103 手首だけじゃない、斧で頭も割られて首も切断されたんだ。無茶苦茶痛くて、意識も無くなって……死んだんだよ、俺
「不審者は? 暴漢は何処?」
籠宮家のダイニングキッチンに現れた、夏用の制服姿の志月は、木刀を手に身構えつつ、周囲を用心深げに見回しながら、陽志に問いかける。
木刀は陽志の旅行の土産物で、玄関の傘立てに立ててあった物を、志月が不審者対策に持って来たのだ。
「もう逃げたよ」
既に起き上がっていた陽志は、庭を指差して答えてから、志月を叱責する。
「――っていうか、家に入るなって言っただろ!」
「兄さんが襲われてるのに、自分だけ逃げられる訳無いじゃない!」
当然だと言わんばかりの口調で、志月は続ける。
「――それで、怪我とかは無い? 見た感じでは、大丈夫そうだけど……」
「ああ、怪我は……無いみたいだ。おかしな事に……」
切断された筈の右手首を見ながら、陽志は不思議そうな顔で、志月の問いに答える。
「おかしな事にって?」
陽志が怪我もなく無事であった事に、安堵の表情を浮かべはしたのだが、陽志の返答に気になる部分があったので、志月は訝しげに問いかける。
「いや、俺……不審者に斧で、右手首を斬り落とされた筈なんだよ」
「――? ちゃんと右手首、くっついてるじゃない」
「そうなんだよ、斬り落とされて……血がどばーって噴出した筈なのに、手首は元通りになってるし、血も全然見当たらないんだ」
きょとんとした表情を浮かべている志月に、頭や首に手で触れつつ、陽志は話を続ける。
「手首だけじゃない、斧で頭も割られて首も切断されたんだ。無茶苦茶痛くて、意識も無くなって……死んだんだよ、俺」
感じた痛みや恐怖などを思い出し、陽志は表情を強張らせる。
「頭も割れて無いし、首も切れてないし、死んでもいない様に見えるけど?」
何を変な事を言い出してるんだと言いたげな口調で、志月は陽志に訊ねる。
「――でも、気付いたら生き返っていて、頭も首も……手首と同じで、元通りになっていたんだ、おかしな事に」
陽志の話を聞いた志月は、呆れ顔で大きく溜息を吐く。
「そんな事、現実に起こり得る筈が無いじゃない」
「現実じゃないなら、何なんだよ?」
「夢よ、夢。兄さん、自分が不審者に殺される夢でも、見てたんでしょ」
ある意味、真実と言えなくもない言葉を、志月は口にする。
「夢? いや、俺は本を読んでいた時に襲われたんで、眠ってはいなかった筈だし、夢というには余りにもリアルで、本当に起こった事だとしか……」
「兄さん、先月の終わり頃にも、同じ様な事を言っていたじゃない。俺は交通事故で死んだ筈なのに、生き返ってる……みたいな事」
志月は苦笑しつつ、言葉を続ける。
「実際には死んでもいないし、身体も無事なんだから、そんなの夢を見ただけに決まってるのに、大騒ぎしてたよね……兄さん」
「あ、いや……あれは……その……」
その時の事が記憶に甦ったのだろう、陽志は気まずそうに狼狽する。
「――警察に通報する前に、夢だと分かって良かったよ。警察の人に『斧で斬り殺されたんだけど、生き返って傷も治っちゃいました!』なんて言ったら、怒られるだけじゃ済まなかったかも知れないし」
冷静になって考えれば、志月の言う通りだと思えたので、陽志は言い返せない。
自分が死んだり殺されたりした証拠を、陽志は他者に提示出来ないのだ。
「そんなに何度も、自分が死んで生き返る夢を見て、騒ぎを引き起こすなんて、兄さん……何か精神的なストレスでも溜め込んでいるのかもよ」
陽志が不審者に殺されて生き返ったという話も、先月末に交通事故で死んだという話も、志月は夢だと決め付けた前提で話している。
「志津子叔母さんに、一度診て貰った方が良いんじゃない?」
心療内科と神経内科がメインではあるが、精神科としての教育も受け、実務経験もある志津子は、精神カウンセラーも行える。
精神的な問題に関して、籠宮家の人間は、志津子に相談を持ちかける場合が多いのだ。
「――そうかもな、最近他にも……少し調子がおかしいとこがあるし、叔母さんに診て貰うか」
倒れた椅子を元に戻しながら、陽志は深刻な面持ちで呟く。
「少し調子がおかしい? 他にも何かあったの?」
陽志を案じ、志月は問いかける。