090 DH解除
常識とは当てに為らない。特にプロ野球界においてはそうだ。今までの常識を打ち破ることによって数々の名声や富を築いた選手は何人もいる。その中の一人が東川という男だ。彼は傍から見れば「ふざけているのか」という声が飛んできそうなフォームで投げている。だが、本人からしてみれば至って本気なのだ。如何にも伝統を重んじるタイプの老人には彼は未だに認められておらず、毎朝日曜日の朝に「喝」と言われている。
それでも彼は自分のやり方を変えずに、これまで野球道を貫いてきた。だからこそ阪海のエースピッチャーとして今も尚、君臨する事が出来るし、バッティングにも期待されているのだ。
「しかし監督も思い切ったな。DH制を解除して東川を打席に立たせるとは」
本来ならば9番レフトの山室に打席が回る筈だったのだが、監督は東川の高い打撃力にかけて敢えてDHを外したのだ。これにより光太朗がレフトを守る事になったのだが、そこは監督の博打だろう。
「東川先輩なら必ず打ってくれるさ」
AKIRAは期待を胸に膨らませていた。他の野手の時もそうだが、この東川においてもそれは変わらない。
「そうだな。俺も一応期待はしておこう」
光太朗もそう言うのだった。そして東川とブライアンの対決が始まった。初球は134キロのストレートが内角いっぱいに決まってストライク。精密機械と言われるだけあって、彼のコントロールは群を抜いている。捕手が構える場所に的確なボールを投げ込む。それが出来るのと出来ないのとでは全然違う。
その渾身のストレートを東川は振らなかった。あまりにもボールとストライクとが判別し辛かったので振る事が出来なかったかもしれない。しかも初球から厳しい球を振るのはピッチャーのバッティングでは考えられないので、ここは正解だとAKIRAは内心思った。
「ふう……初球は振らなかったな」
ピッチャーが初球から振りにいくのは自殺行為だ。AKIRAぐらいミート力の高い選手ならば話は別だが、生憎東川は三振製造機だ。選球眼なんて無いに等しく、来た球を本能的に打ち返すというタイプだ。そんな選手が初球の際どい球を振りにいって凡打に終わるなど屈辱もいいところ。
「本当に彼奴で大丈夫かよ。本職はピッチャーだぞ」
「少なくとも、山室先輩よりは期待できると監督は判断したんだろう」
今年の山室は散々だ。あれほどAKIRAが「ホームランを打つとスランプになるぞ」と釘を刺したにも関わらず、4月の18日に代打ホームランを放った。それから彼は魔法がかかったかのように打撃が狂い、現時点まで1本もヒットを打っていない。それでも守備能力や盗塁技術は高いので守備固めや代走要因で1軍に在籍はしているが、もはや去年の山室では無い。
去年は規定打席未到達にも関わらず両リーグで唯一の200本安打達成者だった。歳も歳なので今度こそ全盛期が訪れたとファン達も期待していたのだが、その全盛期も一瞬で終わってしまった。今の彼は地味な裏方作業に回る事を生業として生きている。いや、しがみついていると言っても過言ではない。
ただ、彼の復活は皆も期待している。それは確かだった。
「ホームランの魅惑に取りつかれた単打男か。そりゃ期待できないな」
「あいつは本来、ホームランを打つ技術が無い。ホームランを打つ技術さえあれば、あのもやし体形でも本塁打王を獲得できるが」
そう、ホームランを打つために握力など必要ない。本当に必要なのは技術だという事をAKIRAは知っている。筋肉隆々のパワーヒッターだからこそ、分かる事だった。
「そうだな。握力が40程度の奴でも中距離バッターとして活躍している」
「そう言う意味では、山室と東川は相反するな」
そう、ヒットを打つ技術に長けている者とホームランを打つ技術に長けている者だ。両者共に反対の長所を持ち、反対の弱点を持っている。
「あいつは日米通算で18本もホームランを打っている。打率は壊滅的だがな」
「メジャーリーグでもホームランを打ったのか。それは初耳だ」
東川が元メジャーリーガーだという事は知っていたが、それでもメジャーでホームランを放った事については知らなかったのだ。
「お前の言う通り、ホームランを打つ技術は相当高いかもしれんな」
するとだ。至近距離で風船を割ったような破裂音がしたと思うと、観客の歓声が球場内に轟いた。なんだなんだと二人が立ち上がって確認すると、何故か東川がゆたゆたとベースを歩いていた。
初めは死球でも当てられたのかと思ったが、東川は一塁を通過して二塁へ行くではないか。何かがおかしい。そう思った瞬間に、何があったのか完全に理解したAKIRAだった。
「まさか!」
そう。そのまさかだった。東川は本当にホームランを放って、ダイヤモンドを一周しているではないか。AKIRAは何が起きたのか完全には理解できていないため、ハイタッチを終えてベンチに帰ってきた東川に話しかけた。
「ふう……手応え十分だった」
東川がベンチに座ると、AKIRAもその横に座った。そしてタイミングを見計らって声をかける。
「どうやって打った?」
「あいつの自慢のナックルカーブを弾き返したのさ。バックスクリーンに」
しかも、バックスクリーンにだと言うのだ。
「あの支離滅裂な打ち方でか!」
「そうだ。敢えて自分から体勢を崩したのが良かったのかもな」
東川は冷静に語っているが、それを聞いたAKIRAは冷静ではいられない。次の打席には石井が立っているので、彼は大声を出して石井にこう伝えた。
「めちゃくちゃ打法だ! ブライアンさんを粉砕するにはそれしかない!」
AKIRAが思いのままにそう叫んだ。果たして『めちゃくちゃ打法』で言いたい事が伝わるのかと不安に感じたが、石井はゆっくりと後ろを振り返ったと思うと、笑顔でグーサインを出していた。
どうやら言いたい事が伝わったらしい。さすがに30年以上も現役な人は違うと、AKIRAは感心しながらベンチに座るのだった。




