107 籠宮の兄貴は、自分が死んで志月の夢に入ってる事とか、気付いてるのかな?
「案外、籠宮の兄貴が夢の鍵じゃなかった理由は、夢世界に本物が死霊として、紛れ込んでいたせいなのかもしれないな」
夢世界の中では、幽体のキャラクターは特別な存在だ。
本物の幽体である慧夢が夢世界に入って来ると、「夢世界が作り出したキャラクター」の慧夢が、入れ替わる形で消滅する様に。
幽体と同じキャラクターは、夢世界では存在し得ないシステムになっているのではないかと、歴代の夢占の能力者達は、慧夢も含めて考えている。
幽体と殆ど同じ存在といえる陽志にも、そのシステム通りの現象が起こるとしたら、志月の夢世界には、夢の鍵が姿を変え得る「夢世界が作り出したキャラクター」の陽志は、存在し得ない事になる。
陽志がどの様な経緯で、志月の夢世界に入ったのかは分からない。
ただ入ってしまった以上、幽体……や同等の存在と、同じキャラクターが存在し得ないシステムであるなら、陽志の姿で志月の夢世界に、夢の鍵が存在し続けるのは不可能。
「俺が入ると、『夢世界が作り出したキャラクター』の俺が消えるみたいに、夢の鍵が籠宮の兄貴に姿を変えていた状態で、籠宮の兄貴本人の霊魂が夢世界に入り込んだら、『夢世界が作り出したキャラクター』になってる夢の鍵は、消えるんじゃないのか?」
慧夢は思考を巡らせながら、独白を続ける。
「いや、籠宮が目覚めていない以上、夢の鍵は健在な訳だし、それは無いか。夢の鍵が姿を変えているキャラクターの、本物の霊魂が夢世界に入り込むと、別の何かに姿を変えるとかで、夢の鍵は夢世界に残り続けるシステムになっているんだろう」
夢世界に霊魂が紛れ込んでいる……しかも、黒き夢の中に。
そんなケースは夢占秘伝にすら記述が無い、夢占にとって初めてといえる、レアケース中のレアケース。
今の慧夢が幾ら考え続けた所で、推測の域を出はしない。
「――しかし、籠宮の兄貴が夢の鍵でない以上、他の物が夢の鍵なんだろうけど、一体何が夢の鍵なんだ?」
何が夢の鍵なのか、慧夢は考え込む。
陽志以外の志月の家族の可能性もあるし、志津子から仕入れた志月の宝物の可能性もある。
無論、慧夢が知らない物である可能性も。
「とにかく、片っ端から壊してみるしかないんだが、そうなると……籠宮の兄貴の存在が厄介だ」
凍った領域だった筈なのに、陽志が動いていた光景を思い出しながら、苦々しげに慧夢は呟く。
「籠宮の兄貴が霊魂だとしたら、俺同様に凍った領域で凍らないのも納得が行くんだけど、それだと籠宮が家にいない時、家に侵入し難いだろうからな」
夢の鍵の候補である志月の宝物は、志月が身に着けている物もあるが、家に置かれたままの物もある。
家に置かれた物を探す場合は、志月がいない隙を見計らい、籠宮家を家捜ししなければならない。
本来なら、籠宮家に人が残っていようが、志月が近くにいなければ凍っている筈なので、慧夢からすれば家捜しの問題にはならない。
ところが陽志は凍った領域ですら凍らない為、志月が籠宮家にいない場合でも、陽志が家に残っていたら、慧夢は家捜しし難くなるのだ。
「籠宮の兄貴は、自分が死んで志月の夢に入ってる事とか、気付いてるのかな?」
少しだけ目にした陽志の様子を思い出し、慧夢は考えてみる。
だが、情報が少な過ぎるせいで、確信に至る答は導き出せない。
「結構なシスコンだったらしいから、このままだと籠宮が死ぬ事を教えれば、協力して貰えるかも? いや、むしろ籠宮が一緒に死のうというのを、喜ぶタイプのシスコンの可能性もある」
予想だにしなかった、夢世界に侵入している本物の陽志を、どう扱えばいいのか、慧夢は思い悩む。
だが、陽志がどんな人間だか良く分からないので、考えても答など出ない。
「籠宮の事だって知らない事だらけなのに、その兄貴の事なんか、分かる訳無いっつーの! 籠宮が緑茶好きだって事ですら、さっき知ったばかりなのに!」
慧夢は言葉を吐き捨ててから、緑茶のペットボトルに口をつけて、一気に飲み干す。
「――ま、知らないのなら……調べて知るしか無いか」
ポケットの中から懐中時計を取り出し、慧夢は現実世界での時間を確認する。
六月十日の午前一時十五分を、懐中時計は示していた。
色々と濃い出来事を経験したせいか、かなりの時間が過ぎた様な気が、慧夢にはしていたのだが、現実には一時間半も過ぎていないのだ。
「籠宮がチルドニュクスを飲んで、この夢世界が始まったのが六月一日。まだ十日目が始まったばかりだから、調べるのに使う時間は……あると考えていいか」
夢占秘伝の記述や、様々なネットの情報を信じるなら、永眠病……黒き夢は、始まった日を一日目として、十五日目の終了と共に終る。
十五日間分の時間続く訳ではなく、十六日目の午前零時を迎えると共に、夢の主は死を迎えるらしい。
絵里の話からすると、志月がチルドニュクスを飲んだのは、六月一日の夜。
慧夢には現実世界の日数でいえば、六日弱が残されている事になる。
「とりあえずは、情報収集で決まりだ。まずは知らないと、対策も立て辛いし」
そう慧夢は言い放つと、食べ終えたお握りの包装とペットボトルを手に立ち上がり、出入口を目指す。
ドアを開けて外に出ると、包装とペットボトルをゴミ箱に捨てる。
「ご馳走様でした……と」
夢世界の凍った領域にある食べ物や飲み物などを、金を払わずに食べたとしても、別に犯罪では無い。
凍っていない領域ならまだしも、凍っている領域でなら、夢世界のキャラクター達に気付かれ、取り締まられる事もない。
先程は殺人レベルの行為を行った様に、現実世界なら犯罪になる行為を、慧夢は夢世界で必要に応じて、行う場合がある。
夢だと分かっているので、普段なら大して罪悪感など覚えたりはしない。
だが、余りにも志月の夢世界が、現実に近いせいだろうか?
ファミリーストアで無銭飲食した事に対し、慧夢は普段より強い罪悪感を覚えてしまっていた。
「――現実世界に戻れたら、このコンビニで……お握りと緑茶買うか」
罪悪感を解消する為に、そんな決意を慧夢は固める。
そして、店頭に停めておいた自転車に跨って漕ぎ出し、慧夢はファミリーストアの前を後にする。
夕暮れに赤く染まる、絵の様に静止した街の中を、慧夢は自転車に乗って走り続ける。
情報収集をする為に、籠宮家に向かって。
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