169 いや、あの……わざとじゃないから! 揺れて倒れこんだだけで、胸に顔を埋めて、感触を楽しもうとかした訳じゃ……ああッ!
慧夢は即座に上体を起し、言い訳を口にする。
「いや、あの……わざとじゃないから! 揺れて倒れこんだだけで、胸に顔を埋めて、感触を楽しもうとかした訳じゃ……ああッ!」
顔を真っ赤にしながらの慧夢の言い訳が、途中で途切れる。
志津子が再び身を捩ったせいで、また慧夢はバランスを失ってしまったのだ。
(今度は、倒れないッ!)
両手を突いて上体を支え、慧夢は前のめりに倒れるのを防ぐ。
お陰で慧夢は、今回は胸に顔を埋めずに済んだが、問題なのは手を突いた位置だった。
慧夢が両手を突いたのは、床ではなく志津子の身体……しかも両胸の上だったのだ。
両手で志津子の両胸を掴む形で、慧夢は上体を支える姿勢になってしまったのである。
(倒れずに済んでも、両胸を鷲掴みにしちゃ、意味無いじゃん!)
豊かな胸の柔らかい感触と体温を、掌と指先で覚えながら、顔を胸に埋めるのとは、また別の痴漢的な行為をしてしまった自分に、慧夢は心の中で突っ込みを入れる。
「今のも、わざとじゃないからッ!」
慌てて弁解を口にしつつ、慧夢は両手を志津子の胸から離す。
そして、良く無い事だとは思いながらも、つい掴んだばかりの志津子の豊かな胸の感触を、思春期の少年であるが故の好奇心から、思い出してしまう。
(柔らかかったなぁ……。右胸の方は、少し硬い部分があったけど……ん? 硬い?)
志津子の右胸を掴んだのは、慧夢の左手。
その左手は胸の柔らかさだけではなく、一部に硬さを感じ取っていたのだ。
(硬い物っていえば、キーは金属だから硬いよな。だとしたら……)
左手が覚えた硬い感触が、キーの感触なのではと考えた慧夢は、離したばかりの左手を、再び志津子の右胸に伸ばす。
遮ろうとする志津子の両手を、右手だけでいなしつつ、素早く手際良く、志津子の右の胸ポケットに左手を挿し込むと、慧夢は指先で中を探る。
(――! これか?)
凸凹した感触の金属らしき物の存在を、慧夢は指先で探り当てる。
胸に触れてしまっているからではなく、あくまでも狙いの物を見付けたかもしれない事を原因として、興奮気味の表情を浮かべながら、慧夢は金属らしき物を掴むと、胸ポケットから左手を引き抜く。
手元に戻した左手を開き、慧夢は金属らしき物の正体を確認。
サイズが微妙に違う、銀色のキーが三つ、まとめられているキーホルダーが、慧夢の目に映る。
「これだッ!」
どれがハンヴィーのキーだかは分からないが、どれかがハンヴィーのキーであるのは間違い無い筈だと考え、慧夢は嬉しそうな声を上げる。
慧夢は立ち上がると、キーホルダーをズボンの右前のポケットに突っ込み、出入口に向かうが、途中で立ち止まる。
(あ! 籠宮の叔母さんが、すぐには動けない様にしとかないと、他の部屋とかに駆け込まれて、騒ぎになったら面倒だな)
そんな考えが頭に浮かんだ慧夢は、志津子の方に引き返す。
そして志津子の太腿に、足先の方を向いて跨ると、リュックの中から取り出したベルトを使い、足首の辺りで両足を縛り上げる。
更に、志津子をベッドの方に引き摺って移動させ、重そうなベッドの脚と志津子の足首を、ベルトで結んでしまう。
無論、簡単に解けぬ様に、全て堅結びだ。
両手足を縛られ、更にベッドに縛り付けられた状態の志津子に、恨めしげな目で見上げられた慧夢は、かなりの罪悪感を覚えつつ、心の中で自分に言い聞かせる。
(これは本物じゃない、偽者のモブキャラクター! 俺が逃げ切るのに必要な時間を稼ぐには、必要な事なんだから、気にするな!)
志津子が簡単には、助けを呼びに行けない様にし終えた慧夢は、再び出入口の方に向う。
(今度、本物の籠宮の叔母さんに会う機会があったら、本人の方に何かお返しでもしておくか。前に胸触ったお詫びも兼ねて……)
夢世界のモブキャラクターの志津子相手に行った、かなり酷い行為に対する埋め合わせを、本物の志津子の方にしようと決意しながら、慧夢はドアを開けて廊下の様子を確認。
無人であったので、慧夢は廊下に出て階段に向い、速足で移動し始める。
階段に辿り着いた慧夢は、階段を下りて一階を目指す。
途中で一人だけ、男性の看護士に見付かりそうになり、慌てて元の階に戻り、近くにあったトイレに隠れた事があったが、他にはトラブルもなく一階に辿り着くと、理学療法室を目指して一階の廊下を歩き始める。
だが、途中で通用口を見付けた慧夢は、ある事に気付く。
(そうだ! 今は中にいるんで、大抵のドアや窓は解錠出来るから、通用口を解錠して、外に出られるじゃん!)
慧夢は廊下の物陰に身を隠しつつ、人影と人の気配が無いのを確認してから、通用口の前まで移動。
案の定、内側からだと解錠出来る通用口のドアを開け、籠宮総合病院の外……建物の右側に出る。
既に夕暮れ、空の半分は残照に染まっているが、半分は夜空に侵食されている。
病院に侵入した時に比べ、かなり薄暗くなっていても、空が反射した陽光に照らされ、赤味の増した光景の視界は、灯りが不要な程度には明るい。
人気が無かった事もあり、慧夢は即座に駐車場に向かって走り出す。
すぐに駐車場の手前に辿り着いた慧夢は、建物の陰に隠れたまま、表玄関や駐車場の様子を確認。
(誰もいない、チャンスだ!)
慧夢は建物の陰から出て、駐車場に足を踏み入れると、ハンヴィーを目指して移動。
左側にある運転席のドアの前で立ち止まると、ポケットからキーホルダーを取り出す。三つのキーの一つ目を、慧夢は鍵穴に挿そうとするが、そのキーは入らない。
(これじゃない! 次!)
二つ目のキーを慧夢が挿し込もうとした時、耳を劈く程のサイレン音が、籠宮総合病院の敷地内に響き渡る。
慧夢の耳に飛び込んで来たのは、近くにある建物の壁に設置されている、スピーカーからの音。
だが、山彦の様な反響具合から、病院の建物や裏口の方など、様々な箇所に設置されているスピーカーから、同時に音が流れているだろう事が、慧夢には察せられた。
(やばい、見付かったか?)
明らかに警告を発しているだろうサイレン音を耳にして、慧夢は自分の侵入が気付かれたのではないかと考える。
そして、その考えは当たっていた。