恋に恋し恋焦がれ~アイラモルトと酔っ払い~
好きな人がいます。
以前勤めていた会社の先輩であり上司。
この方、普段は冷静で仕事も出来ます。
部下の相談にも乗り一緒に悩み、時には厳しく、時には優しく。まさに出来る女なんです。
しかしねぇ。この方お酒が入ると、豹変するんです。
え? どういう風にって? それを今から話すんですよー。でも僕の大切な人なんです。酔うと守ってあげなきゃって思うし、それが僕の役割なんです。彼女かって? いいえw歯牙にも掛けられていない。と思います……でもいいのです。僕は近くにいられるだけで、幸せなんだから。
*
玄関を開けた瞬間から、ムワァッっとした温い空気が、泥炭の様な臭いと共に僕の鼻腔をつく。パパっと手早く靴を脱ぎ、「おじゃましますよー」っと誰に言うのでもなく、いそいそと侵入を試みた。
玄関から真っ直ぐのびた通路の先に、漏れ出ている電球色の柔らかい光。
そしてドアが少し開かれたリビングへ直行すると、案の定床に転がるラガヴーリン16年物の空き瓶……、とソファーの上で丸まり、ムニャムニャと眠る犬系お姉さんな元上司。
「おーい、そこはベッドじゃないですよー。歯磨いて寝室へ行きなさいよー」
大きめサイズのTシャツの裾に隠れたホットパンツが妙に色気を醸し出すしており、ゴクリと生唾を飲み込んでしまった。不覚にも、音が意外にも大きく響いた。
「むにゃぁ~?」
野性的な感が働いたのか、犬系のくせに猫の様な鳴き声で、微睡みながら僕を見上げるお姉さん。
「……ほら! 酔っ払いはさっさと寝る!」
疚しい気持ちを誤魔化す僕は、目の前で再び沈みゆく、犬の意識を引っ張り上げる為、彼女の頬をペチペチと軽く叩いた時だった。僕の振った手が起こした微風に乗って、お風呂上がりに塗り込んだであろう、ボディバターの残り香が脳を犯す。
「むぅー、ばぁかー」
睡眠を妨げられてご立腹な様で、唇を尖らせ年齢よりも幼い声で少し舌足らずに抗議されると、年甲斐もなく初な反応をみせる僕の鼓動。
トクトクと高鳴る心臓を「しずまれーしずまれー」と抑え、散らかった部屋の片付けにかかるしかなかった。
しかし、ノーリアクションを決め込んだ僕に、無視されたと思った犬系猫擬きは、ぷぅーっと頬を膨らませ沙汰を言い渡して来た。
「だっこぉ」
僕の気持ちに気付いてる癖に、巧みに距離を保つお姉さんの攻撃は、相変わらず今日も優しくなかった。だがしかし、気力と理性を総動員で返事をする。
「何言ってんですかイイ歳こいて。自分の脚で行って下さいよ」
転がっていた瓶を拾い上げながら言ってやると、無言でスクっと立ち上がったお姉さんが、眠そうに目をシパシパさせ目の前に立ち塞がる。その目は妖しく濁っていた。
「桂さん?」
少しヨード臭い吐息が鼻に掛かる距離から、若乃さんが光の無い虹彩で、ジーと見ながら僕の名を呼んだ。
「な、なんですか?」
どちらかが前に出れば、唇が触れ合う位置まで接近してくる若乃さんに、思わず声が裏返ってしまった僕は、「しまった」と内心後悔する。
「ん……桂くんはぁ……ウチの事、重いってぇ思ってるん?」
動く唇。
覗く舌。
掛かる吐息。
若乃さんは言った口で、下唇をなぞる様に動かした桃色の触手を、僕に見せつけた。わかりやすい位の挑発だ。
しかし悲しいかな。惚れた弱味か、それともヘタレなせいか。僕は挑発に乗れず目を逸らして答えた。
「そ、そんなの知る訳ないじゃないっすか!」
言いながらも、以前酔った時に「160センチの47キロ」とタンクトップ一枚になって胸を張っていた姿を思い出す。
テカテカとした生地に、プクリとした凸をイメージする直前、僕の両頬がグミュっと掴まれ、逃げた視線と距離を引き戻された。
「いひひ。知らないならぁ知ればぁ……いぃんだよ?」
化粧っ気の無いトロンっ、とした大きな垂れ目が僕の視線を絡めとる。突然の不意討ちに、バクンバクンと暴れる「心の臓」に更なる試練が。
頬からスルリと白魚の手指が、僕の耳朶に掛けられ弄られる。甘い痺れに堪らずビクンっとするが、若乃さんの誘惑は止まらない。そのまま両手は脰に回され、僕の首の後ろでガシッと組まれたのを感じた。
「ちょっ! ちょっと北川主任!?」
これは流石に一線を越えかけないと、全力で離脱しようと若乃さんの肩に両手を掛けた時だった。
「あー桂くん、ウチがぁ君にその呼ばれ方するの嫌いなの知ってて、あえてとか鬼畜すぎぃ。それにもぅ君の上司じゃなぃよねぇ?」
ムッと形の良い眉をひそめる若乃さん。あ、っと思った時には後の祭り。笑顔が笑顔のまま別の表情に変化した。
不味い不味い不味い。
「す、すいませっん!」
固まったままの両腕はそのままで、噛みながらもどうにか謝るが効果は……
「だぁっこぉ」
無かった様で捕食者の眼をした若乃さんが、ゴディバのチョコレートリキュールよりも甘い声音で、僕の性欲を刺激して遊ぶ。
そう。この女性は僕がその気になると、実に巧妙にかわすのだ。だから僕は全力で理性を働かせ、若乃さんの思惑から脱出を試みた。
「分かりました! いいですよ……抱っこします。はい! いいっすよ!」
目には目を!
