116 父さんと母さんへ
父さんと母さんへ
夢占慧夢
この手紙を父さんや母さんが読んでいるという事は、朝になっても俺が目覚めていないんしょう。
たぶん、手紙を最初に読むのは、俺を起こしに来た母さんなんじゃないかな。
でも、普段寝ている時とは違い、今の俺を無理矢理起こしても、他の人の夢世界から、俺の幽体が肉体に戻される事はありません。
つまり、起こしても俺は起きないので、無駄ですから起こさないで下さい。
俺が起きない理由は、今回俺が入る予定の夢世界が、夢占秘伝で黒き夢として伝えられている、特別な夢世界だからです。
普通の夢世界なら、俺の身体自身が強い外部刺激を受けると、夢世界から俺の幽体が引き戻される可能性があるのですが、黒き夢に入った幽体は、夢世界が崩壊しなければ、夢世界から出て肉体には戻れないそうです、夢占秘伝によれば。
黒き夢の夢世界は、夢の鍵という物を探し出して破壊しない限り、崩壊しません。
しかも、夢の鍵が破壊されぬまま十五日が過ぎると、夢の主が死んでしまう、とても危険な夢です。
最近、眠ったまま死んでしまう、永眠病という病気についての噂が、世間を賑わしているのは、父さんも母さんもご存知でしょう。
色々あって、この永眠病について俺が調べてみた結果、どうやら永眠病というのは、夢占秘伝における黒き夢と、同じ物だという結論に達しました。
籠宮志月というクラスメートの女の子が、この永眠病を発症した事が、俺が永眠病や黒き夢について、調べ始めた切っ掛けです。
籠宮は仲が良かった兄が突然死んだショックで、ネット販売されていたチルドニュクスを購入して飲んだ結果、六月一日に永眠病を発症、ずっと眠ったままの状態になっています。
既に外部から確認し、永眠病状態になっている籠宮の夢世界が、黒き夢であるのは確認済み。
このままでは六月十六日を迎えると同時に、籠宮は死を迎えるでしょう。
この永眠病は、魔術や妖術といった類の技術に引き起こされているので、現代の医学や医術による治療は不可能。
患者の命を救うには、夢占秘伝に載っていた方法を、実行するしかありません。
夢占秘伝に載っていた方法とは、黒き夢の夢世界に存在する、夢の鍵の破壊。
言うまでもなく、その方法を実行出来るのは、夢芝居能力者である俺だけです。
だから、永眠病を発症した籠宮の、黒き夢の夢世界に、俺は入る事にしました。
夢の鍵を壊し、籠宮の命を救う為に。
夢の鍵を壊すまで、俺は黒き夢の中から出る事が出来ません。
しかも、十五日という黒き夢が終る期限までに、夢の鍵を壊せないと、俺の幽体は籠宮の霊魂同様、あの世に送られてしまい、俺は死んでしまうらしいです、夢占秘伝の話が事実なら。
籠宮は親しい訳でも何でもない、ただのクラスメートです。
それでも、放っておけば死ぬのが分かっていながら、助ける方法を知っていて、助ける力を俺だけが持っているのに、助けず見殺しにしたら、その先の俺の人生が、面白いものにはならない気がしてなりません。
夢芝居という、俺の人生を色々と面倒なものにした特異体質が、人の命を救う為に役立つ能力になるのだとしたら、それも悪く無い気もします。
案外、それが少しだけでも世の中をマシにする事に、繋がるのかも知れないし。
まぁ、そんなこんなで、親しい訳でも何でもない、ただのクラスメートの命を助ける為に、命懸けで黒き夢に入る事を決意しました。
父さんや母さんが、この手紙を読んでいるのなら、俺は今現在、籠宮の黒き夢の夢世界に入ったままって訳ですね。
今の所は成功していない事になりますが、俺はガキの頃から散々、他人の夢世界に入り続けて来た人間です。
夢世界の中でなら、俺より上手く立ち回れる人間はいない程度に、夢世界の中でなら、俺は上手くやれる自信があります。
ですから、父さんも母さんも心配しないで、俺が目覚めるのを待っていて下さい。
それでも万が一、夢の鍵の破壊に失敗して、目覚められなかった場合は、先立つ不幸をお許し下さい。ベタな表現で悪いですが。
追記
夢占秘伝によれば、黒き夢に入っている間、夢芝居能力者の肉体の方は、食事や水分補給、排便などの必要も無いそうです。
身体の方は放っておいても問題無いので、病院に入院させたりはせず、部屋のベッドに放置しておくようお願いします。
あと、靴を含めた服装や持ち物は、決して弄らない様にして下さい。俺の幽体の装備に、影響を与える可能性があるので。
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