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145 ――すいません、兄さん。違法な治療法を手伝わせる様な真似までしておきながら、こんな結果になってしまって……

 SF映画に出て来る宇宙船の司令室……というのは言い過ぎかもしれない。

 だが、最新式の医療機器だらけの部屋の中は、慣れぬ者が訪れたら、未来にでも来たのかと誤解しそうな光景といえる。


 広さは十畳程度であり、その半分は大型コンピューターを思わせる、医療機器のデータ処理部が詰まった、白い箱で埋まっている。

 脳磁計のうじけいという、微弱な脳磁場を計測する医療機器のデータ処理部だ。


 並んだ箱の手前には、白いテーブル状のベッドが置かれて、その上には検査用の白い病衣びょういに身を包んだ志月が、仰向けに寝かされている。

 志月の頭はセンサーが詰め込まれた、白い円筒の中に入っているので、その寝顔は見えない。


 志月の近くには、検査の助手を務めている看護師姿の陽子がいる。

 陽子は心配そうに、静かな駆動音を立てる脳磁計に検査されている最中の、娘の姿を見下ろしている。


 ベッドから三メートル程離れた場所には、解析及び制御用のデスクがある。

 デスクトップパソコンに、四画面の液晶モニターとキーボードが繋がれている感じの制御用端末であり、パソコンを操作する感覚で脳磁計を制御し、患者の脳の状態を解析する事が出来る。


 デスクの前の椅子には志津子が座り、精密な検査の為に脳磁計室のうじけいしつに移された志月の、検査と解析の最終段階の作業をしている。

 永眠病になって以降、志月は一日に数度、この部屋で脳を調べられるのが、日課となっていた。


「――検査終わりました、デュワーから出してあげて下さい」


 モニターから陽子に目線を移し、志津子は声をかける。

 デュワーというのは、センサーが詰まった白い筒の事だ。


 志津子の指示に従い、陽子はベッドを操作する。

 ベッドがモーターの駆動音を響かせながら、スライドして身体を移動させたので、 志月の頭部はデュワーの中から出て来る。


 モニターを凝視しつつ、志津子はキーボードとマウスを操作し、検査の解析データをチェックする。

 データを目にした志津子の表情は、口惜しげである。


「変化はあったか?」


 志津子の後ろからモニターを覗き込んでいた大志が、志津子に問いかける。


「――全く」


 言い辛そうに、短めの言葉で志津子は返答する。


「ホルモン制御覚醒療法も、効果無しか」


 大志の言うホルモン制御覚醒療法とは、人を睡眠に導くメラトニンや、逆に人を起床に導くコルチゾールなどの、体内ホルモンの分泌や量を投薬により制御し、長期間眠り続ける過眠症患者を、目覚めに導く治療法だ。

 副作用として酷い不眠症になる可能性がある、リスクの高い治療法である為、睡眠障害の治療法としては、日本では認可されていない。


 合法的な範囲の治療法の全てが、志月の永眠病には効果が無いまま、志津子達は十一日を迎えてしまった。

 その段階で、禁じ手といえるホルモン制御覚醒療法に手を出す覚悟を、志津子は決めた。


 大志と陽子にリスクを説明した上で、ホルモン制御覚醒療法を行う許可を得た志津子は、即座に必要な薬を調達した。

 そして、海外研修に行った時に指導を受けたホルモン制御覚醒療法を、志津子は身内以外の力を借りず、最後の手段として志津子に施したのだ。


 リスクが高い代わりに効果が高い、この最後の手段といえるホルモン制御療法は、二日以内に効果が出る。

 十一日は準備を整えるのに費やし、十二日の午前中から志月に施し始めた為、効果があるとしたら十四日の午前中までに、目覚めぬまでも何らかの変化……つまり効果が、確認出来る筈だった。


 そして、結局……目覚める事無く六月十四日の午前を迎えた志月を、せめて何らかの目覚めの兆候や変化が確認出来ればと、志津子は脳磁計による検査を行ったのである。

 だが、強力な投薬療法によっても、全く何の変化も現れないという、有り得ない検査結果が出てしまったのだ。


「――すいません、兄さん。違法な治療法を手伝わせる様な真似までしておきながら、こんな結果になってしまって……」


 申し訳無さ気に項垂うなだれながら、志津子は謝罪の言葉を口にする。


「いや、お前は良くやってくれた。謝る事は無い」


 志津子の肩を叩きながら、大志は労わりの言葉をかける。


「国内の他の医者なら、試す事すら出来なった療法だ。親としては、徒労で終ったとしても、娘の為に何か出来る事があるのなら、一つでも多くの事を……やってやりたいものなんだから」


 法に触れるレベルの最後の手段が、効果を出せなかった結果には、大志もショックを受けていたのだが、それを堪えて表には出さない。

 その上で、二日間……かなり制御が難しいホルモン制御覚醒療法に専念した為、相当に消耗してしまったのが、表情からも見て取れる志津子を、大志は気づかう。


「お前も、少し休め。顔色が悪いぞ」


 大志の言葉に、志津子は頷く。


「ここの『片付け』を終えたら、少し休むよ……少しだけね」


 志津子の言う「片付け」とは、脳磁計室の片付けを意味するのだが、単純に片付けるという意味だけでなく、ホルモン制御覚醒療法関連の証拠隠滅という意味も含まれている。

 脳磁計室で行ったのは、あくまで検査と解析のみなので、大した証拠は残ってはいないのだが、志津子は念の為に、手持ちのデバイスに検査解析結果を複製した上で、脳磁計のデータは全部、消しておくつもりなのである。


 外科である大志にとっては、脳磁計の操作は専門外。

 志津子としては任せるのは心許ないので、自分でやらなければならないのだ。


「兄さんは陽子さんと、志月を病室の方へ」


 志津子の言葉に頷くと、志月をストレッチャーに移し終えた陽子の元に、大志は歩み寄る。

 そして、脚と車輪のついた台の様なストレッチャーの持ち手を、大志は握る。


「じゃあ、後は頼んだ」


 そう言い残すと、大志は陽子と共に脳磁計室を後にする。

 ストレッチャーに乗せた志月を、慎重に運び出しつつ。


 一人……脳磁計室に残された志津子は、キーボードを操作しつつ、沈んだ面持ちで深い溜息を吐く。

 合法的な範囲の手段を使い尽くしただけでなく、非合法な手段まで用いても、志月を永眠病の眠りから救い出せなかった事に、志津子は医師として絶望していたのだ。


 だが、親である大志や陽子に比べれば、自分の絶望や心労など軽い物だと、志津子は思い直す。

 そして、タイムリミットを迎えるまでに、他に何か出来る事は無いかと、志津子は「片付け」を続けながらも、思考を巡らし続ける。


 手詰まりといえる状況の中でも、諦めずに必死で……。


    ×    ×    ×





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