過去と少女と小さな勇気
スーツのスカートにスリットを入れるためのハサミを入れながら、目の前でニコニコ顔で座っている雪絵さんへ言う。
「スリットなんて自分でいれたらいいのに……」
「私、黄蝶ちゃんみたいにぃ上手に出来ないもの~。ていうかぁ、裁縫って苦手ぇ~。黄蝶ちゃんが凄過ぎなんだよぅ。13才にしてぇ自分の洋服作っちゃう娘なんてぇ~あんまりいないよぅ?」
私の趣味は裁縫で、最近は既製品の改造だけでなくデザインから服飾全般とアクセサリー作成にまで手を広げている。
「あとぉ、上のスーツの胸の所にぃ補強を~入れて欲しいのネ」
「ああ、その巨乳はブラだけじゃ収拾つかなそうだもんね」
「違うわよぉ~少しぃ抑えたいのよぅ。会社説明会用のスーツなんだものぉあんまりぃ胸が強調されて、お馬鹿な女みたいに見られてもぉ~困のぉ」
雪絵さんは私の家庭教師兼友達で、トロい話し方をするが巨乳で美人の女子大生だ。ちなみに家庭教師のバイトをするくらいだから勉強の成績も大学でトップレベルなのだそうだ。
その雪絵さんの暴れる胸にイラっとして、いつもどうり意地悪を言う。
「ふぅ~ん。で、胸の代わりに太ももで誘惑する訳だ?」
「ちょっとぉ~誘惑なんてする訳ないでしょう? 説明会だってばぁ~。ちょっと向こうの印象に残る程度のぉ色気が出ればいいのよぅ」
「……ま、いいけどさ……。どんなお仕事の説明会に行くの?」
「ん~今はぁ片っ端から行っているだけぇ~。最終的にはぁ法律系のお仕事に就けたら~いいかなぁ~」
「弁護士さんとか?」
「うぅ~ん、そぉねぇ~」
「巨乳弁護士! 今日も勝訴! みたいな?」
片手でカッツポーズをキメながら言った。
「うぅ~ん、格好良いけどぉ弁護士ならぁ検察官のがいいかなぁ~」
「美人巨乳検事の情け容赦無い求刑に容疑者蒼白!! みたいな?」
今度は両手で顔をはさんでショックの表情で言ってみた。
「なんかぁ~悪意を感じる例だけどぉ~まぁ……そうかなぁ~」
興に乗った私は立ち上がると、続けて舞台の上で自己主張するようにテーブルを叩きつつ言い放つ。
「ていうかさっ! 巨乳と言えば秘書だよ!」
「……どうしてぇ私と言えばぁ巨乳になっているのよぉ~、そして何故に秘書なのよぉ~」
私はオーバーアクションで叫ぶ。
「巨乳秘書と汚職公務員!」
「ちょっとぉ~」
「発覚する連夜に及ぶ密会! 多額の税金を巨乳秘書のために横領! 国民の血税は全てあの巨乳に吸い込まれたのか?!」
「こらこらぁ~」
「ついに逮捕された愛人を置いて外国へ逃げる巨乳秘書!! 県警は巨乳の指示による横領とみて逮捕状を請求!」
「何故かぁ~私がぁ~諸悪の根源にぃ~!」
ノリ良く頭を抱えている雪絵さんの背後から声がする。
「何を馬鹿なこと言ってんだよ?」
そう言いながら妹の藍燐が呆れ顔で現れた。
「なに? 雪絵さん汚職公務員の愛人やってんの?」
「そんな訳ないでしょう~? 冗談よぅ」
「ま、本当だったら雪絵さんのパパは卒倒するだろうけどさ」
雪絵さんのお父さんは警察官の偉いさんらしい。
「そういや雪絵さんのお父さんはお巡りさんだっけ? それで検察官になりたいってこと?」
「そうすればぁ~パパが困った時にぃ助けられるかもしれないしねぇ~」
「警察じゃだめなの? 検察官じゃ畑違いじゃないの?」
「う~ん。ま、そうなのかもぉ。でもぉパパの部下じゃなくてぇ~仲間になりたいのよぅ。パパは私を頼る事になるのよぉ~えっへへ」
なんだか照れ笑いする雪絵さん。
「…………雪絵さんって……ファザコ」
「それよりぃ~! 藍燐ちゃん~漫画はぁ描き終わったのぉ?」
私の台詞を遮ってあからさまに話題を変える雪絵さん。
「いや、まだだよ。喉が渇いたから何か飲もうと思って」
「そう? 出来たらみせてねぇ~」
