109 ――ところで、さっきから気になってたんだが、何で木刀がダイニングキッチンにあるんだい?
(両親の分か?)
慧夢が心の中で自問した直後、近くで自転車の止まる音がした。
続いて、男女の声と門が開閉する音を、慧夢の耳は聞き取る。
(男の声の方には聞き覚えがある、籠宮の親父の声だ!)
実際に聞いた経験があるのでは無く、志津子の夢の中で聞いただけなのだが、慧夢は声を聞いた事があったので、声の主の一人が大志であるのを察した。
当然、もう一人が同じ病院で働く妻である、陽子であろうとも推測出来た。
夢世界のキャラクターである大志と陽子が、病院から帰宅したのである。
似た様なグレーのスーツ姿の二人は、玄関の格子戸を開けて屋敷に入ると、ダイニングキッチンへと直行、志月と陽志に声を揃えて帰宅を告げる。
「ただいま」
「お帰りなさい」
志月と陽志も声を揃えて、両親を迎える。
志月は茶碗にご飯をよそいつつ、陽志は茶碗をテーブルに運びながら。
「豚のしょうが焼きにサラダか、美味そうだな。二人で作ったのか?」
テーブルに並んだ料理を見ながらの大志の問いに、志月は照れ気味の表情で頷く。
そして、大志と陽子に声をかける。
「丁度良かった、これから夕食始めるところだったから。父さんと母さんの分も、よそっておくよ」
「お願いね、私達は着替えて来るから」
そう言い残すと、陽子は大志と共にダイニングキッチンを出て、自室に向う。
程無く、大志は紺色のスウェットの上下、陽子はジーンズに浅黄色のトレーナーというラフな部屋着姿で、ダイニングキッチンに戻って来る。
二人が戻って来た頃には、既に志月と陽志により、四人分の夕食の準備は整えられていた。
長方形のテーブルの下座に、志月と陽志は並んで座り、大志と陽子を待っていた。
志月と陽志の対面に、陽子と大志が座り、四人は食事を始める。
料理の感想や、その日あった出来事など、気楽な会話を楽しみながら、四人は食事を続ける。
窓の外から聞き耳を立てつつ、ダイニングキッチンを覗き見ていた慧夢には、微笑ましくも暖かな、幸せな家族の食事風景に見えた。
陽志相手だけでなく、両親まで含めた四人家族の食事を、幸せな光景として夢見る志月が、慧夢には少しだけ意外だった。
(兄貴の危機に木刀持って駆けつけたり、一緒に買い物行ったり料理したり……。籠宮がブラコンであるのは確かっぽいが、親との関係も悪くは無さそうだな)
両親が仕事で家を空ける事が多く、陽志が親代わりとなっていた為、志月がブラコンになったという趣旨の話を、慧夢は志津子に聞いていた。
志津子自体は、志月と両親の関係については、特に触れてはいなかったのだが、慧夢は志月と両親の関係は、余り良くは無いのではないかと思い込んでいたので、意外に思えたのだ。
両親が家を空ける事が多かったという志津子の話と、両親を残して兄の後を追い死のうとした志月の行動……。
その二つが、志月と両親の関係が、余り良くは無いのではないかと、慧夢が考えた理由である。
現実の世界では、もう決して存在し得ない、陽志もいる家族四人での食事を楽しんでいる、夢世界の志月の顔が、慧夢の目に映る。
学校では見た覚えが無い、緩み切った笑顔を浮かべた志月は、とても楽しげで幸せそうに慧夢には見えた。
(夢の神オネイロスに祝福されて、楽しい夢を見ながら、死の神タナトスに祝福されて、幸せな死を迎える事が出来るのさ……だったか)
ふと、絵里の夢世界に紛れ込んだ際、舞台の上で魔女が口にした台詞の一部が、慧夢の頭に甦る。
チルドニュクスが見せている夢の中で、楽しそうにしている志月の顔を見たせいで、その台詞を思い出したのだ。
楽しげな志月の笑顔は、どちらかと言えば嫌っている慧夢ですら、目を奪われそうになる程に魅力的なのだが、それでいて何処となく儚げであった。
その笑顔を浮かべる為に、志月が命すら投げ出しているのを、知っているせいなのかも知れないと、慧夢は思う。
「――ところで、さっきから気になってたんだが、何で木刀がダイニングキッチンにあるんだい?」
突如、ダイニングキッチンの壁に立てかけてあった木刀の話を、大志が口にしたのを聞いて、志月の笑顔に見惚れていた慧夢は、目線を大志に移す、
「あれなら志月が玄関から持って来て、そのまま置きっ放しにしてるんだよ」
陽志は豚肉を箸で切りながら、大志の問いに答えた。
「あんな木刀持ち出すなんて、不審者でも出たの?」
そんな陽子の問いに、志月は首を横に振る。
「夕方、学校から帰って来た時に、ダイニングキッチンの方から、『家に入るな、志月! 不審者が……暴漢が家の中にいる!』みたいな感じの兄さんの声が聞こえたから……」
陽志の横顔を半目で見ながら、志月は呆れた風な口調で説明を続ける。
「傘立てに立ててあった木刀持って、兄さんの所に駆けつけたんだけど、不審者なんていなかった上、不審者に斧で斬り殺されたのに生き返った……みたいな事を言い出したのよ、兄さん。どうやら、不審者に斧で斬り殺される夢見て、寝惚けて大声出したみたいで」
「――成る程、不審者が出たのは、陽志の夢の中という訳か」
大志の言葉に、志月は頷く。