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AKIRA  作者: 千路文也
プロ2年目  -苦悩-
65/426

065  歓喜の4000本安打


 プロの解説者に「歴代最強の遊撃手は誰ですか?」と聞くと、半分以上の解説者が「石井」と答える。別にこれは解説者だけではなく、こういったプロ野球の関係者ならば大半が石井の名前を挙げるのだ。


 石井の強さの理由は、怪我をせずに144試合を戦い抜ける体力を持っているからだ。今年で50歳を迎える石井だったが、今のところ目立った怪我もなく遊撃手で出場している。ここ2年近くは年齢を考慮して休ませながらの起用も多かった。それでも.250という安定した打率を残して、安打数も100本近く打っている。


 そんな石井は守備面にも定評がある。50歳という高齢でありながらも、遊撃手として平均的な守備を見せる。昔も今も守備面ではまったく劣化が見られず、これまた安定した守備範囲でファインプレーを量産する。二塁手の田中と遊撃手の石井は最高の二遊間として各球団にも知られており、半ば伝説と化した逸話がネットでは語られている。


 無論、石井は走塁にも力を入れている。50メートルを7秒台で走るのは決して速くはないが、それでも50歳の老体にしては速い方だ。この記録も昔と変わっていない。


 とにかく石井は全盛期を30年以上続けているような男なのだ。その全盛期があまりにも平凡すぎるため、どうしてもファンの間では地味な扱いをされて、名前すら覚えてもらえないという可哀想な事が頻繁に起こっている。「あれ、あれあの選手……名前なんだっけな」と比較的人気の高い主婦層にも言われているため、若い学生達は石井の存在すら視野に入れていない。同じ年代で、スーパースターの称号を手入れたAKITAという存在があまりにもデカすぎて、石井は覚えてもらえないのだ。




 しかし、この日ばかりは石井にも脚光が浴びせられていた。ツネーズの本拠地であるブラックドームにはいつも以上に阪海のファンが大勢球場に足を運んでいた。その理由は、石井の4000本安打が残り1本にまで迫っているからだ。


 かつて日本プロ野球だけで4000本安打を放った選手は一人としていない。それだけに、今回ばかりは石井がスター選手のように扱われ、ユニフォームも珍しく、それなりに売れているのだという。いつもは後ろから数えた方が早いぐらいの売り上げなのだが、今日ばかりは売り上げが2位という嬉しい悲鳴を上げていた。


「ああ……緊張する」


 ベンチで石井が小刻みに震えているではないか。こんな事は滅多にない。


「どうした石井先輩」


 不安に思ったAKIRAが石井の背中を優しく摩った。AKIRAの手は野球選手特有の厚みのある手だが、それでも力を抜いてマッサージをするかのように触ったのだ。


「こんなに注目されているのは初めてなんだ。さっきから緊張して胃が痛くなってきたし」


 そう言いながら、石井は自信の腹を押さえていた。


「なんだ、石井先輩でも緊張するのか」


 石井はユニフォームを着ると鉄仮面のように冷静沈着なので、あまり表情が読み取れない。だから緊張とは無縁の存在だと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。


「当たり前だろう。俺だって人間だ。記録が間近になれば緊張するさ」


「その気持ち、痛い程分かるぞ。俺も速水と新人王争いしてる時は緊張しっぱなしだったからな。常に肩が凝っている状態で野球をしていた」


「もし今日ヒットを打てなかったら、ファンの期待を裏切ってしまう。そう考えるだけで恐ろしいのさ。これがな」


 石井は腹を押さえながらも一直線にマウンドを見ていた。これから始まる試合、石井は1番バッターで起用されているので、もうまもなく打席には向かわなければならない。多少時間はあるが、それでも本番間近である事には変わりない。


「今日の主役は石井さんだ。俺達脇役が最高のパフォーマンスをするから心配しなくていいさ」


 今日のAKIRAはあくまでも脇役として徹するというのだ。


「そうか……そうだよな。くよくよしていてもラチが開かない」


「その意気だ。今日は野球選手石井の仮面を脱いで、敢えて社会人石井という顔でプレーすたらどうだ? その方がスッキリするかもよ」


 それがAKIRAのアイディアだった。


「ああ分かったよ。とにかく精一杯頑張るさ」


 こうして、ツネーズとの三連戦最後のゲームが始まった。これで交流戦が終わるまでツネーズと戦うことはない。ここで勝利を収めるのと収めないのとでは精神的苦痛の量がまるで違う。絶対に勝つぞと、いつも以上に監督も熱気を出していた。




「プレイボール!」




 石井が左打席に向かった。彼は右投げ左打ちの選手であり、左投手を得意とはしていない。それに今日登板する投手はツネーズのエースピッチャー宮腰だ。サウスポーでありながら最速162キロのフォーシームを投げる速球派。石井は彼を苦手としていて、対戦成績はわずかに.088という体たらく。それでも今回だけは打たなければならない。


 いつも以上のプレッシャーが石井の肩にのしかかっている。


「落ち着いて行け。石井さん!」


 AKIRAも声を出して応援していた。


 そして、第一球目が放たれた。まるで地を這うような鋭い直球がアウトコースに決まり、主審は右手を挙げて「ストライク」と判定した。


 いくら直球に強い石井でも160キロが近い速球は苦手としていた。しかし、決して諦めないという心構えをAKIRAに教わり、闘争本心に火が点いているようだ。全身からオーラを放出させて、左打席に立っている。


「こい。今日の俺は一足も二足も違うぞ!」


「それはどうでしょうか。今日もクルクル三振しちゃってくださいよ」


 宮腰はそう言いながら、第二球目を放った。その二球目は偶然か、それとも必然か石井の大好きなインコースに向かって伸びていた。これが「最後のチャンスだ」というばかりに、石井は思いっきり振り抜いて、フルスイングをした。


「ぐおおおおおお!」


 雄たけびと共に、バットとボールは直撃した。かつてこれ程の手応えは感じたことはないのか、石井は引きつった顔で両手の痺れに耐え、何とかボールを前に弾き飛ばした。


 すると、ボールは天高く舞ったと思うと、そのまま放物線を描いて看板に直撃。その看板は石井が尊敬している鬼崎喜三郎の写真が書かれていて、牛乳をPRしていた。あまりにも運命的な一打に、石井も唖然として口をあんぐり開けている。


「石井先輩、歩いて歩いて!」


 AKIRAが歓喜の声を上げると、ようやく石井はハッと我に返って喜びをあらわにしながらダイヤモンドを歩いていた。普段はクールで表情を崩さないのだが、今回ばかりは理性を抑えきれなかったようで、両手でガッツポーズをして最高の笑顔を見せているのだ。


 このプレーには今回ばかりはツネーズのファンと阪海のファンが手を取り合って、同じように祝福を上げていた。まさに球場が一つになっていると言っても過言ではない。




 そして、誰もが認めるであろう。今日の主役は石井なのだと。




「おめでとう!」


 花束贈呈から帰ってきた石井を全力でハグして、迎え入れた。実を言うと、AKIRA自身も嬉しくて嬉しくて仕方ない。親友でありながら大先輩でもある石井が劇的な4000本安打目を飾ったのだから。


「ありがとう……お前の応援のおかげだ」


 石井は目をウルウルとさせて涙を浮かべていたのだった。




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