「そんな簡単に出来たら苦労しないっつの」
藍燐の趣味は漫画で主に、というか完全にBL物に終始している。
その藍燐がキッチンへ姿を消すのを見送って雪絵さんに聞く。
「そう言えば前に駅ビルで雪絵さんとお父さんが2人で歩いてるの見たっけ……恋人つなぎで手を握って……」
「ぇ~そうだっけ?」
「うん、藍燐と一緒に目撃したから確か。私と藍燐の真横を通り過ぎていく雪絵さんは、私達にまったく気付かずに通り過ぎていったよ」
「えぇ~それはないでしょうぅ~?」
あたしも覚えてる。と言いながら藍燐がキッチンから瓶のコーラを片手にもどって来て言った。
コーラをラッパ飲みしながら同じテーブルに座る藍燐。
「だよねっ? 確かに見たよね! その後、エレベーターに消えて行く2人からは何だか危険なオーラを感じた訳よ」
「え? えへ。そんなぁ~恋人ぉみたいだったかなぁ~でへへ。パパには言わないでねぇ嫌がるから~」
幸せそうな笑顔で照れる雪絵さん。
「つか恋人みたいだったとは一言も言ってませんけど? 認める訳ね? ファザコンだと。お父さんと結婚しちゃいたいのだと!」
「でっへへ。何をぉ言ってるのよぅ黄蝶ちゃん~。父親と結婚出来る訳ないでしょう~?」
指をさして背後にバーン! という効果音を意識して言った私の台詞に何だかちょっとずれた返事が返ってきた。
「ちょ! 雪絵さん、それはマジでやべーって、黄蝶のブラコンなんて目じゃねぇよ!」
「ブッ、ブラコンって言うな!」
私達姉妹は養女だ。高校生の義理の兄貴である仁志に私は密かに憧れているが、血縁関係がないのにブラコンだと言われるのは心外だ。
それにどれだけ惚れても、仁志は男が好きなのも判明している。
それでも、諦めきれずにいる訳だが……。
「ブラコンじゃなきゃ何なんだよ? 兄妹には違いねぇじゃん」
「とっとにかく! い、今は雪絵さんのファザコン疑惑の話だよ!」
さすがの藍燐も驚きの雪絵さんのファザコンっぷりに話を戻すと、雪絵さんが弁解を始めた。
「その日は映画を見に連れて行ってぇくれるって約束でぇ。ずっと楽しみにしていたからぁ~そのぉ多分、舞い上がってたと言うか~」
可愛らしく照れながらぶりっ子で誤魔化そうとする雪絵さん。しかしどんな仕草をしても揺れまくる胸が可愛らしさを帳消しにして、セックスアピールにしか見えない。
その女っぷりにイラついた私は言う。
「大学生にもなって父親とのデートを楽しみにするってのが、そもそも変なんじゃないの? 映画館の暗がりで、ご自慢の巨乳使って父親誘惑してんじゃないの? つか、もう言えないような関係だったりして!!」
でへっ……。雪絵さんは照れて何も言わなかった。
「…………ちょ、ちょっと雪絵さん?」
もしや、聞いてはいけない領域に踏み込んでしまったのだろうか……。
「べっ別にやましい事はないのよぅ、仲の良い親子ってだけなのよぅ~か、勘違いしないでよねぇ~べ、別にぃパパなんかぁ好きじゃな……」
「ツンデレで誤魔化そうとしてもダメ!」
台詞を遮っての突っ込みに雪絵さんが言う。
「え? あは、あははは。じゃ、スーツヨロシクね~」
そう言って笑いながら立ち去った。
「親子の禁断の愛か……あたしの作風には合わねぇなぁ」
そういう藍燐へ答える。
「おい! なんでもネタにするな! なんで私の周りは変態ばっかりなのよ! まさか雪絵さんまで、あんなっ……」
そこまで言って、イラついている自分に気付いて舌打ちした。
「……黄蝶、羨ましいんだろ?」
「……な、なにがよ」
「あたし達にはいねぇもんな、父親」
「……いるじゃない。ちゃんとこの家の父さんが……」
その台詞を受け藍燐は、立ち上がり言う。
「ま、あたしは黄蝶がいれば別に親なんていらねぇけど」
それに。と続ける。
