼに、泥水を激しく撥ね上げつつ飛び込む。
夕暮れのせいで茶色く見える稲穂が風に靡き、水面の如く波打つ田んぼを、ハンヴィーは稲穂を踏み潰しながら走り始める。
泥水と稲穂にタイヤを取られ、ある程度は減速してしまうが、オフロードには強過ぎるハンヴィーの脚は止まらない。
「さすがはハンヴィー! こんな田んぼくらい、何ともないぜ!」
田んぼを余裕で進むハンヴィーの運転席で、慧夢は喜びの声を上げる。
自転車で畑道や畦道を通って、自動車の追跡を振り切った時と同様、今回も慧夢は田んぼを利用して、追跡を振り切るつもりなのだ。
「また田んぼに頼る羽目になるとは……」
自転車の時と同様、追跡を振り切れたと思った慧夢は、ドアを開いて身を乗り出し、後方の様子を確認する。
荷台に通じる窓の一部は割られているが、後方の様子を確認出来る程の穴は開いてはいないので。
だが、後方の様子を目にした慧夢は、驚き……焦りの表情を浮かべる。
体当たりして来た黒いスポーツカーや、他の二台の自動車は、慧夢の狙い通りに田んぼに突っ込んで、動けなくなっていたのだが、一台の自動車だけは違っていた。
目に眩しいメタリックブルーのオフロードカーが、ハンヴィーを追跡して来ていたのだ。
ハンヴィーよりは小型の国産車であるが、田んぼを突き進める程度の踏破性はあり、ハンヴィーの追跡を続けていたのである。
「オフロードカーもいたのかよッ! しかも、人まで積んでいやがるしッ!」
追跡してきたオフロードカーはピックアップトラック型。
棒状の武器を手にした、看護士のモブキャラクターが何人か、荷台に乗り込んでいるのを、慧夢の視界は捉えたのだ。
「――いや、でもハンヴィーより遅い! これなら振り切れる!」
追跡して来るオフロードカーとの距離が、次第に開き始めている事に、慧夢は気付く。
同じオフロードカーでも踏破性に大きな差があり、追跡して来るオフロードカーは、田んぼの中を走るスピードが、ハンヴィーより明らかに遅いのである。
後方の確認を終えた慧夢は、ドアを閉めて前方の様子を確認。
水面の様に稲穂が波打つ田んぼの光景が、フロントガラス越しに慧夢の目に映る。
殆どの田んぼは波打っているが、遠くの方は波打っていない。
風を遮る建物など無い広い田んぼなのに、遠くの方は稲穂が風に靡かず、波打っていないのだ。
その波打たぬ田んぼの光景を見て、慧夢は安堵する。
「あの辺りから、凍り付いてるみたいだな……」
稲穂が波打たぬのは、その辺りが凍り付いているから。
凍り付いた領域の手前まで、既に自分が辿り着いているのを察し、慧夢は安堵の表情を浮かべたのである。
追跡して来るのは、田んぼではハンヴィーよりも遅いオフロードカー一台のみ。
追い着かれる可能性は無いと言っていい状態で、既にハンヴィーは凍り付いた領域に辿り着こうとしているのだから、慧夢が安堵するのも当然だ。
そのまま慧夢はハンヴィーを走らせ続け、程無く凍り付いた領域に辿り着く。
カーチェイスは、決したのである。
凍り付いた領域に入った慧夢は、ハンヴィーを田んぼから出して道路に出る。
そして、夕暮れから夜に移り行く、薄暗い川神市の街並の中を、慧夢はハンヴィーを走らせ続ける……アジトとしている雑居ビルに向かって。
× × ×