139 ――遅いか、今更……気付いても。死んじまった俺には、間違いに気付いた所で、もうどうする事も出来ないんだし
「運動会も学芸会も、授業参観だって……友達はみんな親が来てたのに、父さんと母さんは、来てくれた事なんて一度も無いよ! いつも兄さんや……お爺さんとお婆さんに任せっきりで!」
志月の言う通り、志月が小学校の頃、大志も陽子も小学校の行事に、殆ど不参加に近い状態だった。
ブランクを取り戻すべく、医療ボランティア活動に回す時間が増え、それが普段の医師としての仕事までもを、多忙にしてしまった。
結果、大人にしか無理なものは祖父母が、そうでないものは陽志が、親代わりとなって役目を果たす事になった。
祖父母自体も老齢とはいえ現役の医師であり、多忙な身であった為、志月の面倒を最も多く見たのは、陽志だったのである。
それが結果として、志月の陽志に対する、ブラザーコンプレックス的な依存の原因となってしまった。
心の奥底に不満を溜め込んでいたとはいえ、両親との仲は決して悪くは無かったのだが、両親と兄とのどちらが大事かといえば、迷わず兄であるのは、志月の偽りの無い本心なのだ。
「誕生日だって、殆ど一緒にいてくれた事なんてない! 海外からプレゼント送って済ますだけで! それに私の事を良く知らないから、私が好きなのがツキノワグマだって事も知らないから、送って来たのは只のクマだったりもしたじゃない!」
子供時代に溜め込んだ不満を、今になってぶちまけているせいで、志月の表情や口振りは、子供の頃の様な幼さを感じさせる。
「あのクマだったら、大切にしてるじゃないか、今でもベッドの脇に置いているくらいに」
「ツッキーは、兄さんがツキノワグマにしてくれたから……大事にしてたの! 三日月の部分が古くなって壊れちゃったから、今はツキノワグマには見えないけど、私にとってはずっとツキノワグマだったんだから!」
志月の言葉を聞いて、陽志は思い出す。
ただのクマのヌイグルミを、自分が志月の為に、ツキノワグマに変えた時の記憶を。
「――あったな、そんな事も」
懐かしげに表情を緩めた後、陽志は優しげに志月に語りかける。
「悪かったな、お前がそんなに不満を溜め込んでいたのに、気付いてやれなくて」
「兄さんが……謝る事じゃないよ!」
心外だとばかりに、志月は言葉と瞳で訴えるが、陽志は首を横に振る。
「父さんと母さんが一緒にいてやれない分、俺が一緒にいて……その代わりになる事が、お前の為だと思ってたんだ。でも、違った」
目を伏せて、淡々とした口調で、陽志は言葉を続ける。
「お前が溜め込んでいた不満に気付いて、それを父さんや母さんに伝えてやるか、そうでなければ……お前自身が自分で吐き出せる様に、我侭を言える様にしてやる事こそ、俺がやるべき事だったんだ」
後悔に苛まれている陽志の表情は、切なげに曇っている。
「――遅いか、今更……気付いても。死んじまった俺には、間違いに気付いた所で、もうどうする事も出来ないんだし」
陽志は顔を上げ、志月の目を見て訴える。
「でも、お前は俺と違って、まだ生きてるんだ! 間違えたのなら、やり直せるじゃないか! 親に不満があるなら吐き出せばいい! 一緒の想い出が欲しいなら作ればいい! だから、俺と一緒に死のうだなんて思わずに、こんな夢見るのは止めて目を覚ませ!」
熱心な陽志の訴えを聞いたものの、志月は首を横に振り、その訴えを退ける。
「――私は兄さんと生きて来た人生を、間違えただなんて思ってないんだ……チルドニュクスを飲んだ事も。だから、夢から覚める気なんて無いよ」
陽志の説得にも揺るぐ様子は見せず、志月は微笑を浮かべながら言い切る。
「それに、私が間違えていたとして……それをやり直そうにも、今更無理だもの。だって、永眠病の夢から目覚める方法なんて、有る筈が無いんだから」
志月は嘘を吐いている訳ではない、永眠病の夢……黒き夢から目覚める方法を知らないし、その方法が存在する事も知らない。
「チルドニュクスの説明書にも、目覚める方法なんて載ってはいなかったし、永眠病になった人が、死なずに夢から覚めた例は無いって噂だよ」
自信有り気な口調で、志月は陽志に問いかける。
「目覚める方法があるのなら、気が変わって覚める人だっていると思わない? 方法が無いからこそ、永眠病の夢からは、誰も目覚めないんだと思うのだけど」
「その事なら、心配する必要は無い。この夢から覚める方法は、ちゃんと存在するから」
陽志は志月に負けぬ程、自信有り気な口調で、そう言い切る。
ハッタリでは無い、方法が有ると信じているからこそ、陽志は志月に「目を覚ませ」と言っていたのだから。
予想だにしていなかった事を、陽志が言い出し始めたので、志月は驚き目を見開きながら、陽志に訊ねる。
「兄さん、知ってるの?」
「いや、俺は知らない」
「知らないって、だったら何で存在するなんて言える訳?」
「俺は知らないけど、俺が死霊になった状態で、志月の夢の中に取り込まれてるって真実を教えてくれた、あの目付きの悪い奴なら、その方法を知っている筈だからさ」
「――夢占君が?」
志月は驚きの余り、つい慧夢の苗字を口にしてしまう。
その上で、自分が慧夢と関係が有るのを陽志に知られるのは、自分にとって不利な状況になる様な気がして、志月は口を押さえるが、既に手遅れだった。