「あの家に比べりゃ変態だらけだろうが、ここは……」
「分かってる」
遮るようにそう言うと、藍燐はそれ以上何も言わず部屋へ戻っていった。
私は目の前のミシンを眺めながら、久しぶりに古い記憶を引き出す。
普段、絶対に思い出さないようにしている記憶を、今なら深く思い出しても大丈夫な気がしていた。
「家から出るんじゃねぇぞ!」
この台詞が私が覚えている父親の最後の言葉だ。
私はボロボロになった小さな子供用ミシンの玩具を手に黙って頷く。帰りの時間を聞いたり余計な事を言えば殴られるに決まっている。
――お父さんがいる時に藍燐が声を出して泣きませんように――
それが私が願う、たった一つの願い事。
母親という存在も薄ボンヤリと記憶にあるが、そんなものは私にとって何の価値も無かった。
お父さんが次に帰って来る時の機嫌と食べ物――私に重要なのはそれだけ。
だが、その日から父親がアパートに帰って来ることは無かった。
冷蔵庫の中身を全部食べ尽くして、藍燐の粉ミルクの残りも飲み尽した。
空腹に泣いていた藍燐が、昨日から泣かなくなった。
何度か玄関のドアをノックする音がしたが、応答をするなとお父さんに言われているので、返事はしなかった。
起きていられなくなり、藍燐に水を飲ませる事も出来なくなった頃、突然玄関の扉が開いた。
入ってきた男は、うっ! と声を漏らして口元を押さえる。
それから驚いた顔をして大きな声で私に言った。
「おい! 大丈夫か!」
私はこの男の人は怒っているのだろうかと心配していた。
それから数週間は信じられないような日々が続いた。
食事は1日に3回決まった時間にするのだと知った。
箸の使い方を習い、 毎日絵本を読んでもらい、お菓子を食べる時間まであった。
食事の残りやお菓子をこっそり残して洋服に包んで隠していると、ある日それがママ先生に見つかった。
ママ先生と言われる女の人は優しかったが、食べ物を隠していた事で殴られるだろうと覚悟して身を強張らせる。
「黄蝶ちゃん。どうして食べ物の残りを洋服で包んだりするの? ほらこんなに汚れてしまって……この家の子は誰も貴方の食べ物を盗ったりしないでしょう?」
叩かれたくなくて私は必死に訴えた――食べ物が必要なのだと訴えた。
藍燐が泣かないように、お父さんに殴られないように。
私の必死の訴えにママ先生は涙を流した――そして私の頭へ手を伸ばす。
反射的に頭を守ろうと手を頭に置いてから、しまった。と思った。
こうやってビクビクするとお父さんは怒るのだった。ビクビクしやがって! そう怒鳴って余計に殴られるから。
それを思い出して、手を下ろし気を付けの姿勢になる。
「……大丈夫。心配要らない。もう誰も貴方を傷付けない」
ママ先生はそう言って私を抱き締めると頭を撫でてくれた。
私は心配いらないとは、どういう意味だろうと考えていた。
ある日、ママ先生に呼ばれて応接室へ行くと太った老女とママ先生が話していた。
「ああ、黄蝶ちゃん。こっちへおいで」
言われるままに先生の横に座る。
「あのね? この人がね、新しい黄蝶ちゃんのママになってもいいって言ってくれているのよ」
意味が分からず黙って頷く私を見て、太った老女が言う。
「始めまして黄蝶ちゃん。私もここのような施設で先生をしているのよ。これからは私のお家で一緒に暮らしましょう」
驚いてママ先生を見上げる。ママ先生は笑顔で言う。
「この家はね、一時的に迷子の子を預かる場所なのよ。行き先が決まったら皆、次の家へ行かなければならないの」
「わ、私……行きたくない!」
産まれて初めて自分の意見を叫んだ。
ママ先生がいつものように頭を撫でながら優しく言う。
「この世界にはね、黄蝶ちゃんのように寂しい迷子さんがたくさんいるのよ。そういう子達がこの家に来る順番を待っているの。いつまでも、この家には居られないのよ……大丈夫、新しいママ先生も優しいんだから!」
