196 タクシーの車内にて
日米野球の開催まで残り一ヶ月。その間にAKIRAは多忙な生活を過ごすだろう。バラエティ番組の出演、クライマックスシリーズでの解説業、某外国アニメの吹き替え、某探偵映画の声優などのメディア露出が浮き彫りになってきている。これでは満足に野球の練習が出来なくなるのも無理はない。さすがに普段の生活リズムを狂わせる訳にはいかないので、22時以降の仕事は全て断ってきた。しかしそれでもAKIRAに対しての仕事依頼は増すばかりだった。CM撮影も今年は10社に増えて、先日は延々と牛丼を食べさせられてお腹がはち切れそうだった。身長2メートル越え、更に腕周り60センチを誇る偉丈夫の体を見て世間の人は大食漢だと決めつける。ところがAKIRAはベジタリアンかつスイーツが大好きな草食系男子だ。甘い物には目が無いかもしれないが、だからと言ってたらふく御飯を食べるキャラでも無い。ようするに食事はあまり気を遣っていないのだ。それにも関わらず「AKIRA君は我が社のCMキャラクターにピッタリだ!」と意気込む各々がいるのでAKIRAは仕方なくCMも引き受けていた。一応、CMは大きな仕事なので変に断るのも依頼人に悪かった。なんせ依頼人はCM撮影料を球団側にも支払う必要があるので、それ相応の覚悟をしてAKIRAに頼んでいる訳だ。その背景を考えると、とてもじゃないが断る余裕も無かった。結果的にAKIRAは時間作成術をしなければならなかった。
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カントリー親父との対談が終わると、AKIRAは足早に放送局を後にしてタクシーを呼んでいた。この次にも番組出演の予定が詰まっているのだ。15時から某放送局で撮影が始まる。その内容とは日本中のアスリートを集めてひたすらトークをする番組だった。その番組にはかつて鬼崎喜三郎も出演した程の人気バラエティ番組だった。そもそも鬼崎はメディア露出を極端に嫌う人間なので、バラエティ番組に出演するなど奇跡に近かった。そんな鬼崎が唯一出演した番組だけあって、AKIRAはワクワクと緊張感を胸に抱きながらタクシーに乗り込んでいた。そして運転手さんに「六本木駅まで頼む」と注げたのだ。するとタクシーの運転手はグワッと首を此方に向けたと思うと、顔面蒼白の顔で唇をワナワナと震わせていた。
「A……AKIRAさんですか!」
そう、AKIRAは誰にも真似できない独特の低い声を持っているので声を出すだけで正体がバレテしまう。そこまでの知名度があるのも影響しているが、タクシーの運転手がここまでの反応をするのは予想外だった。なんせ今までのタクシー運転手はお客さんがAKIRAだと分かっていても雰囲気を察してくれて必要以上に絡んでこなかった。だが今回の運転手は違う。見るからに若い顔立ちをしていてまだこの仕事にプロ意識を感じられない年頃のようだ。10代と見間違う童顔なので、恐らく人生経験値も豊富とは言えない様子だ。それならば乗客がAKIRAと知って驚くのも無理はなかった。このように悪気はないと判明したので、AKIRAは口角を上げて微笑みながら運転手の言葉に応えた。
「ああ。正真正銘、本物のAKIRAだ」
「信じられない。僕のタクシーに有名人が乗っているだなんて!」
そう言いながら運転手はタクシーを発進させていた。さすがにAKIRAを目の前にしても仕事を放棄するような事はしないようだ。そこには若干のプロ意識を感じるのでAKIRAもホッと一安心していた。そしてこのまま何も言葉を交わさないのは不自然だと感じ取っていた。この場に流れている空気は、どうも無口でタクシーに揺られる普段の自分は求めていない様子だった。それよりも此方から積極的に話し掛けた方が気分もだいぶ違ってくるだろうと思ったので、AKIRAは意識的に言葉を投げかけていた。
「おいおい、君は東京のど真ん中にいるんだぞ。そこでタクシーを運転していたらそれなりの人間は乗りそうだが?」
そう言うAKIRAは今日だけで何人もの有名人と出くわしている。たまたま男子トイレで小便をしていたら隣に大御所芸人が用を足していたのだ。普段はシャイで人見知りのAKIRAもこれには堪らず挨拶をしてしまった。身長2メートル越えの男に話しかけられるなんて向こうも驚いた様子だったが、なんとAKIRAの存在を知っていてくれていた。てっきり東京での知名度など限られていると思っていたので結構嬉しかった。なので恐らく目の前の運転手は先程の自分に似た感情を抱いているのだろうと察しがついた。
「それが中々機会に恵まれないんですよ。僕が気づいていないだけかもしれませんけど、やっぱり有名人は普段、オーラを隠しているのでしょうか? その点、AKIRAさんは凄まじいオーラを放っていますよね。なんか全身からプレッシャーを放っていて一目でアスリートだと分かりますよ。一般人がそういうオーラを出すにはどうすればいいのか教えて頂けませんか?」
オーラの発し方を教えてくれなどと聞かれた覚えも無かった。若い連中はとんでもない方向から質問を投げかけてくるのを今まで体験してきたが、この質問は次元が違った。まず自分からオーラが発せられているのかも自覚していないのに、オーラの発し方を教えてくれと聞かれたのだ。自覚が無いのでどうしようも無かったので、今回の質問には一般人があまりしてなさそうな取り組みを言おうとしていた。
「朝の3時に起きて発声練習と腹式呼吸。それだけで自分が見違えるように輝くぞ」
この事実は確かだったので、AKIRAはそう答えるのだった。




