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AKIRA  作者: 千路文也
プロ1年目  -友情-
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037  生きる伝説、越智さん


 マシン打撃とは短長だ。高校時代や中学時代ならまだしも、プロになると黙々とマシンから放たれるボールを打ち続けなければならない。何球も何十球も下手をすれば何百球も撃ち込むことになる。それを毎日続けていると、半ば作業と化し、以前のように純粋にマシン打撃を楽しむ余裕が無くなってしまう。


 さしずめ、マシン打撃も仕事の一つとして脳が認識してしまうのだ。そうなると細胞は活性化しなくなり、エンドルフィンやセロトニンなどのストレスを排除する脳細胞が生まれなくなってしまう。ただでさえ世界最大の鬱大国である日本は、マシン打撃の作業化というちっぽけな事でさえ、無意識にストレスを感じてしまう種族のため、息抜きをする必要がある。


 それこそがバッティングピッチャーだ。彼らは生きた球を気持ちよく打たせてくれて、爽快感と打撃の手応えを教えてくれる職人だ。何かと過小評価されがちだが、ストレス大国の日本では彼等の存在が不可欠だ。メンタル的な意味で、とても支えになってくれる。


 この日もそうだった。AKIRAはマシン打撃に嫌気がさして溜め息を吐きながら、来た球を打っていた。この様子では次第に脳細胞が死滅してしまい、ストレスを溜めるばかりだ。効率的にも良くない。現役30年目で、それを良く知っているであろう石井が声を掛けてきた。


「大変だな。毎日」


 石井の同情っぷりがリアルに伝わってくる。石井もマシン打撃がそこまで好きでは無いというのが、この一言で感じ取れた。


「これで1時間ぶっ通しだ。心の無いマシン相手に」


 さすがのAKIRAも疲れを見せている。額の汗を拭って、1480グラムのバットを地面に置いた。もうお手上げ状態なのだ。


「500球以上は打ってるようだな。お疲れさん」


「こんなマシン相手に打ってもストレスが溜まるばかりだ。最初の方は爽快感を感じていたが、次第にその感覚も無くなって、後に残るのは精神的苦痛のみ」


 練習は辛いものだと言うのが、AKIRA自身も知っているのだが、同時に肉体的辛さよりも精神的辛さの方が残酷だと言う事も知っていた。精神が不安定になれば、どんなに技術を持っている選手でも簡単に成績を落としてしまう。だからこそ、いかにストレスを溜めないかが野球界で生き残るための重要課題になる。18歳という若さでありながら、それについて熟知しているのがAKIRAだ。


「どうだ、気分転換に生きた球を打ってみるか?」


「ああ、それがいい。誰が投げてくれるんだ?」


 希望が見えた。少なくとも心を持っている人と接する事が出来るので、ストレスを最小限に食い止めることが出来るのだと。


「お前には教えていなかったが、実は阪海には専属のバッテイングピッチャーがいるんだ。背番号101番のあの人だ」


 石井が指差した方向には、背中を向けて道具の後片付けをしている人が見えた。髪の毛は白髪に染まっていて、高齢であることが一目で分かった。


「どうりでおかしいと思った。実は、なんで三ケタの選手が一軍に同行しているのかと疑問を感じていたんが、そういうことだったのか」


 ポンと手を叩いて、ようやく理解した。あの人はバッティングピッチャーで用具係も兼任している人なのだと。


「越智さんだ。あの人は阪海のバッティングピッチャーを40年も勤めている大ベテランなんだぞ」


「40年!」


 さすがのAKIRAも驚きを隠せないでいた。何を隠そう、バッティングピッチャーはその過酷な仕事内容からプロ野球界よりも生きていくのが難しいとまで言われていて、2、3年で姿を消してしまう人がほとんだ。ワザと選手に打たれる球を投げて、しかも短時間の準備で肩を作らないといけない。いっけん簡単そうに見えるが、元々バッティングピッチャーは引退した選手の再就職先なのだ。昨日まで現役で投げ込んでいた選手が、打たれるピッチングに切り替えるのは至難の業。だからこそすぐに消えていく人が大半なのだが、この越智という人は40年もこの仕事を続けているのだと言う。まさに生きる伝説と言っても過言ではない。