バッと彼女の肩に置いたままだった両手を大きく広げ、受け入れる表明と共に体勢も正す。しかし僕は自分の浅はかさと、犬系エロ娘の斜め上を行く行動を思い知る。
「うひひ。そか。桂くんはぁ、おねーさんをだっこぉしてくれるんだぁ……だきしめて……いぃ?」
は?
え?
何言ってるんですかこの若乃さん。
ここは「むぅ……なんか桂くん発情してるぅ。狼さんは駄目ですよぉ」って感じで、いつもみたいに逃げる場面でしょうが!?
なのに、何この流れ。いいの?
ねぇいいの?
僕我慢出来なくなるよ?
ぎゅぅ。
しかし脳内会議が始まる前に、全てが終わり、全てが始まりました。
「へ、返事がないからぁ、肯定で……ぃいんだよねぇ?」
更に、ぎゅぅ。
175センチの僕の首に巻き付いた腕が、位置を変え背中に回され、そして抱き締められた。顎をあげた若乃さんの首筋が僕に無防備に晒され、上気した肌から弱酸性の匂いが浮き淫らな欲が支配する。
「な、な、何で今日は……?」
ガチガチに硬直させながら、最後の理性で確認する。
「……ナイショ」
目を合わせた彼女は短く、小悪魔的に言った。
同時に、ぐらぁっと目眩がして、僕の理性にさよなら。
欲求の走るままに、ガッと腕が細く柔らかい身体に食い込む程、強く、強く欲する。乱暴な僕の包容にも関わらず「はぁぁ」、と弛んだ息を吐く補食対象。そしてその反応に更に膨れる欲。
でも
「ぁ……だっ……こぉ」
どうやら抱擁ではなく、抱っこを所望している彼女は息も絶え絶え、僕にせがむ。いつもと違う若乃さんに掻き回される本能。
「やだ」
「こら」
焦らすつもりで言ったら、彼女から結構本気で睨まれ、酔った勢いからか触手で僕の首根をチロチロつついてきた。
「おねぇーさんの言うことぉ、聞きなさぃ」
口ではそんな事を言う癖に、とんでもない質感で肌を弄る犬系女子に僕の本能が牙を剥いた。彼女を半身にすると、僕は腰を落とし左腕は背中を支えながら、右腕をしっとりとした膝裏へ差し込み、一息に抱き抱えた。
決して太くは無い。でも程よい肉感的感触が密着する部位すべてから伝わってくる。逆に僕からは雷の様な鼓動が伝わっていく。
「どこに……運んでぇくれるのですかぁ狼さん?」
アルコールだけじゃなく、別の要因で染め上がった肌で犬系兎さんが聞いてくるので、僕は無言で舵をきった。
お姫様抱っこのまま、リビングを出て直ぐの寝室へ入ると、僕はセミダブルのベッドへ彼女をボンっと降ろし、覆い被さった。
ギシリ……小さく軋み沈み込むマットレス。
「若乃さん……」
昂る気持ち抑えずに僕の唇は、想い人と重なる。
寸前。
少し焦げ臭い匂いを付けた手が邪魔をした。
グラスに注いだ際に溢したのだろうか、ラガヴーリン16年の薫りが唇に当てられ、「何で?」と抗議の意思を飛ばす。
「ダァメ。ここからぁ先はぁ、まだぁたりないよぉ……桂くん……いぇるかな…………いわなきゃぁ……ね?」
鉄壁系おねーさんは蕩けそうな顔で、そう言いましたとさ。 了?