039 幸せな家庭
野球選手は年上の大ベテランから技を吸収する事こそ、プロ野球界で長く生きるための近道だ。彼等から助言を聞いて、生き残る術を習得すれば戦力外の心配をせず一生安泰に暮らせるだろう。しかし、大ベテランには独特のオーラが放出されているため、若手選手は中々近づけないのだ。ただでさえ日本人はシャイが多いので、せっかくのチャンスを無駄にしてしまっている。
ベテランの言葉と技を盗もうとする心がけが重要だ。そのことを若手で分かっているのはAKIRAぐらいだろう。彼の圧倒的な成績は何故出せるのかという疑問があちらこちらから流れているが、もしかすると、大ベテランとだろうが気軽にコミュニケーションをとれる会話能力を持っているからこそ、本来持っているポテンシャルをこの若さで爆発出来るのではないだろうか。しかも本人はまだまだ技術を伸ばそうと必死になり、先輩からアドバイスの限りを尋ねていた。
ついにそれはバッティングピッチャーの越智さんにも及んだ。年齢だけで言えば、おじいちゃんと孫ぐらい離れている。しかし、そんな相手にでも分け隔てなく話すことが出来るのがAKIRAの得意技だ。彼は幼少の頃からアメリカに住んでいたので、そういう会話能力が他の日本人より長けているのだろう。
「へい、越智さん」
道具を片づけている越智さんの元に歩み寄って、声を掛けた。
「おお、これはこれは阪海の星ではないか。またワシに投げて欲しいのかな?」
「いいや違う。今日はもうやることがないから手伝おうと思ってな」
そう言うと、越智さんが両手で担いでいる道具を片手で掴み取り、片づけを手伝い始めた。怪力はこういうところでも役に立つ。
「さすがのパワーじゃな。腕周りの筋肉も日本人離れしておる」
「筋トレのおかげだ。中学時代から毎日腕立て伏せを2000回やっている」
「ほお」
越智さんも感心した様子で目を見開いていた。
「だが、石井先輩に毎日2000回はそこまで珍しくないと言われて驚いた。だから今は3000回に増やしている」
AKIRAは嬉しそうに笑顔で語りかけていた。それだけ筋トレが好きで、笑みが止まらない。
「さすがじゃのう」
「そんな事は無い。好きでやっているだけだからな」
こうしてAKIRAが手伝った事で片付けがスムーズに終わった。どうやらAKIRAには用具係の才能もあるらしい。
「ありがとう。AKIRA君のおかげで早く帰れるよ」
「それは良かった」
AKIRAが背中を向けて自分も帰ろうとした、その時だ。背中から細い声が聞こえてくると思って振り返ると、越智さんがモゴモゴと口を動かして何やら発声をしていた。聞き取りにくいので、耳を澄まして聞いてみると。
「そうじゃ、御飯を食べさせてあげよう」
「ご飯か。いいのか?」
「ええよ。ワシもそれなりに貯蓄しておる」
「しかも奢りか」
「ほほ、先輩が奢るのは当たり前じゃ」
この人は普段から優しいおじいちゃんなのだと、AKIRAは確信した。こんあ見ず知らずの若い男と一緒に飯に行こうと誘ってくれるぐらいなのだから。
「ありがとう。それじゃ、何処に行く?」
「着いて参れ。ワシの車に乗せてやろう」
越智さんの言う通り、着いて行くと駐車場には高級車がズラリと並ぶ中、一つだけ普通車が置いてあった。普通車と言っても値段が高いランクの物だが、それでもフェラーリやベンツなどのそうそうたるメンバーに比べると、どうしても影が薄くなる。案の定、越智さんはその普通車の鍵を開けて、AKIRAを中に案内させた。
「広いな。ファミリータイプの車じゃないか」
「ワシには家族がたくさんおるのじゃ。幸せな事にの」
バッテイングピッチャーと言えど、プロだ。恐らく家族の誰よりも年収が高いだろう。その歳でだ。
「越智さんには孫はいるのか?」
車が発車した瞬間に、AKIRAは尋ねた。
「7人おる」
「7人もいるのか!」
「この間、ひ孫も1人生まれたぞなもし」
「ということは、ひいおじいちゃんになったのか」
「だから幸せなのじゃよ」
子供がいて孫がいてひ孫までいる。これは並大抵の努力では掴み取れない幸せだ。仕事だけ頑張っても決して辿り着かず、恋愛も両立させないといけない道のりだ。とたんにAKIRAの目には越智さんが人生の大先輩であることがハッキリと認識できた。
「まさに幸せの象徴じゃないか」
「だから仕事も家族を思えば頑張れる。最近疲れがたまるようになっての」
そう言いながら、片手で腰をボンボンと叩き始めた。やはり年齢が年齢なだけに腰も丸くなっているのだ。
「お疲れ様」
AKIRAは労いの言葉を掛けた。バッテイングピッチャーもプロ野球選手同様に一旦シーズンが始まると中々休日が取れない。70歳が近い越智さんの体はさすがに疲労感でいっぱいなのだろう。
「じゃが、ワシはまだまだ頑張らねばならん。ワシより年上でメジャー現役の人がおられるからの」
「鬼崎さんの事か?」
「あの人は今年で71歳の高齢じゃがメジャーの過酷なスケジュールに対応しておる。鬼崎さんがいるからワシも頑張れるのじゃ」
まさに古稀の星と言っても過言ではない。鬼崎と年齢が近い者は自分もまだまだ負けていられないと熱意に燃えているのだ。それは越智さんも同様だった。
「俺も鬼崎さんとまではいかないが、出来るだけ長く現役で活躍したい」
「AKIRA君なら出来るよ。才能が溢れておるからな」
「俺には才能なんてないさ。好きでこの仕事をやってるだけだから」
「仕事を好きだと思えるのも一種の才能じゃよ」
越智さんはそうだと言うのだった。




