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16 いいや、あんな変態地獄としか思えない、超絶悪夢を見るのは、二度とお断りだ!

 喧しいベルの音が、朝の寝室に響き渡る。

 ベッドで仰向けに寝転がっていた、キャミソール風の黒いナイトウェア姿のエドナが、気だるげな動きで枕元に手を伸ばし、黒いシンプルなデジタルの目覚まし時計を掴み、スイッチを押す。


 ベルの音が止み、静けさを取り戻した寝室、エドナは大きく欠伸をしてから、瞼を少しだけ上げる。

 レースのカーテンが程良く殺いだ陽射なのだが、起きたばかりのエドナの目は、眩しげに半開きだ。


 時計に目をやると、午前六時……勤め人であるエドナが、毎朝起きる時刻。

 まだ眠たげではあるが、エドナの表情はすっきりとしていて、爽やかだ。

 上体を起こし、両手を上げて伸びをしてから、その爽やかな表情の理由を、エドナは呟く。


「――いい夢見たぁ……。こんな夢なら、毎日でも見たいよ」


「いいや、あんな変態地獄としか思えない、超絶悪夢を見るのは、二度とお断りだ!」


 エドナの右斜め上辺りを、生気を失った顔で漂っている慧夢が、憎々しげに言葉を吐き捨てた。

 浮いている事から分かる通り、慧夢は幽体であり、姿はエドナには見えないし、声もエドナには届かない。


 目覚まし時計のベルにより、エドナが目覚めて夢世界が崩壊した為、慧夢はエドナの夢世界から解放された。

 僅かな間……意識が途切れた後、意識を取り戻した慧夢は、エドナの言葉を聞いて、言い返したのだ。


 SMプレイの夢、しかも体液系中心のプレイから、そうでないプレイまで経験し続けると言う、マゾヒストでない慧夢にとっては、まさに地獄の様な悪夢の世界。

 その世界に一晩中居続けたせいで、精神的に大きなダメージを負った慧夢は、顔面蒼白で憔悴しきった表情を浮かべている。


 だが、そんな表情とは対照的に、慧夢の幽体は霊力を完全に回復していた。

 夢世界の内容がどうであり、慧夢が精神的なダメージを受けようが、他人の夢世界の中に入っている間に、自分の肉体を離れて、誰かの夢の中に入るまでに消耗した霊力は、回復するのだ。


「それにしても、今日の夢に出て来た、奴隷の男の子……良かったなぁ。やっぱり、あれくらい反抗的な目付きしてる奴隷の方が楽しいわ、最初から卑屈な奴隷よりも」


 見たばかりの楽しい夢を思い出しているのだろう、うっとりした表情で、エドナは呟き続ける。


「あんな目付きの男の子、現実に出会えないかな?」


 その呟きを聞いて、慧夢は背筋が寒くなる。


「出会ってたまるかッ!」


 幽体で近くに居続けるだけでも縁が深まり、現実に出会う確率が高くなるのを恐れて、慧夢は即座にエドナの寝室から去る事を決める。

 この夢で接点を持った相手とは、夢の中での出会いですら縁が深まるのか、現実世界で出会う確率が高まる現象についても、夢占秘伝は触れている。


 実は慧夢自身にも、この夢世界に入った相手と、現実世界でも関わる羽目になる経験を、過去に何度もしていた。

 故に、慧夢が抱いた恐れは、決して有り得ない事に対する恐れでは無いのだ。


 慧夢は一気に急上昇し、マンションの天井や屋根を通り抜けると、朝陽が眩しい空へと舞い上がる。

 綿飴の様な雲が、あちらこちらに散らばっている水色の空を、慧夢は自宅に向って飛び始めた。


 入り込む夢を探す必要は無いので、広範囲を見渡せる様に、ある程度の高さを飛ぶ必要は無い。

 まだ涼しい五月末の早朝の風に、エドナの夢世界の中で汚されまくった……様な気がする幽体を洗われながら、慧夢は自動車程のスピードで、空を飛び続ける。


 眼下を流れて行く街並の、あちこちに光の渦が見える。

 午前六時を数分過ぎた時刻、まだ夢世界の中にいる人々が、街には多いのだ。


(――いつか、この人達の夢にも、入る事があるのかも知れないな。今日の夢みたいに、酷い夢じゃないといいんだけど……)


