195 来年の目標
AKIRAは周りの人間に左右されやすい弱い性質を持っているので、本当は自分の成績一つで騒いでほしくないと思っていた。それこそテレビのスポーツ番組でやっている特集でも見ようものなら、簡単に調子が崩れてしまう。今まで自分がやってきた事が分析されているのは良い思いはしない。自分だけが抱えてきた精神的重圧を覗かれたような気がして寒気がしてしまうのだ。それと同時に自分が求められている成績を再確認せざる終えないので余計に落ち込んでしまう。シーズンの途中でテレビや雑誌で自分の評価を知ろうものなら想像以上の疲労が溜まって、球場に行きたくない気分に襲われる。誰しもが学校や職場に積極性を感じていると言えばそうではない。AKIRAのように『今日は野球したくない』と心の中でダダをこねる人は大勢いる。しかしだからと言ってだるいから試合を欠場しますなどという言い訳は通用しない。それにAKIRAを見たいがために遠くから球場に来てくれるお客さんもいる。その人を考えれば自ずと布団から出て、球場に向かう足取りも軽くなる。今のAKIRAはお客さんをモチベーションにしていると言っても過言では無かった。たとえ毎年最下位のチームだったとしても、確実にファンは見てくれるのでモチベーションは維持され続ける。このようにモチベーションを目に見える存在に設定すると行動力が増加していく。他の選手のように日々上がったり下がったりする成績をモチベーションに設定しているようではAKIRAの弱い心では補いきれない。ようは自分を弱者だと分かっている苦肉の策と言うべきか。
野球の技術など勉強すればいくらでも知識として吸収されるが、野球に対する精神的な気持ちはそうもいかない。メンタルトレーニングの効果などたかが知れているので結局は自分の気持ち次第だ。気持ちをコントロールするためには自分が強者なのか弱者なのかハッキリと知る必要があった。その点、AKIRAは小学生の時から自分が弱者に分類されていると自覚していたので、この流動が激しい世界に身を置いていても自我は崩壊せずに済んだ。ほとんどの選手は結果を残せずに球界さら去っていくが、それは自我を形成出来なかったからに他ならない。どんなに技術や体力に優れていても筋が通っていない選手は上には登れないのだ。大切なのは向上心で、今年野手全冠王を獲得したAKIRAにも向上心はある。世間からは「来年の彼は目標を見失ってしまうのではないかと」余計な心配をされているようだが心配ご無用だ。野球をしている限り、来年の目標を見失ってしまう事はない。なぜならば野球には不調が付き物だからだ。今年、AKIRAは世間から絶好調だと勘違いされているのだが、本人は絶好調など感じていない。「こんなに努力しても3割後半が限界なのか」と落胆の声を上げている。それだけAKIRAが定めている目標は高かった。彼が目標にしているのは、かつて4割の打率を記録した伝説のプレイヤー鬼崎喜三郎だ。今年は彼の記録を抜いてやろうと張り切って練習していたにも関わらず結果は打率.361。この程度の打率ならば誰でも達成できるとAKIRAは考えていた。せっかく全てを犠牲にしてまで野球に時間を費やしたのに、このレベルなのだ。最終戦を締める打席では『俺は本当に野球がヘタなんだ』と再確認して涙腺が刺激され、人目を気にせずに涙を流した。なので野手全冠王を祝福する声には素直な気持ちでいられなかった。この程度の記録など過去に幾度となく達成した者がいる筈だ。確かに野手全冠王は自分が初めてかもしれないが、大半が運に占めらている。去年三冠王を獲得した矢部捕手は、今年打率.360で第二位の打率を収めている。そうした意味では野手全冠王など大した成績では無かった。あくまでもAKIRAは球史に残る記録を残したいと思っているので、これからも目標に向かって歩み続けるだろう。
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ここから対談内容は大きく変わっていた。ディレクターから来年の目標を教えてくれとカンペで指示を出されたのだ。確かにカントリー親父の次なる目標を知りたいAKIRAは快く回答に応じようとしていた。なんせ此の手の質問は当たり前のように聞かれるテンプレの質問なので、選手はあらかじめ準備をしている。それはAKIRAも同じなので、既に答えは決まっていた。ところが目の前のカントリー親父は未だに来年の目標を決めていないようでウンウンと唸り続けていた。それも無理は無いだろう。なんせAKIRAの場合は公式戦が済んでいるので来年の目標も立てやすかったが、カントリー親父のような一般に近い職業では難しい筈だ。なんせまだ10月だから来年が始まるどころか、今年はまだ終わっていない。その状況下で来年の目標を吟味しようとする姿勢には眼福せざる終えない。AKIRAがもし芸人の立場でその質問をされたら「まだ今年の日数は残っているから分からない」と切り捨てるのに。そう思いながら、AKIRAは先に自分から応えようとしていた。彼に考える時間を与えようとしていたのだ。
「来年の目標は既に決まっている。それは自分の作品を世に残したいと願っている芸術家と同じ考え方だよ。来年は後世に認められるようなプレーをしていきたい」
すなわち球史に残る記録を叩きだしたいという思いに溢れていた。




