168 自分自身で答えを見つけるのが大事
人は恐怖を感じている時にこそ、無意識に言い訳を探してしまっている。だから「言い訳するな!」と上司に怒られた時には上司に対して恐れを抱いてしまっているのが根本的な理由である。同じ人間を目の前にして恐怖の感情を抱いてしまうのは、このように無意識に言い訳をしてしまう自分が現れてしまうので、AKIRAも対処方法に困っていた。なぜならば意識と無意識は密接した関係である。どうやっても完全には引きはがせないので、結局は言い訳をしないために普段から言葉を吟味しながら喋るのが重要になってくるとAKIRAは気が付いていた。だからこそ、モノマネ芸人が出てくる程の喋り方になってしまうのだが、それで言い訳をしないのであれば何の問題も無い。それだけ、言い訳とは人生そのものを狂わせなけない害悪なので、何としてでも排除する必要が出てくる。そもそも言い訳とは物事から逃げている証拠でもある。それに野球選手とは不安や重圧をどうしても感じてしまう仕事なので、無意識に逃げ道を作ってしまう人間に成り下がる恐れも考えられてしまう。だからこそ、AKIRAは日々の言葉遣いには注意している。プロ野球では常にメディアやファンの目が離れないが、それ以上に言葉を選ばずに喋る行為は自分のためにもならない。それは本能だけで相手に接している事とも言えるので、それではあまりにも相手側に失礼過ぎる。人間にせっかく知性という素晴らしい贈り物を授かっているのだから、それを利用しない手は無いのだ。と、そんな事をベンチで考えているAKIRAはとてもリラックスをしていた。前述でも触れたが、AKIRAは緊張と緩和を体験している瞬間がとても生き生きとしていて、充実な人生を過ごしている感じがする。今回は激しい重圧のかかる投手として登板しているが故に、その充実感も凄まじかった。落ち着きながらベンチで攻防を見ている瞬間は本当に生きている感じがして実に楽しい。例えはあれかもしれないが、小学生の時に感じていた純粋な喜びにかなり近い。夏休みに田舎に帰ってセミの声を聞きながら、カブトムシやクワガタを捕まえる。そして夕ご飯におばあちゃんが作ってくれた美味しい郷土料理に舌鼓を打つ。マウンドの緊張から解き放たれて、ベンチでリラックスしている時は、このように小学生の時に戻ったような感覚になるのだ。
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この日は名も知れない違和感を感じていた。フィールド全体に漂う空気はとても緊迫していて、今日の試合では阪海ファンとツネーズファンの暴動すらも起こらなかった。しかしその変わりに両者の応援は凄まじく、何かが乗り移ったかのようにひたすら声を出して選手達を応援しているのだ。そしてどうやらこの雰囲気を感じ取っているのはAKIRAだけでは無く、他にもいるようだ。明らかに調子がおかしい人は顔を見るだけでも分かる。見渡した限りでは『石井先輩、田中先輩、知念、監督』の4人はAKIRAと同じ感情を抱いているようだ。それを証拠に、さっきから右を見たり左を見たりと落ち着きを感じさせられないのだ。特に知念なぞ普段はベンチにふんぞり返って大欠伸をしているのに、今回に至っては行儀よく正座をして、チョこんとベンチの上に座っていた。誰がどうみても様子がおかしいとしか言いようがない。そこでAKIRAは一番の年長者である石井の隣に座って、この違和感の正体は何なのかと問うた。
「今日の試合は何かがおかしいと思わないか? 何かこう……得体の知れない存在から四方八方に監視されているような感覚がする」
この違和感の正体は一体何なのか、さっきから色々と吟味を行ったみてたがどれにもあてはまらない。なんせAKIRAは野球を『心理のスポーツ』だと思っているので、ありとあらゆる心理学を知識として吸収している。それでも今の自分はどの心理状態にもあてはまらず、特殊な状況を感じているとしか思えなかった。なのでAKIRAは、プロ野球を30年以上も続けている大ベテランに見解を問うたのだが、彼から返ってきた言葉は以外な物だった。
「そうか……お前は初めてだったな。それなら違和感を感じても仕方ない。だが球場全体を包み込んでいる感覚はプレーを続けていく内に自然と分かるさ。それに、俺が答えを言うよりも自分で答えを発見し、心で感じた方が良いだろう?」
石井はそう言っていた。答えは自分自身で見つけろと。確かに人に答えを聞くよりも自分で見つけた方が何倍もカタルシスを感じるので、AKIRAは若干戸惑いを見せつつも、今後の打席に立つ瞬間やマウンドで躍動している時が楽しみだとポジティブに思うのだ。
「それはそうだな。確かに新しい疑問と対面した時には自分で解決し、答えを見つけた時の方がパトスを克服出来る」
疑問を感じている時こそ、緊張感は頂点に達する。それをプロ野球選手として試合に出るようになってからは極度に思うようになっていた。AKIRAの脳内を這いまわるテーゼの虫達をどうやって駆逐していくか、そこに本当の意味があるのだと。しかも、今直面しているAKIRAの疑問は、弁証法を構築していく上での重要な要素となりえるのだから真っ向から受けて立つ構えを見せていた。今までも、どんなに強大なテーゼに対面しても、決して逃げずに問題解決を最優先に考えてきた。だからこそ、今回も絶対に答えを見つけ出してみせると、AKIRAは決意したのだった。そんな事を考えていると、石井は上機嫌になっているのか口角を上げて最接近していた。
「さすがはよく分かってるな。お前こそ、娘の夫に相応しい男だぜ」
そう言うと石井は顎を伸ばしながら、右手でツンツンとAKIRAの胸を叩いてきた。既に石井は自分の娘をAKIRAと結婚させようと必死になっているので、こういう状況でも結婚を匂わせる発言をしていた。そんな可愛げのある石井の行動が、たまらなく心を癒してくれるのは言うまでもない。




