104 不安って……兄さんは私の事、子供扱いし過ぎだよ
「いや、時間の感覚が……おかしい気がするんだ。時間が過ぎるのが妙に速かったり、いきなり時間がジャンプしたみたいに、先に進んでたり……」
何時の間にか、夕陽に染まる庭の方に、陽志は目をやる。
庭越しに見える空の様子は、夕焼けどころか、既に夕暮れと言える程の暗さと赤さ。
屋敷の中に射し込んでいる陽射も、居間やダイニングキッチンを赤く染めている。
「もう陽が沈みかけてるだろ? 確か、暴漢に襲われる前は……まだ昼間みたいに明るくて、空も赤くは無かったのに」
陽志の言う通り、慧夢が陽志を襲った時、まだ空は夕暮れでは無かった。
空の色が変わったのは、自転車に乗って帰宅した志月が、屋敷に近付いた頃合から。
丁度、殺された陽志の身体が、再生を始めた辺り。
陽志も朝霞も、自分達が目にした鮮血に染まり切った凄惨な光景のせいで、陽光の色の急激な変化に、その時は気付かなかった。
今改めて冷静になってから、陽光の変化と急激な時間の進み方に、陽志は気付いたのだ。
「――暴漢に襲われた夢を見てたって事は、眠っていたんだから、眠っている間に時間が過ぎただけでしょ」
「今のは……そうなんだろうけど。こんな感じに時間が急に過ぎてる事が多いんだよ、今月は」
「今月というと、大学が一時閉鎖になってからだよね?」
志月の問いに、陽志は頷く。
「先月までは毎日大学に通っていたのに、今月は家でダラダラしてる生活が続いてるから、生活のリズムが崩れて、体内時計がおかしくなってたりするんじゃない?」
「確かに、大学が休みになってから、家でゴロゴロしっ放しなのが、原因なのかも」
陽志は頭を掻きながら、言葉を続ける。
「交通事故死の夢を見て以降、車は運転する気になれなかったし、電車で友達の所に行こうとしたら、何度も人身事故で電車が止まったりしたもんだから、どうも外出する気自体が、失せ気味になってる感じなんだよな」
そんな風に陽志は、自己分析してみせる。
「家に篭ってるのは、心にも身体にも悪いよ。もっと外に出る様にした方が、良いんじゃない?」
志月のアドバイスに、陽志は頷く。
「そうだな、なるべく外に出る様に心がけておこう」
「――だったら早速、一緒に外出しようよ」
「外出って、今から?」
陽志は驚き、志月に問いかける。
「何処行くんだよ?」
「ヨークセンター」
ヨークセンターとは、川神市の中心部分……商業地区にある、ショッピングセンターである。
「ヨークセンターって、それ……夕食の買い物の荷物持ちしろって事だろ?」
志月は陽志の問いに、こくりと頷く。
「良いでしょ、兄さんの運動不足解消にもなるんだし」
しれっとした表情で、志月は陽志の言葉を肯定する。
「――分かった分かった、有言実行だ。可愛い妹の荷物持ちの為なら、ショッピングセンターだろうが商店街だろうが、何処へだろうとついて行ってやるよ」
陽志は志月の頭の上を、軽くぽんと叩いてから、言葉を続ける。
「そろそろ陽も落ちる頃合だし、暗い中……志月一人で買い物に行かせるのも、不安だからな」
「不安って……兄さんは私の事、子供扱いし過ぎだよ」
そう言いながらも、陽志に身を案じられるのは、満更では無いといった風な表情を、志月は浮かべる。
「着替えて来るから、少し待ってて」
そう言い残すと、志月はダイニングキッチンを出て、二階にある自室で着替える為に、階段へと向う。
少し速目の弾む様な足音が、志月の気分を表している。
志月を見送ってから、目線を居間に移し、陽志は呟く。
「――居間の戸締り、しておかないと」
外出するなら、開け放たれたままのガラス戸は、締めておかなければならない。
陽志は居間へ移動して、ガラス戸の方に向う。
陽志はガラス戸に手をかけて閉める前に、ふと慧夢が横切った庭と、跳び越した壁に目をやる。逃げ去る慧夢の姿を、思い浮かべながら。
「夢……だったんだよな、あれ。現実感有り過ぎたけど、現に俺は……死んでいないんだし」
首を傾げつつ、陽志はガラス戸を閉めて鍵をかける。
その上で、居間の他の窓や、居間だけでなく他の部屋の戸締りや、窓の鍵などを確かめ終えた陽志は、玄関に移動すると、漠然とした不安感や違和感を覚えたまま、志月を待った。
程無く、ジーンズに白い半袖のブラウスという、爽やかで活動的な私服に着替えた志月が、陽志に声をかけながら、階段を下りて来る。
「お待たせ!」
志月の姿を目にして、不安感や違和感のせいで曇っていた、陽志の表情が晴れる。
「じゃ、行くか」
陽志の言葉に、志月は頷く。
二人は靴を履き玄関を出ると、門の内側……庭とは反対側にある駐輪スペースから、二台のシティサイクル型の自転車を、数奇屋門の前に手で押して移動させる。
数奇屋門の前で、陽志はメタリックグリーンの自転車に乗り、志月はメタリックブルーの自転車に乗る。
そして、自転車を漕ぎ出した二人は、数奇屋門の前から走り去って行った……川神市の中心辺りにある、ヨークセンターに向かって。
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