074 爆発する遺伝子
神野光太朗という男は小学生の頃から悪餓鬼だった。友達のおもちゃを横取りにしたあげく、存分に遊んだ後に壊してからおもちゃを返すという外道っぷりもさることながら、人の言う事の真逆をするタイプだった。光太朗は府内でも有名な神野財閥の次男坊であり、将来が約束されたエリートとして勉強に明け暮れる筈。両親もそう確信していただろうが、真実は違っていた。何を思ったか、光太朗はたまたま中継で見ていた高校野球の姿勢に惚れて、それ以来は勉強そっちのけで野球漬けの日々を過ごしていた。無論、両親は何度も光太朗を説得させようとしたが、海水を飲み干そうとしても飲みきれないように、光太朗は言う事を聞かなかった。
両親も諦めて、光太朗の要求する野球道具を全て提供するようになった。次第に光太朗は野球人としての力に目覚めていき、いつしか強豪校の四番を任される程のバッターに成長したのだ。それから光太朗は高卒でプロの道に進んだのだが、ふとした瞬間に練習嫌いとなり、選手としての質が落ちていった。しかも元来の性格通りコーチが「練習しろ」と言ったら、ベンチに戻ってゲームをする程の天邪鬼っぷり。
そんな光太朗の事を世間の人はこう言っている。『高校時代が全盛期の選手』と。言われてみれば確かにそうかもしれない。10年以上も素振りすらしなかったおかげで、徐々にだが成績が落ちていったのだ。高卒1年目で、20本以上ホームランを放ったがそれを機にドンドンと成績が落ち込み、おととしは5本程度しかホームランを打っていなかった。
だがだ。AKIRAという存在と干渉してから、光太朗は選手としても人間としてもガラリと変わった。あれほど嫌いだった練習を自分からするようになり、成績も明らかに向上している。光太朗が何故、これほどまでに変わる事が出来たのか、それは初めて負けを喫したからだ。この負けというのは選手として負けたのではなく、人間として負けた事。今まで自分よりもサラブレット人生を送った人物にはあったことがなかったので、AKIRAの世界陸上銅メダルという快挙を聞いた時には度胆を抜かされたようだ。おまけに殴り合いの喧嘩には敗れて、全ての面で自分はAKIRAより劣っていると気付かされた。
上には上がいる。それを確認出来ただけで十分だったのだ。
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「敢えて失敗するか」
「そうだ。自発的に失敗する事で何かが見えてくるかもしれない」
AKIRAと光太朗は試合前に言葉を交わしていた。どうせスランプでヒットを打てないと分かっているのならば、いっその事、自分の意志で凡打を打ってみろとAKIRAはアドバイスをした。
「こんな事、コーチや監督には一切言われなかった」
「人の考えは人によって違う。それだけの事だ」
「……仕方ないな。お前の言う事を信用してやるよ」
今まで天邪鬼だった光太朗もAKIRAには心を許しているようだ。実の両親にすら反発するというのに、球団のメンバーで、しかも後輩のAKIRAにはイエスマンと化している。もはや憧れに近い感覚を彼は持っているのかもしれない。
「だがこれは俺流のスランプ脱出方法だ。絶対に成功するとは限らんぞ」
一応、念を押しておいた。失敗する事で更なるスランプ地獄に陥る可能性も捨てきれない。
「今の俺は何がなんでも不調から逃れられたい。そのためには後輩の言う事だって素直に聞くさ」
普通の後輩には威張り散らしているというのに。この男がAKIRA以外の後輩に「イエス」と答える事は一生ないだろうと、不思議と悟っていたAKIRAだ。
「今日の俺は1番センターで出場する。俺の後ろを追ってこい」
「ああ!」
こうして、試合は始まった。交流戦なのでDH制が設けられているのだが、今回光太朗は2番DHとしてスタメン登録されていた。監督は光太朗の不調を何とかしようと打順をあれこれと弄っている。その結果が、2番光太朗という打順を誕生させた。強打の2番が多いメジャーを体験している監督らしい采配だった。
「ふん!」
フルスイングをすると見せかけて、バントの構えを見せたAKIRAは、ボールを一二塁間の絶妙な位置に転がせた。コロコロとボールが転がる間、100メートルを9秒台で走る俊足を生かして駆けて行く。それはまさに野球という競技の中で、一人だけ陸上という競技をしているようだ。それぐらい、彼の走力は異次元的で、なんなくドラックバントを成功させた。
これでノーアウト一塁。次のバッターは2番で起用されている神野光太朗だ。彼は右のバッターボックスに入ると、いつもの構えをしているのだが、どこか雰囲気が違って見えた。いつもなら肩を上下にヒクヒクさせて気合に満ち溢れている。
けれども。
今回は妙に落ち着いて見えた。失敗を恐れず敢えて失敗しようとする事で精神的に楽になったのだろうか、彼は初球を捉えてフルスイングしたのだ。
バギイインンンン!
という爽快な音と共にボールはバックスクリーンに運ばれた。ツーランホームランである。凡打を打とうとしたにも関わらず、ここで先制点のホームランだ。まさしく、AKIRAの読みは正しかった。
ダイヤモンドを一周してベンチに帰った二人はウキウキした様子で言葉を交わしていた。あまりにもテンションが上がり過ぎて、ベンチに座る事なく立ったまま熱い言葉をぶつけあっている。
「やった。ついにホームランが出たぞ!」
「俺も自分の事のように嬉しいさ」
「なんか……自分から凡打を打とうと思ったら気が楽になって、体も軽くなった。多分、それが一番の原因なのかもしれない!」
「なら、次の打席でもその気持ちを忘れるなよ」
すると、光太朗は眠っていた細胞を覚醒させたかのように次々とホームランを連発させ、なんと4打席連続ホームランという快挙を達成した。相手が先発4番手レベルだったのを考慮しても十分すぎる復活劇だ。しかも全てバックスクリーン一直線のホームランというAKIRAですら体験した事のない内容だった。
どうやら、彼の天邪鬼という性格が今回ばかりは吉と出たようだ。しかし、安心は出来ない。こんなプレーがそう何度も続く筈ないので、更なる特訓をかせる準備をAKIRAはひそかに考えていたのだった。