私は前に座っている太った老女に聞く。
「あ、藍燐は?」
老女は顔の肉に深い皺を作って微笑むと答える。
「勿論、藍燐ちゃんも一緒よ。皆で仲良くしましょうね!」
その台詞に私はこの家にいることを諦めた。
大人に逆らっても無駄――それが唯一知っている世界の真理だから。
その日以来、その新しいママ役の老女が私達に笑顔を向けることは2度と無かった。
「今日からあたしの事は園長先生と呼びな」
それが地下室の一室へ引越しを終えた私達姉妹へ向けた、新しいママ先生の第一声だった。
新しい家は広く地下まである豪邸だった。庭には公園があり中央には噴水、室内プールまであった。
定期的に来るスーツの人が家を見回る時だけ遊ぶように命令された。
命令を守れなければ、お気に入りの乗馬用鞭で叩かれた。鞭で叩かれるのは耐えられる痛みではなかった。お父さんに殴られるよりずっと痛くて恐ろしかった。
この家の子供達は仕事を割り振られる。
私と藍燐の仕事は地下室の掃除と造花を作ることだった。
食事は1日に2度で週に1度のシャワー、稼ぎが良かった者に時々だがお菓子が与えられることもあった。
与えられた仕事を終えないと食事をさせて貰えず、園長先生の機嫌が悪ければ裸にされて鞭で打たれる。
小さな藍燐は上手に仕事をやれず、よく園長先生の逆鱗に触れた。そんな時は藍燐を叩かないように許しを懇願するが、ついでとばかりに私も叩かれるのが常だった。
ある日、園長先生の命令で町の役所まで同行した。
「ずっと笑顔でいるんだ。質問には、はい。とだけ答えろ」
そう言われていたので、その通りにした。役所の人との三者面談が済むと、園長先生が書類を書いている間、図書室へと役所の職員が案内してくれた。図書室までの道すがら役人に、さっき園長が言っていた事は本当かと聞かれたが、全て本当だと答えた。
図書室の扉を開け中に入り、更にその一角の扉を開けると絵本が並んだ子供用の広場になっていた。
園長先生のお仕事が済むまで、自由にしていいと言われ所在無げにうろついていると、奥のテーブルで絵本を読む少年がいるのに気付いた。
それが、後に兄となる小学生の仁志だった。
仁志は私に気付くと笑顔で言った。
「こんにちは。君もパパを待っているの?」
私は何故かドキリとして後退さった。その笑顔に優しかったママ先生と同じ種類の暖かさを感じた。
2歩下がった所で足元のクッション製の積み木に引っかかり転んだ。
その拍子に着ていたワンピースが思い切りめくれ上がる。
立ち上がろうとすると、仁志が手を差し伸べて言った。
「痛そうだね……大丈夫?」
そう言う仁志の視線はめくれ上がったワンピースの中の身体を見ていた。
痛そうだと言う台詞が転んだ事ではなく、身体の傷のことだと気付く。傷だらけなのが恥ずかしくて慌てて服を直した。
その時、入り口が開き背の高いスーツ姿の男の人が現れた。
「仁志、待たせたな。さぁ、帰ろう」
父さん! と仁志はその男の人に走り寄ると何やら耳打ちをした。その時は仁志だけの父さん、そして後に私と藍燐のお父さんになる人は言う。
「お嬢さん、うちの仁志と友達になってくれないかな。君の事が気に入ったみたいなんだ」
私は友達の意味が分からなかったが、何と無く黙って頷いた。
その私の前にしゃがんで父さんは続けて言う。
「君のお家は何処にあるんだい?」
どう答えたら良いものか考えていると、バンッ! という扉の音と共に園長先生が入ってきた。
じろりと仁志と父さんを睨んでから私に向いて言う。
「さぁ、とっとと帰るよ!」
そう言って私の手を取ると引っ張っていく。その後ろ姿に父さんが言う。
「お嬢さんのお名前を教えてくれるかな?」
