200 満足すると成長は止まる
全国的知名度を得たアスリートにとって、オフシーズンは多忙を極めるスケジュールでしか無かった。まるでVIP芸能人のような待遇を受けて仕事先から惜しげもない拍手で迎えられる。それもこれも野手全冠王を獲得した事によるイメージが強かった。まだ19歳の青年が野球界の歴史を変えたのだから、こういう扱いも不思議では無い。しかしAKIRAは周りの反応とは違って冷静沈着だった。拍手や称賛の声で迎えられても表情を崩さずに淡々と仕事をこなす。それを周りの人間が求めているからだ。観客や視聴者の皆様が好きなのは日常生活の渡辺明ではなく、球場で活躍しているAKIRAだからだ。なので滅多な事ではテレビの前で普段の自分を晒そうとはしない。いつものように球場でプレーするようなAKIRAを演じるだけである。周りの人間はそれで満足しているのか、どうかは知らないが、求められているのはAKIRAだという事を忘れてはいけない。そう胸に信じて、今日も明日もテレビに出続けるだろう。人間は仕事がある内が華だと良く言われているのでAKIRAは仕事を選ばずにオフシーズンを過ごすつもりだった。だが勿論、22時以降の収録は断っている。就寝時間と起床時間を変えてしまうと生き方の質を問われてしまうからだ。周りの人間はそんな事を気にせずに休みの日は夜遅くまで起きてダラダラしているかもしれない。生憎AKIRAは凡人なので夜更かしが出来ない性質だった。少しでも就寝時間がズレてしまえば修復不可能だと知っているので、22時以降の収録は絶対に断っていた。そこは断固としてAKIRAの信念だった。
夜更かしをしてしまうと自律神経に狂いが生じ、そこから精神病を招く危険性だって大いにある。ただでさえ冬季鬱病を患っているAKIRAがこれ以上精神病に犯されるのは勘弁して欲しかった。病気から飛躍のチャンスを得られるのは分かるが、だからと言ってリスクを冒す必要性は考えられない。メリットよりもデメリットの方が明らかに勝っている。なので、精神病だけでは無くありとあらゆる病気に罹らないためにも体調管理は欠かせない。AKIRAのように人の視線が突き刺さる職業ならば当然だった。「お腹が痛くて試合に出られません」など言語道断であり、体調管理に問題があるとしか言いようがない。一人の野球選手ではなく、一人の人間として体調には万全で試合に臨まなくてはいけない。AKIRAをそう信じていたから早寝早起きを小学時代から貫いていた。元々両親が企業家なので早起きだったのも関係しているが、親元から離れて野球をしている今でも早寝早起きを継続している。その断固とした理由は自分が弱者だと知っているからだ。何の才能も無ければ秀でた資格も持っていない。AKIRAから野球を取り上げれば何も無かった。それだけに、プロで活躍しないと非凡な人生で終わってしまう危機感がかなり強かった。三次元の世界に生を受けたのだから、何かしら人生に張りを感じなければ虚しいだけだ。そうなりたくは無かったので、AKIRAはプロの世界に入っても努力を怠らなかった。どんなに疲労困憊でも毎日決めている練習だけは続ける。いつか完璧な自分が手に入ると信じて、練習を継続していた。その結果、プロ1年目から好成績を叩きだし2年目の今年には野手全冠王の輝かしい成績を残したのだ。そうして皆から祝福される中、AKIRAは至って冷静な気持ちだった。まだ自分の中に向上心が残っていて、それを誇りに感じていたのだ。野球界の歴史を塗り替えた今でもまだ成長したいと思い続けている自分の心。それは野手全冠王を獲得した時よりもよっぽど嬉しい瞬間だった。
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バラエティ番組の収録後、AKIRAは阪海球場の練習場で指導をしていた。球団の中では、比較的年下の分類に入るAKIRAだったが皆はそう思っていないようだ。40代と見間違えるナイスミドルなルックスと、その独特な低い声が実際年齢よりも遥かに上だと錯覚させられる。それにAKIRAの壮絶な人生を知っていれば誰も彼の行動を止められない。会話をしている内、次第に立場が逆転しているのも良くある事だった。今回もその典型的なパターンである。AKIRAの野手全冠王に感激を覚えた芝田三塁手が弟子入り志願をしてきたのだ。彼は社会人から阪海に入団したので、紛れも無く年上の人間だ。しかし、AKIRAの言動、行動を見て人生経験は向こうが上だと判断したようだ。その結果、芝田は頭を下げて打撃の極意を教えて欲しいと相談してきた。こちらも日米野球に向けて調整したかったのだが四の五の言ってはいられない。年上の人間が地面に頭をつけて懇願しているのだから断りきれないのだ。
「おいおい。頭を上げてくれないか。いつまでも地面に突っ伏していては野球が出来ないだろう。俺達はお客さんのために魅せるプレーをしなくてはいけない。そんな立場の人間が、いつまでも頭を下げて良いと思っているのか?」
全てはお客さんに喜んでもらうためと、AKIRAは芝田の弟子入りを許可した。




