170 本物じゃない本物じゃない! 気にしない気にしない! どうせゾンビ並みに復活するんだから、気にしない!
「病院の敷地内に、目付きの悪い少年の暴漢が侵入し、女性医師が襲われました! 暴漢は駐車場に向ったと思われます! 病院の敷地内に、目付きの悪い少年の暴漢が侵入し、女性医師が襲われました! 暴漢は駐車場に向ったと思われます!」
甲高い女性の声で、病院の敷地内に院内放送が流れた。
(暴漢って……俺だよな?)
慧夢は自問するが、「目付きの悪い少年」という辺りからも、答がイエスであるのは、慧夢自身にも分かり切っていた。
(せめて窃盗犯って呼んでくれよ! 女性医師を襲った暴漢とか言われると、まるで俺……性犯罪者じゃんか! いや、確かに……少し触ったけどさ! わざとじゃないから!)
誰にという訳でもなく、心の中で言い訳を吐き出しながら、慧夢は二本目のキーを鍵穴に挿し込む。
だが、これも途中までしか入らない。
(これも、違うのか!)
焦り始める慧夢を、更に焦らせる声が、表玄関の方から響いて来る。
「いたぞ! あいつだ!」
「先生の車の近くにいる! 盗んで逃げる気だぞ!」
「婦女暴行魔だ! 捕まえろ!」
表玄関から、病院のスタッフらしい白衣姿の男達が何人も姿を現し、慧夢を指差して声を上げ始めたのだ。
声を上げるだけでなく、ゴルフクラブや点滴棒の部品である、アルミの棒などの武器を手にして、慧夢を目指して走って来たのである。
「やばい! こっち来やがった!」
慧夢は焦りで声を上擦らせつつ、三本目のキーを手に取り、鍵穴に挿し込もうとする。
焦りのせいで、二度程鍵穴の周囲を突っついてしまうが、何とか鍵穴にキーを挿し込むのに、慧夢は成功する。
「入った!」
鍵穴にキーが収まったのに喜んでいる暇など無い、すぐに慧夢は手首を捻ってキーを回す。
入るだけでなく、ちゃんと鍵が開く様に祈りながら。
心地良い金属音と共に、鍵が解除される感触を右手に覚え、慧夢は歓喜する。
「よっしゃ!」
すぐさまキーを鍵穴から引き抜きつつ、慧夢はドアの取っ手に手をかけ、重量感のあるドアを引いて開ける。
見覚えのある無骨な運転席に乗り込むと、ドアを閉めて鍵をロック。
慧夢はブレーキペダルを踏みながら、慣れぬ左ハンドルであるが故に、微妙に確認し辛い、チェンジレバーのシフトを確認。
その上でキーをキーシリンダーに挿し込み、慧夢は捻る。
ところが、何が拙いのか分からないのだが、腑抜けた音を立てるだけで、エンジンがまともにかからない。
「何だよ? 何か間違ってるか?」
窓から左側に目をやり、武器を手に迫り来る看護士達の様子を確認しつつ、慧夢は焦りながらも、キーを何度も捻る。
すると、四度目に捻った時に、ハンヴィーのディーゼルエンジンが唸りを上げ始め、車体が振動し始める。
「かかった!」
慧夢が喜びの声を上げた直後、爆竹が弾けた様な音が、左側から響いて来る。
慧夢が左側に目をやると、窓ガラスに雲の巣の様な皹が入っていた。
ハンヴィーに辿り着いた看護士が、手にしていたアルミ製の棒で、ハンヴィーの運転席側の窓を殴りつけたのだ。
軍用車両なので窓ガラスが強固であり、打撃力が強いとは言い辛いアルミ棒の一撃では、皹が入るだけで割れなかったのである。
看護士がいるのは、左側の窓ガラスの方だけではない。
正面側にも一人、こちらはゴルフクラブを手にした看護士がいて、ボンネットに上ろうとしている。
アルミ棒には耐え切れた窓ガラスも、ゴルフクラブのフルスイングには耐え切れないかもしれないと、慧夢は焦る。
「冗談じゃねぇ! 割らせねーよ!」
慧夢は荒々しい声を上げながら、チェンジレバーを操作しドライブに入れつつ、アクセルを軽く踏み込み、ハンヴィーを僅かに前進させる。
ボンネットに上ろうとしていた看護士はバランスを失い、ハンヴィーの前に落下、前方に停車している白い乗用車とハンヴィーに挟まれ、悲鳴を上げながら潰される。
血飛沫が上がり、白い乗用車の車体とハンヴィーの先端部分を、血で赤く汚す。
「本物じゃない本物じゃない! 気にしない気にしない! どうせゾンビ並みに復活するんだから、気にしない!」
自分で人を轢き潰した光景を目にして、気色悪さと同時に、僅かな罪悪感を覚えた慧夢は、自分に言い聞かせる。
既に散々、モブキャラクターを轢き殺した経験があるので、罪悪感は最初の頃に比べて、相当に薄らいではいるのだが、ゼロでは無いのだ。
慧夢は即座にチェンジレバーをリバースに入れて、ハンヴィーを後退させ始める。
バックミラーには、棒状の武器を手にした看護士が二人、ハンヴィーに殴りかかろうと身構えている光景が、映し出されていた。
突如、バックして来たハンヴィーを、看護士の一人は避けるが、もう一人は避け損ねて転倒する。
ただ、最初に轢き潰された看護士とは違い、弾き飛ばされて転倒しただけで、すぐに立ち上がって、ハンヴィーに襲い掛かるべく身構える。