「何であんたに教えなきゃならないんだい」
「いえ、うちの息子が、そのお嬢さんと友達になったようなのでね」
「……ふんっ」
鼻で笑って私の手を引いて出て行こうとした時だった、唐突に仁志が私に駆け寄って来た。
そして両手で私のワンピースのスカートを思い切りまくった。
全身のミミズ腫れと痣が露になり、恥ずかしさのあまりその場にうずくまった。
そして父さんはいう。
「痛そうだね……ずいぶんと傷だらけだ」
園長先生は舌打して言う。
「ドジな娘でね、よく転ぶんだよ。さぁ行くよ!」
その夜は、手間をかけさせたという理由で血が出るまで鞭で叩かれた。
それから二日後の事。
いつものように、地下の一室で作業としていると上で何やら騒いでいる音が聞こえた。しかし自分達には関係ないので黙って作業を続けていると、地下室の扉が開きスーツ姿の男達数名が入ってきた。
1人は部屋の写真を撮り、1人は後ろで騒ぐ園長先生を制している。もう1人が私達に向かって言う。
「もう大丈夫だよ。ここから出よう」
園長先生はその場で逮捕され、子供達は更なる施設へと移動した。
その施設のことは殆ど覚えていない。何故なら施設へ移動した次の日に図書室であった父さんが、私を迎えに来たからだ。
私は藍燐と一緒じゃなければ誰の子供にもならないと言った。そして父さんは二つ返事で私達姉妹揃って来て欲しいと言った。
「黄蝶と藍燐がうちの娘になってくれて、嬉しいよ」
それが家に着いた時に言った、父さんの第一声。
それからは全く普通になった。多少お嬢様な暮らしなのだが、それは後になってから知った。
とにかく、鞭で叩かれる事も食事の心配もしなくていい毎日。
私達姉妹は仁志と家族になり、学校へも行き始めた。
学校の勉強に追いつくために必死で勉強する日々がしばらく続いた。
その頃から雪絵さんが家庭教師として勉強を教え始めてくれた。数ヶ月で勉強を詰め込んだのに、苦労した記憶は無い。私達姉妹にとって、どこか嬉しい辛さだったからだと思う。
なにより、ここを追い出されるのを恐れていた。それで父さんに嫌われないように必死で勉強したのだが、今となっては笑い話だ。
藍燐は勉強が性に合っていたのか、凄い勢いで覚えていき、あっという間に学校で1番勉強の出来る子供になった。
私はと言えば、クラスのレベルに追いついた時点で勉強は手を抜くようになったが……。
でも、成績が悪くても父さんは叱らないし、あらゆる意味でこの家は自由だ。勉強にも生活にも、そして性にも……。ルールは無い。
でも例えば、門限が無いからと言って私達は夜遊びするような事はない。それは仁志も同じで自由だからこそ父さんを失望させないようにするのかもしれない。
それが私達兄妹3人の暗黙のルール。
その父さんは今でも言う。
「黄蝶と藍燐が私の娘になってくれて、嬉しいよ」
好きなワインを飲んだ時、昔と変わらずに――決まってそう言う。
雪絵さんに頼まれたスーツの改造を済ませて部屋に戻ると、藍燐がベッドに寝転がってゲームをやっていた。
「漫画はどうしたの? 完成?」
「指と目が疲れたから、今日は終わり」
「それで、DSやってりゃ世話ないわ」
「対戦しねぇ? 音ゲーだから黄蝶にも簡単だよ」
自分の机に座りながら首を横に振る。
ゲームで対戦など数年前なら考えられなかった。そもそもゲーム機自体の存在を知らなかった。
「藍燐はママ先生覚えてる?」
あん? とゲームをしながら藍燐が答える。
「あたしは殆ど記憶にねぇよ。それがどうした?」
「なんか思い出しちゃってさ。この家に来る前に唯一優しかった人だったんだよね。笑顔が凄く暖かくて……」
藍燐がゲームから目を離して私を見る。私も藍燐を見て続ける。
「ママ先生の顔、実は殆ど覚えて無いんだけど優しいイメージは残っていてね、それで仁志に初めて会った時の事も思い出したんだ」