 視界に入る、夢世界の光の渦を見下ろしながら、慧夢は心の中で呟く。

 程無く、朝陽に照らされた、見慣れた自宅が見えて来る。


 朝陽の下では、黒に近い紺色に見える瓦が屋根を飾る、何の変哲も無い二階建ての住宅。

 その二階にある自室を目指し、慧夢は飛んで行く。

 そして、クリーム色の壁に体当たりするかの様に飛び込み、通り抜けると……そこは既に自室の中。


 ゲームソフトやマンガ本が床に散らばっているのが、部屋に射し込む朝陽のせいで、夜より目立つ、雑然とした思春期の少年らしい部屋。

 ベッドの上には毛布もかぶらず、横向きになって寝息を立てている、慧夢自身の姿。


 自分の肉体から立ち上って来る、嗅ぎ覚えがある臭いに気付き、慧夢は嫌な予感に襲われる。


(まさか……やっちまったか)


 ベッドの脇に降り立ち、慧夢は自分の肉体に手を伸ばす。

 そして触れた直後、慧夢の幽体は肉体に吸い込まれる。ほんの数秒……視界がブラックアウトし、意識が途切れた後、慧夢は目覚めて、意識を回復した。


 そして、嫌な予感が当たっているかどうかを確かめる為、慧夢は右手を股間に伸ばし、短パンの下、トランクスの中に潜り込ませる。

 じっとりと湿り、粘っている感覚を、慧夢の指先は覚えた。


 嫌な予感は、当たっていたのだ。


(やってしまった……)


 エドナの夢の中で、散々痛め付けられた慧夢の心は、とどめをさされたかの様に、ぽきりと音を立てて折れてしまう。

 襲い掛かってくる、壮絶な自己嫌悪感。


 幽体離脱し、誰かの夢世界に入っている時でも、慧夢の幽体と肉体は、僅かに同調している。

 故に、幽体が強い刺激を受けた場合、幽体の感覚に、たまに肉体が同調し……反応してしまう場合があるのだ。


 そして、性的な要素の強い、いわゆる淫夢と言われる系統の夢世界に入ってしまい、慧夢の幽体は夢の中で、望まない性的な経験をし、快楽を覚えてしまう事がある。

 男の身体は、本人の意志とは無関係に、受けた行為により反応してしまう場合があるが、それは幽体となっている慧夢においても、変わらない。


 夢世界の主に強制される形であれ、幽体が性的な経験をして快楽を覚えると、同調する肉体の方も、同様の反応を示してしまう場合がある。

 軽めの場合なら、股間のモノが勃つ位で済むが、重い場合は夢精という形で。


 今回、エドナのSM趣味の淫夢において、望まぬ形であれ性的な経験を、慧夢の幽体は夢の中でしてしまった。

 そして、ごくたまにある重い反応を、慧夢の肉体はしてしまったのだ。


 自己嫌悪に苛まれつつ、慧夢は枕元のスマートフォンに目をやり、薄目を開けて時間を確認、午前六時八分。

 歩きで通える地元の学校に通っているので、あと一時間くらい二度寝しても、遅刻したりはしないだろう。


 でも、慧夢は二度寝など、している場合では無い。

 家族に気付かれぬ様に、汚れたトランクスと短パンを洗濯し、身体を洗わなければいけないからだ。


 慧夢だけでなく、慧夢の家族は皆……学校も職場も自宅から近い為、朝起きるのは大抵の場合、午前六時半過ぎと遅め。

 今すぐに風呂場に行けば、家族に気付かれずに、トランクスと短パンを手洗いし、身体を洗う事が出来る。


「――落ち込んでる場合じゃないな、家族が起きる前に……やらないと」


 意気消沈している心と身体に、必死で活を入れ、慧夢は起き上がる。

 そして、ベッドを下りると、一階にある風呂場に向って移動を始める。


 身体の汚れだけでなく、夢の中で汚されてしまった様な気がする心の汚れまで、シャワーで洗い流せればいいなと、心の中で思いながら……。


    ×    ×    ×





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