144 死んだ身の上で、夢の中にいるってのに、腹は減るんだよ。可笑しなもんだな
「それに昨日も今日も、お前が学校に行っている間に、夢占君は家に侵入してる」
陽志は志月の反論を待たず、話を続ける。
「お前に対する覗きが目的なら、お前が学校にいる間は……家じゃなくて学校に向う筈だから、覗きが目的でもないだろう」
「――でも、夢占君は兄さんにも私にも、斧で襲い掛かったんだよ? 兄さんは首や右手を、私は左手を斬り落とされたじゃない!」
理屈では陽志の主張に説得力を覚えてはいたのだが、感情的には全く納得がいかない志月は、語気を強めて反論する。
「幾ら夢の中では、壊された物や人の身体が、元に戻ると分かっていたって、物凄く痛かったし、怖かったんだよ! あれはどう考えても、嫌がらせだってば!」
「――確かに、あれは相当に酷い経験ではあったが、本当に嫌がらせだったのかな?」
思い出したく無い程に恐ろしく、苦痛を呼び覚ます記憶が甦り、苦々しげに顔を顰めつつも、陽志は話を続ける。
「俺や志月を襲ったのも、何か別の理由があると思うんだ」
「どんな理由?」
「それは分からないが、おそらくは……この夢を終らせ、志月を永眠病の眠りから覚まさせる方法に、何か関係が有るんじゃないかな」
「そんなの、兄さんがそうだと思いたいだけじゃない! 何の根拠も無いんだから!」
慧夢の狙いと正体を、かなり正確に推測出来ていた陽志の発言を、志月は強い言葉で否定する。
志月の言う通り、陽志の言葉には志月を論破し切るだけの根拠が、足りていなかった。
志月が左手を斬り落とされただけでなく、指輪を集中的に破壊された事。
数が多いが故に、家の各所に適当に置かれ、ぞんざいに扱われている様に見える木刀を、志月が宝の様に大事に思っている事……。
それら二つの事を、もしも陽志が知っていたのなら、志月が宝の様に大事に思っている人や物を、慧夢が選んで壊している事に気付き、自分や志月に慧夢が斧で斬りかかった理由にも、勘付いただろう。
だが、惜しい所で陽志の思考は、そこまで辿り着けなかった。
「俺や志月を襲った理由は、夢占君に訊けば分かる。それに、理由だけじゃなく……志月、お前を永眠病の夢から覚めさせる方法も、彼に訊けば分かるだろう」
陽志は決意表明でもするかの様に、強い口調で言葉を続ける。
「――だから、俺は夢占君に会って、話を訊かなければならない」
「好きにすれば? 夢占君は何も知らないだろうから、無駄だと思うけど」
「好きにするさ。兄として……お前を死なせる訳にはいかないからな」
志月は陽志の言葉を聞いて、複雑な表情を浮かべつつ、目線を空に逃がす。
兄である陽志が妹である自分を思いやり、口にした言葉であるのは、志月にも分かっている。
でも、陽志の望みと志月自身の望みが違う事を、その言葉は明確に表している。
故に、志月としては嬉しくも切なくもあり、やるせない気分になってしまうのだ。
陽志から逃げる様に、志月が見上げた空は、夕暮れから限りなく夜に近付いていた。
二人が長話を続けている間に、それだけの時間が過ぎ去ったのだ。
現実よりも時の流れが速い夢の中、夜の帳が下りるまで、そう長くは無い。
「――長話が過ぎた、そろそろ夕食の準備をしないと」
志月につられて空を見上げた陽志も、既に夜が近いのに気付き、右手で腹を擦る。
「死んだ身の上で、夢の中にいるってのに、腹は減るんだよ。可笑しなもんだな」
自嘲気味に呟きながら、陽志は立ち上がる。
そして、踵を返して居間に足を踏み入れると、陽志は一度……立ち止まる。
「兎に角、お前が何と言おうが、俺は夢占君に会って、お前を目覚めさせる方法を聞きだす。お前を絶対に、死なせはしない」
そう言い残すと、陽志はダイニングキッチンに向い、再び歩き出す。
「――それは、無理だと思うよ」
縁側に座ったまま、夜色に染まろうとしている空を見上げながら、陽志の耳には届く訳が無い小声で、志月は形の良い唇から言葉を漏らす。
「兄さんと夢占君を、絶対に会わせないから……私が」
この夢の中で、自分が特別な力を揮える事に、既に志月は気付いている。
その力を使えば、陽志と慧夢が会えない様に出来る自信が、志月にはあった。
だが、そんな志月の表情は、自信に満ちているというよりは、何処と無く寂しげであり、憂いを帯びていた。
陽志が自分と違う望みを抱き、自分とは違う方向を向いて進み始めた事に、志月は堪らない寂しさを覚えていたのだ……。
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