201 パフォーマースキル
野球をしている時に一番嬉しいのは、自分のヒットでお客さんが喜んでくれる瞬間だが、野球をしていて一番楽しいのは、目標に到達するためのプロセスであるとAKIRAは確信していた。ハッキリ言って目標を達成した時よりもプロセスを体感している方が楽しさを多く感じ取っているのだ。野球に対する目標を立て、それに向けて努力する作業が楽しくて仕方がない。むしろ打席に立ったり守備に就いているのは苦痛でしかない。打席の中からマウンドを見ているだけで吐き気がするし、フラフラと眩暈がしてしまう。プロ野球では練習をしている時の方がよっぽど楽しいのだ。高校時代は練習が嫌いで中々奮い立てなかったが試合になると闘志に火が点いていた。しかし、プロ野球では真逆だ。練習をしている時に無常の喜びを感じて、いざ打席に立つと精神がもぬけの殻になってしまう。何故こうした逆の作用が働いているのか、その理由を自問自答した時に一つの答えを導き出した。それは野球を職業にしてしまったからだ。ご存じの通り仕事には何等かの責任感と重圧がのしかかる。それはアルバイトだろうが会社員だろうが野球選手だろうが全て平等に降りかかる災害のような物だ。その感覚が原因で、野球に純粋な心を持てなくなってしまったとAKIRAは思っていた。高校時代までは打席に立つだけでテンションが上がり表情も晴れやかだった。それこそ、ヒットやホームランを打つと小学生のようにハシャイで天高くガッツポーズをするような野球少年だ。その野球少年がプロの世界に入ると、冷静な表情でヒットを打とうがホームランを打とうが決して笑わない人物になってしまった。むしろ出塁した時には、苦虫を噛み潰したような顔をしている瞬間が多い。全ては仕事から来る責任感と重圧が原因だとAKIRAは確信していた。だからこそ野球をしている時に喜びなど感じられない。そんな隙を与えてしまっては敵チームに弱点を突かれる可能性だってある。お互いに給料を貰って野球をしているのだから中途半端には決してしない。どちらのチームも全力でぶつかってくるからこそ、笑う暇さえ無いのだ。
しかし、AKIRAはそれで幸せだった。打席の中で感じる苦しみや劣等感、目標を達成しようとするプロセス、素振りをしている時の過集中、これら野球の全てがAKIRAにとっては必要である。少なくとも真っ当に仕事をこなしている感覚はあるので、それだけで幸せなのだ。家に帰って真っ先に飲むのはキンキンに冷えたジュースだ。それを喉に叩き込む快感は、仕事を終えた後でしか味わえない。仕事をしている時は辛いかもしれないが、帰宅後には自分なりのご褒美が待っている。だから、このままでいいのだ。責任や重圧で押し潰されそうになったとしても命までは取られない。そう思う事で辛さは乗り越えられる。後は目標に向かって前に進むだけだ。AKIRAが来季の目標として立てたのは、弱い自分を出来るだけ球場に出さない事だった。AKIRAは凡人であるが故にパフォーマースキルに頼り切るしかない。しかし理想の自分を演じるのは集中力が持たない。結局試合終盤には日常生活の渡辺明が顔を出して、その結果疲労困憊を招いてしまう。だから来年はパフォーマースキルを磨いて弱い自分を球場に出さないと固く誓っていた。この演じる力にはかなり助けられている。球場で容赦ない罵声を浴びせられた時も平然とした態度で無視を出来るのも全て、AKIRAという自分の中に存在する高位の人格を演じているからに過ぎない。ようするに仕事と日常でオンオフを切り替えているのだ。そうしないと仕事の疲れを家の中に持って帰る危険性があるので、野球をしている時はパフォーマースキルがかなり重要になってくる。
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芝田は社会人卒として今年入団した期待のホープだ。主に三塁手を守っているのだが秀でた守備範囲を持っている訳でも無く、肩も平均値に過ぎない。そんな彼が三塁を任せられている理由はただ一つ。バッティングに才能があるからだ。特にチャンスの場面では滅法強く、このような打者を一般的にクラッチヒッターを呼ぶ。阪海にはこれまでチャンスに打てる選手が少なかったので見事5番打者に起用される機会が多かった。そして芝田は結果に応え、見事100打点を突破した。ホームラン数は10本前後と大した数では無かったが、チャンスに回るとヒットで確実に打点を稼いでくれるので十分な活躍をしてくれた。ところが芝田にも当然弱点があった。それは誰も出塁していない状態で打席が回ってくると打てなくなってしまうところだった。その理由は自分でもよく分からないらしく、今年野手全冠王を獲得したAKIRAに相談してきた訳である。そんな芝田に、AKIRAは特別な技術を教える気は無かった。既に技術はトップレベルに到達しているので細かい所は打撃コーチに任せればいい。芝田に足りないのは圧倒的にメンタルの部分なのでそこを強くさせないと意味が無い。そう思ったAKIRAは芝田をベンチに連れ込んで、座りながら会話をしていた。ただそれだけである。
「いいか。ランナーがいない状態で芝田さんがヒットを打てないのはメンタルの問題だ。満塁の場面ではほぼ100パーセントヒットを打つのに対して、ランナーがいない時にほぼ0パーセントの確率で凡打する。どうやら、気持ちの入り方にムラがあり過ぎて打てなくなってしまっているようだ」
AKIRAはそう分析していた。芝田が打てない理由を。




