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138 ――兄さんには悪いけど、この夢から覚めるつもりは無いよ

「――キツイ言い方をして悪かった、責める資格は無いと言ったばかりなのに」


 つい興奮して、声を荒げてしまった自分を省みて、陽志は謝罪の言葉を口にする。


「でも、お前がした事は……一時的な感情に流されて、死を選んだのは間違いだ。間違えたのなら反省し、正さなければいけない」


 陽志は左手を志月の肩に置き、優しく諭す。


「だから、夢から覚めるんだ! 幸せな夢を装ってはいるが、人の命を奪う邪悪な夢の中に逃げ込んだりしないで、お前は生き続けなきゃ駄目なんだよ!」


 そんな陽志の言葉を聞いた志月は、嬉しさと悲しさが入り混じった様な、複雑な表情を浮かべる。


「――チルドニュクスが見せてくれる夢に出て来る、私の夢が作った兄さんなら、『夢から覚めるんだ!』なんて、言う訳が無いよね。この夢の事を、『邪悪な夢』とも……」


 志月の目に、涙が滲んでいる。涙の原因は、嬉しさだ。


「本当に、本物の兄さんなんだ……」


 声を震わせながらの、志月の言葉。

 志月には、「夢から覚めるんだ!」という言葉も、チルドニュクスが見せる志月の夢を「邪悪な夢」呼ばわりする言葉も、チルドニュクスの影響下にある夢が作り出した陽志には、決して口に出来る訳がないと思えた。


 故に、ようやく信じたのだ、目の前にいる陽志が、本物の陽志の死霊であるという真実を。

 死霊とはいえ、本物の陽志に再会出来た嬉しさで、志月は嬉し涙を流したのである。


 表情に嬉しさだけでなく、悲しさが混ざっていたのは、陽志のいない現実世界になど戻りたくは無いという望みを、陽志に否定されたから。


「――兄さんには悪いけど、この夢から覚めるつもりは無いよ」


 涙を掌で拭いながら、志月は言葉を続ける。


「兄さんのいない現実の世界で生き続けるくらいなら、本物の兄さんがいる夢を、少しでも長く楽しんでから、死んだ方が良いし。この夢を見ながら死ねば、夢の中にいる兄さんと一緒に、あの世って所に一緒に行けるかもしれないし……」


 事実、夢世界に死霊を捕えた状態で、夢の主が死んだ場合、夢の主も死霊となり、共に霊的世界……あの世へと向う事になる。

 その事実を知った上での発言ではなく、同じ夢の中にいるのなら、死ねば共にあの世に行けるだろうと、志月が感覚的に思った上での発言だ。


「馬鹿な事言ってるんじゃない! 俺はお前に死んでなんて欲しくは無い! むしろ、俺が生きれなかった分までも、生きられるだけ生き続けて、人生を生き切って欲しいくらいだ!」


 強い口調で、陽志は志月に訴え続ける。


「俺は結局、大学生のまま社会に出る事すらなく死んじまったから、バイト以外にまともに働く事すら出来なかった! 結婚も出来ず子供も作れず、何も遺せずに死んだんだ! 普通の人が経験出来するだろう、楽しい事も辛い事も、嬉しい事も悲しい事も、その殆どを経験出来ずに、俺の人生は終ったんだ!」


 人生で遣り残した事だらけの陽志は、偽らざる本音を志月にぶつける。


「そんな俺と、人生を一緒に終らせるとか、馬鹿な事を言うな! お前は俺が出来なかった事を全部やって……社会に出て働いて、結婚して子供を作って……人生の楽しい事も辛い事も、嬉しい事も悲しい事も、全て経験して……年を取って色々な物を遺せるようになるまで、死んじゃいけない!」


 一気に言葉をまくしたてた陽志は、ここで一呼吸ついてから、言葉を続ける。


「それに、俺が死んだ上……お前まで死んだら、父さんや母さんはどうなる?」


 責める資格は無いと言った手前、語気を荒げない様に気を遣ってはいるのだが、それでも陽志は我慢が出来ず、強い口調で志月を窘めてしまう。

 自分の死を悲しみ、憔悴し切っていた両親を、霊体となって見ていた陽志は、この上志月まで死んだら、両親がどれ程の精神的ダメージを受けるかが、容易に想像出来た。


 故に、厳しい物言いになってしまったのである。


「大事な子供を、続けて二人も亡くしたら、親がどれ程のショックを受けるか、ちゃんと考えてみろ!」


「――私が死んでも、父さんも母さんも……兄さんの時程のショックなんて受けないよ」


 志月は陽志から目線を逸らし、やや自嘲気味な口調で続ける。


「医者を継げた筈の兄さんと違って、私は医者になれる程には勉強が出来る子じゃなかったから、ずーっと放ったらかしだった訳だし」


 優等生で勉強も出来る志月なのだが、その成績は昔から陽志には及ばない。

 特に理系科目の弱さから、医者の道を目指すのは厳しいと、志月は自覚していた。


「たかが勉強の出来の差くらいで、親が子供に注ぐ愛情に、差なんかつかない! 父さんや母さんは、俺もお前も同じくらい大事に思っているに、決まっているだろ!」


「普通の親なら、そうなのかもね。でも……うちの親は、普通じゃないじゃない!」


 語気を強めた陽志に圧されぬ様に、志月も語気を強める。


「父さんも母さんも仕事が忙しくて、普段から余り家にはいなかったし、家どころか日本にいない時だって多かったんだから!」


「――それは、医療ボランティアの為に仕方なく……二人共、普通の医者以上に忙しかっただけで……」


「知ってるよ、そんな事! でも、兄さんが小学生の頃までは、そうじゃなかったじゃない! 私の時と違って!」


 志月の言う通り、陽志が小学生の頃、大志と陽子は一時的に、海外での医療ボランティア活動を休んでいたのだ。

 陽志という初めての子供を持った為、子育てに不慣れで苦労したのが、その理由である。

 だが、あらゆる意味で出来が良過ぎた陽志は、小学生の高学年の頃には親に面倒をかけるどころか、小学校に入ったばかりの、妹の志月の面倒を見れる様になった。

 それ故、大志と陽子は志月の世話を陽志に頼り、ボランティアを再開したのだ。



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