「あの鬼崎さんにも投げ込んだことのある数少ないお方だ」


「現人神とも呼ばれる鬼崎喜三郎おにざききさぶろうさんに?」


 今年でプロ53年目を迎えるメジャーリーガーの事だ。あまりの偉大っぷりに監督と同等の発言権を持っているとも噂されている。


「ああ。鬼崎さんも認める凄腕のバッティングピッチャーだ」


「メジャーリーガーの名前を出されると、俺も興味が湧いてきたぞ」


「よし、いっちょ頼むか」


 こうして、二人は越智さんの元に駆け寄ってバッティングピッチャーのお願いをしたのだった。すると、しわくちゃの顔面に笑みを浮かべて優しく頷いていた。


「ええよ。ワシでよければ付き合う」


「いいおじいちゃんだ。宜しく頼む」


「おてやわらかにのう……。わしはもう70が近いジジイじゃけん」


「大丈夫だ。越智さんの伝説はさっき石井先輩から聞かせてもらったからな」


 見ると、石井は隣で頷いていた。


「ほほ、それでは行くとするかの」


 腰は丸くなっているが、それでも背中からオーラを感じる。このオーラは各球団のエースにも負けない重厚感のあるものだった。


 マウンドに立った越智さんは軽くストレッチとキャッチボールをしただけで肩を作ったと言い、投げ込みを開始した。


「うお!」


 重い。軽く投げられたのに、まるで160キロの速球が当たったかのような手応えを感じる。AKIRAは戸惑いながらもその球を反対方向のスタンドに叩き込んだ。


「おお、さすがじゃの。ワシの一投目を初見でホームランにするとは……そんな選手は過去に一人しかおらんかった」


「そいつはどうも」


「お主、もしかしたら化けるかもしれんの」


「化けるだと?」


「そうじゃ、内に更なる力を秘めておる。お主は最強のバッテイングフォームを習得したと言っておったが、まだ伸びるぞ」


 そう言うと、越智さんは二球目を投じた。今度のボールも速球でスピードも遅いのだが、エースクラスの重いボールを投げてきている。今度は芯を外して、バットが粉々に吹き飛んでしまった。そのバットは越智さんの元にはじけ飛んで行ったが、越智さんは華麗にそれをキャッチして、外に出していた。


「なんという重さだ。まるでエースクラスの速球だぞ」


 と言いつつも、ちゃっかりボールをスタンドまで叩き込んでいるAKIRAだった。


「ワシの得意技じゃ。様々なボールの球威とキレを自在に変えられる。言ってくれれば、どんなボールでも投げられるぞなもし。エースの球でも四番手の球でもの」


「つまり、今の球は本当にエースクラスの球威だったのか」


「今のAKIRA君にはそれが一番打ちやすいと思ってな」


 球速こそないが、確かに越智さんの投げる球には勢いがあった。それを証拠に三球目の球は落差のあるスプリットフィンガーファストだった。AKIRAはそれを気持ちよく振り抜いてスタンドに飛ばした。


「さっきのは東川君の投げるボールじゃ。球威を少し落としたから打ちごろじゃ」


「確かに、先輩のボールと良く似ているな。落差もそれなりにある」


「ワシを仮想投手として活用してくれれば幸いじゃ。と言っても身長は低いから高さのあるボールは投げこめんがの」


「いいや、十分だ。その技術があればお釣りが返ってくる」


 そう言いながら、AKIRAは他球団の投手を攻略するかのようにして打撃練習を行っていた。気持ちい打撃もさることながら、他球団の投手を打ち崩している感覚がして、心も次第に上機嫌になっていく。マシン相手に眉間にしわを寄せていた時とは違い、AKIRAは楽しそうに夢中で練習を続けたのだった。




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