049 怪我とは
プロ野球選手にとって怪我をしないという事は最優先の課題だ。怪我一つで選手生命が断たれるというの良くある話だ。この日は午前中にCM撮影をした後に午後から病院へ行く事になっていた。それも石井から紹介された病院なのでかなり期待が掛かる。
「助かるよ。石井先輩」
AKIRAは助手席に乗っていた。なにぶん、ここへ来て一年も立っていないので詳しい地理を把握していないのだ。ましてや病院が何処にあるかなんて知る由も無い。だからこそ、こうやって石井に車を飛ばしてもらっていた。
「なーに。困ったときはお互い様さ」
石井は笑顔でそう言うのだった。
「石井先輩は怪我した事あるのか?」
車中にいる間は石井とゲームをする事は出来ないので、暇つぶしがてら会話をする事にした。
「勿論あるさ」
「どんな怪我だ?」
「骨折、打撲、突き指……些細なもんさ」
運動量が豊富なプロ野球選手は、もっと複雑な怪我をする事が多い。だから石井はそこまで心配する程の怪我じゃないと言っているようだ。
「そうなのか」
「一切怪我をしないプロ野球選手はいないな。メジャーにはいるが」
なんと、メジャーには怪我をしたことのない選手がいるというのだ。
「そいつは誰だ?」
「決まってるさ。鬼崎喜三郎さんだよ」
「プロ野球歴50年で1度も怪我をしたことがないのか!」
「だから、あの高齢でもプレーが出来るのさ」
鬼崎は全く衰えない動体視力を武器にしているように見えるが、そもそも怪我が頻繁なメジャーリーグでは怪我をしないという事は好評化に値する。だから本当の武器はその頑丈な体と言っても過言はないだろう。
「現人神という異名の意味が良く分かった気がするぞ」
「鬼崎さんは野球をする事だけに専念して生きているような人だからな。俺みたいにドライブとか釣りとか映画鑑賞とかいっぱい趣味を持っているような奴は野球と関係の無いところで怪我をしてしまう」
結局、プロで生き残るためには趣味を一つに絞った方がいいという事だ。それも、余計な事を考えずにストレス解消になる趣味がオススメ。そう言う意味では、読書やゲームなどが良いかもしれない。趣味が全くないのもそれはそれでストレスが無駄に溜まってしまうので必ず趣味を見つけた方がいいだろう。ただし、一般企業においてはゲームと読書は趣味の内に入らないので、履歴書に書く時は注意が必要かもしれない。
「野球をプレーするための人生か」
「俺には耐えられないな。さすがに70を超えたら引退したいぞ」
老人というのは基本的に体を動かさない種族だ。鬼崎のようにフィールドを駆けまわっている70歳など他に居ない筈。
「石井さんが引退しない理由はなんだ?」
「まだ、そこそこ通用してるからな」
石井は今シーズンで10本もホームランを放っていた。低反発球が使用されている今のプロ野球では、10本以上ホームランを打つ選手はとても重宝されるので、引退する理由が無いというのだ。
「石井さんも選球眼は衰えていないな」
「いいや衰えを感じている。特に今年はな」
それを物語るのは今シーズンの三振の多さだ。特に見逃し三振が圧倒的に多くて、四球が少なくなってきている。元から積極的に打つタイプなので四球は少なかったのだが、それにしても少なすぎるのだ。
「そうか。どうにか修正して欲しいが」
石井の後釜は未だに見つかっていない。なんせ、石井を遊撃手の座から引きずり下ろせる若手選手が出てこないのだから。しまいには左投げのAKIRAを守備練習させる始末だ。
「ま、今までも何とかなってきたし、来年には修正出来ているかもな」
それが人間という生き物だ。大半の人間は真っ当に生きていれば勝手に運が向いてくる。石井のように適当な性格でもプロ野球を30年も続けられるのだから。
「なんか。石井さんの全盛期を一度見てみたかった」
AKIRAはそう感じていた。
「大したことないさ。地味なもんだよ」
存在も地味だがプレーも地味だと言うのだ。
「どんな感じだったんだ?」
「打率.260を毎年繰り返す程度かな」
一般人から言わせてみれば恐ろしい成績だ。もしも自分があの場所に立ったら一本もヒットを打てないという自信のある人は大勢いるだろう。
「そいつは……地味だな」
「だから言っただろう。ゴールデングラブにも縁は無かったしお前みたいに足が速い訳でもない。とにかく平凡なんだよ俺は」
「平凡でもここまで続けられるのは大したもんじゃないか?」
「そうだな。来年には4000本安打を達成できそうだし、少しは盛り上がってくれるといいが」
プロ野球はAKIRAという彗星の如く現れたスーパースターによって、再び光を取り戻したかに思えるが、実際はまだまだ全盛期の人気には程足りない。だから、自分の4000本安打でプロ野球界が賑わってくれればいいなと石井は思っているのだろう。
「4000本か……気が遠くなるな」
2000本打てば全国的に祝福されるのだが、石井はその2倍を打とうとしていた。これはルーキーのAKIRAにとって途方もない話しだった。




