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AKIRA  作者: 千路文也
プロ2年目  -苦悩-
167/426

167  恐怖


 どれだけ優れた様を見せようとも、心の中での葛藤を人に見せるのは容易じゃない。心の底から笑顔を見せているのは仮初めであり、本当は誰よりも苦しんでいる場合だってあるのだ。その点ではAKIRAも同じである。彼は球場では普段冷静沈着に物事を判断しているのだが、完全に感情を抑え込むのはどうやっても不可能である。そのため、喜怒哀楽を表現したいと願う自分と、冷静に判断を下そうとする自分とで言い争いがあったりする。本当は嬉しいと思っているのに感情を表に出さないのは駄目な行為なのかと、思う瞬間が度々あったりする。しかしその度に何とか感情を押し殺して無の境地に達しようとしている。まだまだ無の境地とは程遠く雑念ばかりの感情を抱いてしまう。それでも自分の考える意志に従ってプレーをしようと決意したのだから反する訳にはいかなかった。それは悪魔の囁きに負けてしまうと、本来の自分を取り戻すのにかなりの時間を消費してしまうと身を以って体験しているからである。悪魔の言葉には出来るだけ屈しないようにしながら、邪な思いは断ち切ろうと日々の鍛練を忘れない。しかしそれでもAKIRAは人間に変わりないので、囁きに負けそうになる自分も確かに存在している。しかしそのような状況であっても、なんとか自分を鼓舞するために内なる情熱を抱こうとするのがAKIRAである。つまり前向きに生きようとする意志そのものは失われていないのだ。今日、AKIRAはプロ野球生活始まって以来の大仕事に取り掛かる訳だが、当然それなりの重圧を抱えている。まるで、サラリーマンが上司達の前でプレゼンをするような緊張感さえも感じていた。この重圧と緊張感の中で投球をするのは自分だけしか出来ないポジティブに言い聞かせようとするのは良いとしても、それとは別に妙な感覚を抱いていた。試合前にこのような感覚を感じ取ったのは288試合目にして初めてであるので、違和感を感じざる終えないが今更何を言っても仕方がない。こうなれば『流れに身を任せてやろう』とAKIRAは1回の表、マウンドに立ったのだった。



 *************



 今日の相手は因縁の鎖に繋がれているツネーズとの対戦である。選手間でもそうだが、ファンの間でも衝突が凄まじい。相手ファンに暴言を吐くのは当たり前で殴り合いの事態に発展するのもシバシバだ。しかしそれは純粋な心を持っているファンにとっては迷惑行為そのものなので、AKIRAは試合中にファンの喧嘩を目撃した時には、その観客席に向かってボールを打ち返すようにしている。そうすれば嫌でも殴り合いは中断されるのだ。と言っても今のAKIRAは投手としてマウンドに上がっているので、観客席にまでボールを運ばれるのは絶対にしてはいけないのだが。


 こうして、1回の表ツネーズの攻撃が始まった。先頭打者は足も速くてミート力もあり、ホームランを打てる長打力を持っているカメローからだった。彼はAKIRAのように本名をもじった登録名で試合に出場しているので昔から親近感はあった。それでも今は敵同士に変わらないので、ヒットを打たせる訳にいかなかった。AKIRAは足を上げてセットポジションに入ると、独特のサイドスローからボールを放った。彼の身長203センチもある巨体がマウンドで躍動する様はあまりにもダイナミックであり、カメローも怯えた様子でバットを振っていた。表示されている球速はいきなり170キロを記録しており、カメローが驚くのも無理は無い。昨日まで野手としてセンターに出場していた男が、マウンドに上がると170キロのフォーシームを投げる怪物に豹変するのだから。しかも左のパワーピッチャーは日本には中々いないので対戦する機会すら少ない。きっとカメローは別次元の怯えを感じてしまっている筈だ。


 それは捕手としてAKIRAの球を捕っている松本も一緒だった。170キロのフォーシームなど滅多に捕球する機会が無いので、腰を抜かしたように尻餅をついてしまっているではないか。去年は平気な顔で捕球していたのに、今日はいつも以上に恐れを感じてしまっている。だがそれは投手であるAKIRAも何故か同じだった。あそこまでの速球を投げた自分に怯えているのは有りえない。170キロ程度を投げる速球選手はアメリカに行けばそれなりにいる。数は多くないにしても、世界にはAKIRAレベルの投手がいるのだから孤独感など感じる筈も無いので、怯える意味も無い。では何故、自分は怯えているのかその理由が分からないまま、AKIRAはとにかく投げ続けた。サイドスローから放たれる地を這うようなフォーシームはまるで蛇のように変則的で、結局カメローは三球三振に終わってしまった。


「ストライーク、バッターアウト!」


 マウンドから見ていると、まるで自分のバッティングをさせてもらえないような雰囲気だった。しかしそれはAKIRAも同じであり、本調子の投球が出来ていなかった。そもそも、カメローは現時点で打率.329を叩きだしているヒットメーカーなので、そう簡単に三振などしない。謎は深まるばかりだが今は投球に集中するのが大事だと自分に言い聞かせるAKIRAは、その後のバッターもピシャリと押さえて1回の表は三者凡退に終わったのだった。



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