191 火の玉ストレート
人生は人として生きると書いて人生と呼ぶが、AKIRAにとって人生とは自分の歩み道だと思っている。なので、他人の無用な意見に惑わされて、自我を失ってしまう人生など歩みたくない。だからこそAKIRAは常に自分が楽しめるかどうかを重要視している。観客の目を気にするのは勿論だが、それよりも自分が納得して観客たちも納得してくれるプレースタイルをしていこうと野球人生の目標に定めている。どうしたって人間は人との交わりが必要になってくる。そうなった時に、自分の生きる姿勢を変えないように努力しないといけない。たとえば毎日続けている練習を天候が悪いとか、体調がよろしくないからと言って休息をするのはAKIRAの性分では無かった。そこで休憩するのは簡単だが、それだと自分の定めた目標に妥協してしまう。野球選手は人から見られるスポーツなので練習を休む真似をしてしまってはいけない。選手生命にかかわる病気なり怪我なりをしているのならば仕方ないかもしれないが、「今日は休みたいな」とか「今日は雨が降っているから嫌だな」と自分で妥協をしてしまうのは悪い癖を生み出すデメリットでしかない。今までの体験でAKIRAはその事実を理解したので、どんなに気分が落ち込んでいても自分の定めた練習を毎日続ける努力をしている。野球選手のみならず、普通のサラリーマンでも『今日は仕事に行くのは嫌だな』と誰でも思ってしまう。しかしそのネガティブな感情は仕事に行くとあっという間に消えて無くなる。ようは行動する前に恐怖感を抱いてしまっているだけで、行動している時に恐怖感は存在しないのだ。だからこそAKIRAには積極的に練習しようとする意志があった。球場に行きたくない恐怖感は布団から這い出れば消え去るのを知っているからだ。家を出た瞬間からAKIRAのスイッチが入り、ポジティブに物事を考えようとする自分を演出出来る。大体の人間は理想の自分を演じて、仕事で感じるストレスを軽減しようとしている。特にその傾向が高いのは接客業の人間だ。そして、野球選手は接客業だとAKIRAは思っている。観客がお客さんであるのは間違いない。高い金を払ってチケットを買い、球場に訪れてくれるのだから信用を失うようなプレーは見せられない。そういう危機感を感じているので野球選手は接客業だと確信を持って言えた。球団の信用を失わないようにするためには常に最高の自分で試合に出場する必要性が出てくる。AKIRAは最高の自分を造る過程を知っているので、その点の心配は御無用だ。後は試合でスムーズな動きをして、観客に不愉快な思いをさせないだけだ。そのためにはまず昨日から準備をすれば良い。昨日の段階でおおよその試合展開を予想して、それをノートに記入しながらシュミレーションをする。ところが、大抵予想通りの展開は起こらないのでシュミレーションをする意味が無いと思われがちだ。無論、その考え方は間違いに過ぎない。この場合は結果が大事なのではなく、その過程が重要だった。明日の準備をするだけで、翌日の試合に多大なる自信が生まれる。ようするにドラマで演技をする時に『台本無しで全てアドリブで行動する』か『台本に目を通した上でアドリブを交える』かの差だ。どちらが自分に自信が持てるかは言うまでもない。人間はある程度、明日の予測をしておかないとぶっつけ本番では本当の力を発揮できない可能性が高い。世の中には本番に強い人間がいると思うが、それは大抵最初だけだ。誰だって最初は上手くいくのだから、今度はそれを続けていく継続性が必要になってくる。これを継続して成功するためには今までのようにぶっつけ本番の姿勢では準備不足になってしまう。その結果、自分の調子を崩して自分が何をしているのか分からない状態を招く可能性がある。そうならないためにも、昨日から予習復習をしておいて明日の準備をすればいい。準備に費やす時間は15分程度で構わない。社会人にとって15分は貴重かもしれないが、準備をするだけで明日の自分は絶好調になるからAKIRAはそれを取り入れて野球をしているのだった。
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あれから色々あって、AKIRAは屋内練習場で投球練習をしていた。どう考えてもプロ野球で通用しないレベルの速球を日米野球が始まる前までに一級品にしようと言うのだから無茶も良いとこである。しかしAKIRAは『どうせ来季は野手一本でいくのだから今回だけ熱中して投球練習しよう』と熱血漢の感情を抱いていた。二刀流など体力が根こそぎ奪われるだけなので、とてもじゃないがシーズン中には実践できない。だからAKIRAは今年の日米野球を有意義にしようとフォーシームの改良に挑んでいた。
フォーシームを魔球に変えるためには回転数を急上昇させなければいけない。回転数が早いと打者は浮き上がるような感覚を抱き、真っ直ぐだと分かっていても打てない現象になる。NPBはその球を火の球ストレートと呼んでいるが、その球を投げられた日本人は過去に一人しかいない。その者はファンの間から球児という愛称で親しまれていた。




