068 データ野球
玉井はAKIRAに陶酔していた。彼の日本人離れをした打撃を見れば、誰もが虜になるのは時間の問題だったが、それでも同じプロ野球選手が同じプロ野球選手に憧れを持つのはごくまれなケースだ。しかもそれが年下なのが事を複雑にしている。
年下が年上にタメ口で喋り、年上が年下に敬語で喋るという、ある種の社会的縮図を垣間見える。だが、舞台はプロ野球であり決して一般社会ではない。プロ野球歴が長いのに、それでも年下に崇拝出来るのは彼の忠誠心の高さが際立っているであろう。常人ならばプライドが邪魔をして年下を尊敬する事など滅多にない。だが、玉井という選手は純粋な心を持っているため、たとえそれが年下だろうが自分に持っていない部分を持つ選手に惚れてしまうようだ。
そしてAKIRAという超人と出会ったために、玉井の野球人生は徐々にだが好転していた。彼の類まれなるバットコントロールや外国人と張り合える強靭の肉体を見ているうちに、『自分もAKIRAみたいにヒットを打ちたい』という希望的観測が生まれた。この希望的観測がイメージトレーニングとなり、やがては玉井のバッティングに成果が現れ始める。
最初こそ凡打を積み重ねていたが、段々とヒットを打てるようになり、今では1軍で2割前後を打てる捕手となった。1軍で1本もヒットを打てずに戦力外となる選手は阪海に異常に多い。それでも玉井はコーチに教えてもらった事と、『AKIRAのようにヒットを打ちたい』という妄想からなるイメージトレーニングによって、少しづつだがヒットを生み出しているのだ。
だが、それでもスランプの壁は平等に立ち塞がる。交流戦間近になってから玉井のバットは沈黙し、ついに打率は1割台にまで低迷した。他のスタメン選手は絶好調で自分だけ打率が低いというのは精神的にくるものだ。いつの間にか、玉井の顔にはニキビが出来て、目の下にもクマが形成されていた。
なんで、最近まで当たり前に出来ていたことが出来なくなったのか。その疑問を解決するには客観的に自分を見つめ直す事が大切だ。丁度、玉井には精神的支柱であるAKIRAという存在がある。しかもAKIRAはコミュニケーションを取るのは大事であると知っているので、玉井が声をかけるまでもなくAKIRAからやってくる。
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「どうした。そんなに浮かない顔をして」
試合終了後、ロッカールームで項垂れている玉井を見て不思議に思ったAKIRAは彼の肩をポンポンと叩き、話しかけた。
「AKIRAしゃん……!」
すると、玉井は目に大粒の涙を浮かべて、AKIRAの胸に飛び込んできた。あまりの跳躍力に驚きつつも、胸の中で泣いている玉井にも吃驚していた。男泣きというよりも子供泣きである。
「急にどうした」
「最近ヒットが打てなくて困っているんです!」
確かに最近の玉井はヒットが打てず、32打数ノーヒット。所謂32タコをしていた。これでは精神的に病んでしまい、自然に涙が出るのは仕方ないだろうと改めて感じたAKIRAはヨシヨシと玉井の頭を撫でで機嫌良くしてあげた。
「分かった。俺が打撃の極意を教えてやろう」
「本当ッスか!」
すると、玉井は泣き止んで嬉しそうな笑顔を見せていた。AKIRAはまず玉井とソファーに座って隣同士で話し込んだ。幸いにも皆帰宅している後なので、邪魔する者はいない。存分に話し合えるのだ。
「俺が思うに、玉井先輩は何も考えずに打席に立っているな」
「そうです。何も考えていません!」
まるでそれが当たり前のように素直に答える玉井だ。
「何も考えずに来た球を打つのは安打製造機と呼ばれる首位打者争いの常連者だ。玉井先輩のように最近ヒットを打ちだしたプチブレイクの選手には到底真似できない芸当だと思ってくれ」
「でも、前までは何も考えずともヒットを打てました」
「相手は人間だぞ。学習するし同じミスはしないと努力してくる。最初こそ戦力外から拾われたバッターだと思って相手投手も警戒を怠った。だから簡単にヒットが出るようになった」
「つまり、オイラはマークされてるって事ッスか!?」
口をアワアワと震わせて「こいつは大変だと」慌て始めた。
「俺も体験した事がある。その時は玉井先輩のように全くヒットが打てなかった」
「野球の神様も体験した!?」
「おいおい、俺は神様じゃない。普通の人間だぞ、スランプだって当然ある。その度に壁を乗り越えてきた訳だが」
「カッコいいッス! オイラも壁を乗り越えたいッス!」
玉井の顔が接近してきた。
「分かった。分かったから落ち着け」
「落ち着いたッス」
「……玉井先輩はまず、考えて打つ事に集中したほうがいい」
「考えるって何を考えればいいのか分からないでさあ」
玉井は捕手としては最高の頭脳を持っているが人間としての頭脳は左程良くないらしい。ちゃらんぽらんとした口調もそれが物語っている。
「現場で相手投手の癖を見つけろ。それと、バッテリーの配球もだ」
「分かりました。そうと分かればノートを買わないと」
「俺のノートを参考にするがいい」
すると、AKIRAは自分のロッカーからノートを取り出して、玉井に預けた。すると玉井はペラペラとノートをめくったと思うと、目を真ん丸にしてノートを読み漁り始めた。
「凄いっす……なんですかこのデータ量!」
AKIRAは本能的にヒットを打っていると良く勘違いされるが決してそうではない。ノートに相手の戦略等々を自分なりに攻略して書きためているのだ。筋肉隆々の見た目とは違い、案外勉強熱心なのがAKIRAという人物だ。
「それは去年のノートだから間違ってもそこに書いてある事を信用しちゃいけないぞ。今年と去年じゃ選手の癖もまったく違うからね」
「ありがとうございます。このノートを参考にしてオイラも勉強するッス!」
こうして、玉井はAKIRAのようにデータを取る事を決意したのだった。




