170 打席の中で感じる違和感
自分の中に何かが不足している状態を誰もが体験した事はある筈だ。その不足している感情が何なのかはハッキリとは分からないが、心の中がポッカリと穴が開いているような感覚だ。それは人間なのに人間じゃないような気持ちであり、まるで自分がSF世界のマシーンになった気分に見舞われる。自分は主人公達に壊されていく運命が待っているだけで、何も変われないのだと、そんな感情を抱く瞬間は絶対にある。一瞬だけの思いなのか長らく続く思いなのか、それは定かでは無いが。無論、この考え方はAKIRAも例外ではない。自分の中に感情が不足しているような感覚は生きていればしょっちゅう感じるのだと思っている。しかし他の人間とは受け止め方が違うのでまったく不安など感じない。それどころか、この瞬間に見舞われた時は自発的に失敗している。例えば、試合に出て打席の中で凡打してしまうのも、AKIRAの中では不足している感情を見つけるためにワザと凡退する時だってあるのだ。しかもそれがまるで素人のような空振り三振に終われば、どうしたって監督やコーチから注意される。「お前には失望した」とか「あの空振りは素人同然だぞ」と言われるのも計算の内である。なぜならば、近い人間に注意されたり怒られたりする時にこそ、見失っていた心を取り戻すチャンスが訪れると知っているからだ。まるで霧のようにモヤモヤしていた気持ちが、相手に怒られる事によって霧払いされる。常人ならば上司なり先生に怒られると不満を覚える。しかしAKIRAのように自分から積極的に失敗する姿勢を貫いていれば、どんなに叱られようがまったく問題は無い。むしろ、相手の言いたい事が手にとるように分かるのだ。
こうなってくると、自分のペースに相手を巻き込んだと言っても過言では無い。想定の範囲内なのだから冷静に対処も出来る。もしも相手が額に血管を浮かべて憤慨していても、こちらは涼しい顔をして相手の話しを聞けられる。人間はどうやっても失敗するようになっているのだから、自発的に失敗する行為を積み重ねて、怒られる耐性を作るのが大事であるとAKIRAは考えていた。それに相手から感情をぶつけられるのは心を揺さぶられるのと同じなのだ。これまでに感じていた心の中に穴が開いている感覚さえも、成長するために必要だったのだと改めて理解出来る。故にAKIRAは完全主義者でありながらも、失敗に寛容だ。
ところが今回の打席では違う感情を抱いていた。AKIRAは2回裏の攻撃、4番ピッチャーとして打席を迎えたのだが、いざバッターボックスに入ると、始めから失敗のベクトルの幾何学的表現に巻き込まれていると気が付いていた。普段は自分から失敗に近づいて行こうとしているのだが、この打席では違っていた。まるで重力に引っ張られているかのように、失敗のブラックホールへと吸い取られそうだった。AKIRAはこんな未知なる感覚は初めてだと感じると同時に、さっきまでの打者はこの感覚を感じていたのだと理解していた。脳内に「絶対失敗する」とネガティブな感情を植え付けられてしまい、自分の思うようなバッティングが出来なかったのだと。こんな気持ちで打席に立っていては棒玉に三振するのも無理はない。普段は敢えて失敗しようと思わない限り、絶対的自信を持ってバットを振るAKIRAだったが、今回だけは違っていた。昂ぶる気持ちを漲らせようと思っていても、何かが邪魔をしていて前向きになれない。
しかしそれでも、最後は自分の気持ちが勝ってくれると信じて相手のボールを待つAKIRAだった。