「はぁ? なんでママ先生の話が仁志の話になるんだよ?」
思い出したばかりの、始めて図書室で仁志に出会った時の話をした。
「初めて逢った時、笑顔だったんだ……仁志。その笑顔がママ先生みたいだなって、その時思ったの。多分、私はあの時から仁志が好きなんだ。あんな施設にいた時代でも良い思い出があるんだなって……」
その台詞に藍燐は妙な顔をして言う。
「……まさか、あの施設に郷愁を覚えてんの?」
「郷愁ってどういう意味?」
「あたしは施設に良い思い出なんて一つもねぇよ。あの婆ぁも死んでる事を願ってるね」
私の質問は無視してそう言うとゲームに向き直った。
「私だって、園長の婆ぁは大嫌いだけど。そうじゃなくて……。でも、確かに藍燐にとっては、ただ最悪の日々だったよね……」
藍燐はふて腐れた表情でゲームをやりながら、呟いた。
「そうでもねぇよ……黄蝶がいつも庇ってくれて……」
何だか赤くなって、そう言う藍燐が可愛い。
「ふふ。あの日々があったからこそ私達の結束があるし、父さんや仁志と家族になれた。私……あの頃を思い出すのが辛くなくなってるの」
ま、さっき気付いたんだけどね。と背もたれに寄りかかり頭の後ろで手を組んで天井を見上げた。
ふぅ~ん。と藍燐がにやりとする。
「つまり、結局、最終的には仁志が好きって話か」
「違うわ! もっとこう……大きな話だよ!」
「だって、話の始めも終わりも仁志じゃん」
「そ、そうだけど……仁志だけじゃなくて、なんて言うか……」
へへ! と笑いながら藍燐が言う。
「分かってるよ。あたしだって、もう全然あの頃の悪夢を見ないしね。父さんに仁志や雪絵さんが何年も癒してくれてたんだから、感謝しねぇとな」
癒して? 不思議な顔をしている私に藍燐が言う。
「あたしも最近気付いたんだけどな。前に精神療法について調べてみたんだよ、心的外傷と治療法とかそんなやつ。振り返って考えてみると、あたし達の周りは、あたし達を中心に回っていた訳よ。あたし達が普通の生活を送れるのは、周りの努力の賜物なの」
難しくて言っている事がよく分からず、首を傾げる私に呆れ顔で藍燐が続ける。
「つまり、この家に来れたのは幸運! そして、仁志を身体で釣りあげた黄蝶の、お手柄さ」
「なんの話じゃい!」
その表現に思わず叫んだ。
「ワンピースの中の裸で仁志の気を引いたんだろ?」
「わざとそうしたみたいに言うな! は、裸だけど……なんか違う! 全然違う! ああ! 私の美しい思い出がぁ!」
「そうか。その時の下着が汚れた一張羅だったから、それが恥ずかしかったって話か?」
「ちっ! 違いすぎる! お前、話をどう聞いてたんだ?!」
頭を抱える私に容赦無く続ける藍燐。
「でも、それで仁志が黄蝶を気に留めたなら、そこらへんが仁志の趣味なのかもよ? 仁志を男好きから女好きにするには汚れた下着がキーかもしれねぇじゃん! 良かったな黄蝶、良いこと思い出して! あっはは」
「止めて~ちがうぅぅ~!!」
そう叫んでいると部屋をノックする音と仁志の声がした。
「おお~い。父さんからメールで外食しようってさ。店集合だから一緒にいくぞぉ」
ギクリと青くなりつつ、そっと扉を開いて聞いてみる。
「あ、あの……なんか聞こえた?」
「いや、別に。すぐ行くから早く着替えろよ」
そう言って廊下を進んで立ち止まり、振り向いて言った。
「ああ。僕は汚れた下着に興味はないから、悪しからず」
そういって、笑いながら廊下を歩いて行った。
「藍燐の馬鹿やろー! 勘違いされただろ!」
そう言って藍燐をチョークスリーパーする。
「ぐぇぇ! 冗談だって! 死ぬぅぅ~!」
バタバタと騒ぐ私達へ仁志が廊下の奥から、早くしろと叫んでいる。




