137 思い出したのは、死んだ時の記憶だけじゃない。死んだ後の記憶も、途切れ途切れなんだが……思い出したんだ
(――兄さんも夢占君と同じで、私と相性が悪い? そんな訳がないから、相性の問題ではなくて、兄さんと夢占君は何か特別な存在なのかも、私が見ている夢の中で……)
動揺しつつも何故、慧夢と陽志だけが、自分の思い通りにならないのか、志月は考える。
(そう言えば、二人共……自分達がいるのが、私の夢の中だって事に気付いてる。私だって、夢占君に言われるまで気付かなかったのに)
慧夢と陽志の二人には、夢の中にいる自覚がある点に、何かヒントがあるのではないかと考え、志月は陽志に問いかける。
「何で、そんな……私が見ている夢だなんて思うの?」
「昨日、俺を襲った奴が、今日も現れて……教えてくれたんだ。この世界は俺の妹……志月の夢の中だって」
(兄さんも、夢占君に……)
この世界が夢であるという真実を、兄も自分同様に慧夢に教えられたのを、志月は知った。
「五月三十日の朝に交通事故で死んだ後、俺は死霊になった状態で、志月の夢の中に取り込まれたんだって、俺を襲った奴は言ってた」
「――兄さんは、私の夢の中に取り込まれた死霊?」
大きな目を更に丸くして、問いかける志月に、陽志は頷く。
「奴が去った後、段々と思い出し始めたんだ、まるで……ずっと頭の一部に広がっていた靄が、ゆっくりと晴れ始めたみたいに、俺は死んだ時の事を……全部思い出したんだ」
確信に満ちた口調で、陽志が言い切ったので、否定する言葉を口にしようと、志月は口を開くのだが、そのまま口を閉じてしまう。
目の前にいる陽志が、本物の陽志の死霊だと、志月は信じ切った訳ではない。
ただ、確信に満ちている陽志の言動から、自分の言葉で従わせられないのを察し、無駄な言葉を口にするよりは、とりあえず話を聞きつつ、様子を見る事にしたのだ。
「思い出したのは、死んだ時の記憶だけじゃない。死んだ後の記憶も、途切れ途切れなんだが……思い出したんだ」
「死んだ後の……記憶があるの?」
驚きの表情を浮かべながらの志月の問いに、陽志は頷いてから口を開く。
「あの斧の奴が言う所の、死霊って状態になって、病院や家……葬儀場なんかを、ふらふら漂っていたんだろうな。家族や友達が皆、悲しんで泣いてくれてるのを見て、俺も悲しい思いをしたのを覚えてるよ……」
病院で泣き暮れる家族や、葬儀で涙を見せる友人の顔などの、途切れ途切れの記憶を思い出しつつ、陽志は話を続ける。
「無論、志月……お前の事も記憶にある。俺が死んだ後、お前は様子が少しおかしかったから、思い詰め過ぎて馬鹿な真似でもしでかすんじゃないかと心配になって、お前を見守っていたせいだろう……」
妙な真似という言葉を耳にして、志月の表情が強張る。思い当たる節があったからだ。
「――そしたら案の定、お前は馬鹿な真似をしでかした。チルドニュクスを飲むなんていう、馬鹿過ぎる真似を」
責める様な、陽志の表情と口調。
だが、責める相手は志月というよりは、むしろ志月が馬鹿過ぎる真似をする原因となった、陽志自身の方なのは、自責の念に苛まれ、辛そうに顰められている、陽志の表情から明らかだ。
「チルドニュクスを飲んだ後、お前はすぐにベッドに寝転び、安らかな寝顔を浮かべて眠りに就いた。すると、お前の身体の上に、黒い煙の渦みたいな奴が現れたんだ……」
黒い煙の渦みたいな奴とは、志月が眠りに就いた後に陽志が目にした、小さな渦巻く黒雲の如き、黒き夢だ。
「説明し難いんだが、邪悪で不吉な……嫌な感じがする煙だったもんだから、お前の上から除けようとして、手を伸ばしたんだ。すると、手が煙に触れた直後に、身体が煙の中に吸い込まれて……覚えてるのは、そこまでだ」
霊魂状態の死霊であり、尚且つ慧夢の様に強力な霊力がある訳でも無いので、陽志は現実世界で何かを動かせたりはしない。
だが、志月の事が心配で、つい陽志は反射的に手を伸ばしてしまった。
結果、志月の黒き夢の中に、陽志は死霊のまま、取り込まれてしまったのである。
そして、チルドニュクスの作用により、志月同様に志月が見たい夢の中では不要な、陽志自身が死んだ事に関する記憶を全て封じられ、夢世界で過ごし続けてきたのだ。
死霊である陽志は、幽体の慧夢と似た存在といえるが、慧夢がチルドニュクスの作用を受けず、陽志が死んだ記憶を維持出来た理由は二つ。
一つは肉体との繋がりが維持されている幽体であり、肉体の脳にある記憶にもアクセスが出来るから、もう一つは強力な霊力で、チルドニュクスによる記憶の封印を、跳ね除けられたからである。
「その後、お前の夢の中で……自分が死んだ事すら忘れて、俺は楽しく過ごして来た。何度か交通事故で死んだ時の記憶が、フラッシュバックした事もあったんだが、お前や父さんと母さんに、居眠りして見た夢だとか説得されて、そう思い込んでたんだ」
封じられていた記憶に関して、語り終えた陽志は、責めるのではなく諭す様な口調で、話を続ける。
「――志月、チルドニュクスを飲むなんていう、馬鹿な真似をしたお前を責める資格なんか、俺には無い。俺のせいで正気を失い、そんな馬鹿な真似をしたんだろうし」
「正気を失ったりなんかしていないし、馬鹿な真似をしたつもりも無いよ……私」
「馬鹿な真似に決まってるだろ! チルドニュクスを飲んだら、死ぬかもしれない……いや、死ぬんだぞ!」
陽志は声を荒げる。
生前の陽志は、チルドニュクスは小麦粉であり、永眠病自体は極端な偽薬効果により、ごく一部の人が死に至る場合があっても、基本的には死ぬ様なものではないという、一般的な認識の持ち主でしかなかった。
だが、実際に志月がチルドニュクスを飲んだ後、その夢の中に死霊の状態で取り込まれ、志月の夢を登場人物として経験した今、陽志の考えは変わっていた。
明らかに現代科学では説明がつかない、超常現象を自ら体験した上、永眠病の噂通りの現象が、志月の身に起こったのを、陽志は知ってしまったからだ。
人生に絶望して死を選んだ者……志月が、チルドニュクスを手に入れて服用、安らかに眠りに就いた。
そして、志月は陽志が死んでいない、楽しい夢を見続けていた。
そんな風に、永眠病の噂通りの段階を踏んでいる志月の状況を、陽志は知っている。
故に、これから永眠病の噂通りに、志月が幸せに人生を終えてしまうのだとしか、今の陽志には思えないのである。