110 まるで、交通事故で死んだっていう事を、皆で寄ってたかって、籠宮の兄貴に夢だと思い込ませようとしてるみたいだ
「確か先月も、似た様な事があったな。あの時は、自動車に轢き殺された筈だとか、陽志の奴が言い出して……」
呆れ顔の大志の話を、陽子が受け継ぐ。
「居間で居眠りしていたかと思ったら、いきなり飛び起きて、『俺は車に轢き殺された筈なのに、何で生き返っているんだ?』とか、真顔で言い出すんだから、笑っちゃったわよ、あの時は」
思い出し笑いを始めた大志と陽子を見て、陽志は気まずそうな顔で肉を食べる。
(自動車に轢き殺された筈? それで、生き返っただって?)
大志と陽子の話を聞いて、慧夢は驚きの表情を浮かべる。
(やっぱり、籠宮の兄貴は本物の霊魂で、自分が交通事故で死んだ記憶は有るけど、それは夢世界の中では、籠宮の兄貴が見た夢だって事になってる感じなのか)
志月を楽しませる為の夢の中に、陽志が交通事故死した現実の情報など、持ち込まれている訳が無い。
その情報を陽志が記憶しているのを知り、陽志が本物の霊魂なのではないかという考えが、慧夢の中で確信に近い程に強まる。
「――まぁ、笑っちゃいかんな」
陽志の気分を害したのに気付いたのか、大志は笑うのを止めて、陽志に語りかける。
「自分が死ぬ夢を、覚えているだけでも短期間に二度も見るとなると、何か精神的なストレスを、溜め込んでしまっている可能性もあるし」
大志の言葉に頷いてから、陽子も口を開く。
「一度志津子さんに、診て貰った方が良いんじゃない?」
「――さっき志月にも言われたよ、同じ事」
肉を飲み込み終えた陽志は、やや面倒臭げな感じで言葉を続ける。
「ま……大学休みで暇だから、叔母さんが空いてそうなタイミング見計らって、診て貰いには行くつもりだけど」
「そうした方が良い。精神的な問題を溜め込むのは、身体にも色々と悪影響があるからな」
大志の言葉に、陽子と志月が頷いて、同意を示す。
(まるで、交通事故で死んだっていう事を、皆で寄ってたかって、籠宮の兄貴に夢だと思い込ませようとしてるみたいだ)
ダイニングキッチンを覗き込みつつ、家族の会話を盗み聞きしていた慧夢は、そんな感想を抱く。
(籠宮の兄貴が、自分が本当は死んでいるという事を自覚したら、籠宮にとって楽しい夢じゃなくなる可能性があるから、夢世界のキャラクター達が、籠宮の兄貴に自覚させない様に、行動しているのかも知れない)
この夢世界は志月にとって楽しくなる様に、志月の願望に基づきチルドニュクスにより調整されているのだと、慧夢は考えている。
夢世界のキャラクターとしての、大志や陽子の言動は、その調整の影響を受けた上……つまり志月の願望の影響を受けているのだろうと、慧夢は推測する。
イレギュラーとして紛れ込んでしまった本物の陽志が、自分の死を自覚する事により、志月の楽しい夢を壊しかねない行動を取り得る可能性がある。
その可能性を排除すべく、大志や陽子などの夢世界のキャラクターは、陽志に交通事故の事は夢だと思い込ませようとしている……というのが、慧夢の考えだ。
続いて、慧夢は志月について、考えを巡らす。
(籠宮の方はどうだろう? 兄貴が交通事故死したのを知った上で、惚けているのか? いや、それじゃ楽しみ辛いだろうから、違うか?)
作り物である大志や陽子とは違い、夢世界のキャラクターの志月は、肉体に宿る志月の霊魂と、意識や感覚を同一にしている、志月本人と言えるキャラクター。
本来なら、陽志が現実世界で事故死しているのを、知っていてもおかしくは無い。
だが、この夢世界は「陽志が生きている世界」を志月が楽しむ為に、作られたと思われる。
そんな世界を楽しむのに、「陽志が現実世界で事故死している」という記憶は、不要どころか邪魔な存在。
故に、「陽志が現実世界で事故死している」という志月の記憶には、志月自身もアクセス出来ない状態になっているのだろうと、慧夢は推測する。
それがチルドニュクスの調整によるものなのか、志月自身が夢世界を楽しむ為、進んで騙される形で、志月が「陽志が現実世界で事故死している」記憶から、自らを遠ざけているのかは分からないのだが。
殆どの夢世界における夢の主がそうである様に、志月は夢の中にいる自覚が無い状態……明晰夢では無い状態である可能性が高い。
志月は「陽志が現実世界で事故死している」事を忘れている以前に、自分が夢世界にいる自覚すら無い筈なのだ。
おそらくは、「陽志が現実世界で事故死している」事も、自分が夢世界にいる事も忘れて、陽志がいる生活を楽しんでいるのだろうと、慧夢は考えをまとめる。
(兄貴が交通事故死した事の方を、夢だって思い込んで……兄貴が生きている夢を、楽しみ続けたいのかな。本当は兄貴が事故死した方が現実で、この世界の方が夢なのに)
今の志月は明晰夢状態ではないので、意識的にやっている訳では無いだろう。
あくまで無意識的な願望が、夢世界の志月の言動となって現れているのではと、慧夢は思う。




