099 福岡の大御所芸人
こうして、インターネットで検索した博多ラーメン専門店に行こうと石井とAKIRAはタクシーに乗っていた。目的地は唐人町商店街である。そこはクレイジーモンスターズの本拠地に近いため、多くの野球ファンでごったがえしている場所だ。変装もせずにこんな場所でうろついたら、それこそパニック状態になってしまうので、AKIRAは十分な変装をしていた。無論、石井は変装しなくて大丈夫だ。
そしてようやく商店街に辿り着いた。見ると、タクシーのメーターは1万円を超えているではないか。あまりにも理不尽さを感じる。これはタクシーの運転手に「こいつら地元民じゃねえな」と足踏みされたあげく、わざと遠回りの道を走ってメーターwp上げたという汚い手だろう。
さすがのAKIRAもムッと来たが、ここで態度に出すのは愚かだというのは良く知っている。真の大人なら寛大な態度を見せて1万円札を出すものである。それ故に、AKIRAはポケットから細くてしわまみれの財布を取り出して、なけなしの1万円札をそこに置いた。
すると運転手はニヤニヤとした顔で受け取ると「まいど、おおきに」という似非関西弁を声に出していた。これは二人が関西人だと知っての侮辱行為だ。これにはさすがのAKIRAも発狂寸前になっていたが何とか理性で怒りを沈めて、二人は商店街の地に足を踏み入れたのだった。
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「あのタクシー運転手……人をバカにしているな」
爆発寸前だった。野球選手としてのAKIRAはクールで決して怒る素振りはみせないが、オフはAKIRAというペルソナを脱ぎ捨てて、渡辺明に戻る。渡辺明という人間はとても純粋な人間で喜怒哀楽が激しいのだ。と言っても、一般人の中では比較的大人しい方なのだが。
「そうだな。特に最後の言葉はイライラさせられた」
あの石井でさえも腹が立ったというのだからよっぽどだ。
「まあいいさ。取り敢えず目的地には着いたから良しとしよう」
切り替えが早いのもAKIRAの特徴だ。たとえ怒りで脳内が沸騰状態であっても、瞬時にスイッチを切り替えて目の前の事に集中する。たとえペルソナを脱ぎ捨てたとしても、彼の心の中には自身の哲学が残っているのだ。
「ああ。いつまでも怒ってたって仕方ないし、目的の場所へ行くか」
ここは地下鉄が近い事もあって、人通りがかなり多い。しかも今日は福岡出身のコンビ芸人が商店街に来ているので、想像以上の人だかりが出来ていた。
「あれって……福岡出身の某芸人じゃないか」
AKIRAはそのコンビ芸人に向かって指を差した。すると石井もその方向に振り返る。
「ああ。本当だ。テレビで見た事がある」
有名人が近くにいるという事はかなりテンションが上がるのものだ。何を隠そう、AKIRAも胸をときめかせて、彼らの巧みな話術に耳を澄ませていた。
「まさか……有名人をこの眼で見れるとは」
彼の目はキラキラと宝石のように輝いている。なんせAKIRAが中学の頃は、芸人になりたくてなりたくて仕方がない時期があったのだ。それぐらい憧れている存在が目の前に入れば少年のように心躍らせるのむ無理はない・
「華奢な方が先生って呼ばれてる人だよな。それでギョロ目の方がアタックチャンスの人か」
相変わらず、知ったかぶりの知識を披露するのがお得意の石井だ。彼はそんなに物事に詳しい訳でもないのに、全てを知っているような口ぶりで話すので、非常に困ったちゃんである。しかし、それが彼の愛される部分でもあるのだが。
「くそ。話し掛けたいが、それだと俺の正体がバレる」
バラエティ番組が大好きなので、無論あの二人の事も好いている。出来ればサインを頂きたいところだが、そうするとAKIRAだというのが周りの人間にばれてしまうだろう。なんせ、あの二人は野球熱も高いのだから。
「それだけはやめとけよ。警察署の人間が総動員する騒ぎになるぞ」
AKIRAがこの場所にいる事がバレれば商店街がパニックになるだけでは済まされない。興奮した一般人が怪我をしてしまう可能性だってあるのだ。それだけは避けねばならないと石井が釘を刺してきた。
「分かってるさ」
「その通りだ。じゃ、目的のラーメン屋に行くか」
「そうしよう」
AKIRAは肩を落としながら、目的の場所まで歩いた。せっかく憧れの存在が目の前にいるのに、話す事も出来ないなんてと考えるだけで憂鬱になる。しかし、ここでAKIRAが彼らの前に姿を現すと、とんでもない事態を招く危険性もあったので、ここは石井の指示に従った。
「やっぱり元気なさそうだな。それだけ彼らとお話しがしたかったのか」
「学生時代、俺は部活以外のほとんどの時間をテレビを見て過ごしていたからな。そりゃ思うところもあるさ」
この落ち込み方はスランプに直面した時と良く似ていた。それだけショックだと言うのだ。
「でも、福岡の大御所に遭えただけでも良しとしようや」
「そうだな……いつまでも落ち込んでいては仕方ないし、彼らを一目見ただけで幸運だと思うとするよ」
AKIRAはそうだと言うのだった。




