157 満たされぬレゾンデートル
人間は疲れて当たり前とされている。無論、これは若きスーパースターの異名を誇るAKIRAであっても同じ事である。試合が終わると全身に疲労感が蓄積されていると感じるため、ロッカールームで着替えをしている頃にはクタクタである。今日は加々美を相手に4打数4安打で、しかも内容はセンター前ヒット、レフト前ヒット、サード強襲内野安打、ファースト強襲内野安打と全打席で単打を放ったので自分自身では納得のいく結果を残せたので、まだ気持ちと心は軽かった。しかし、いくら精神状態が良好でも体の疲れは軽減されないので颯爽と帰りたかったが、実はこの後に加々美と飯を食べる約束をしてしまった。試合前に「ホームレスと言って悪かった。今度飯を奢るから、それで勘弁してくれ」と言うと、なんと加々美は「社交辞令じゃないと証明するために、今日飯を奢れ。それも試合が終わった後でな……絶対に逃げるなよ」と、無理矢理電話番号と目るアドを交換させられたのだ。着替えが終わって不意にスマホを確認すると画面には当然の如く着信履歴が残っている。しかも10件以上かかってきていて、加々美は本気であると改めて思い知らされるAKIRAだった。
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試合終了後、加々美との待ち合わせ場所に辿り着いたAKIRAは自身のカスタムバイクに彼を乗せて目的の場所に向かおうとしていた。さすがに初対面の相手にいつものおでん屋に連れて行くのは出来ないと思ったAKIRAは、あれから必死にぐるなびで穴場を探し回っていた。すると近くにレビューの評判が高い中華料理屋を見つけたので、そこに向かっている途中である。すると、加々美は後ろから声を掛けてきて会話をしようと積極的な姿勢を見せていた。敵対するチームの4番打者とエースピッチャーが試合終了後に会話をするのはどうかと思ったが、何も会話をせずに目的の中華料理屋に辿り着くパターンを想定すると、それよりはマシかなと思ったAKIRAは意を決して彼の言葉に耳を傾ける事にした。
「改めて、お前は19歳には見えないな」
加々美から飛び出してきたのは、普段から聞きなれている言葉だった。AKIRAが生まれながらに持っている意識の高い言動と、その低い声を重ね合わせるとどうしても19歳の若い人間が口にしている言葉には思えないのだ。しかもAKIRAはサムライのようにセクシーな髭を生やしていて、顔立ちも中々のハンサムだ。それ故に、見た目は完全にダンディーな親父であるのだ。しかし、後ろにいる鏡も十分に老けていて、とてもじゃないが20代には見えないのが特徴的である。そんな実際年齢より幾分も老けて見られる2人が、こうして同じバイクに乗って同じ目的地に行くのは滅多にない事だと、AKIRA自身も変化を感じていた。そしてAKIRAは加々美の言葉に答えようと頭よりも先に口を動かしていた。球場にいる時ならば、常に頭の中で言葉を取捨選択して不適切な言葉を言わないようにしているが、今はメディアもファンの目も無いので自分が本能で思った言葉を直接口に出せるので、少なくとも生きた心地はしているのだった。
「ああ、実に良く言われる。実際年齢より老けて見えると」
その甲斐があったのかは知らないが、今のAKIRAは理想の夫として主婦層からの支持が凄まじい事になっている。時には「30歳の夫より頼りになりそう」と言われて、どう返事をしていいか分からなくなるが、それぐらい球場の中でのAKIRAは落ち着いて、物事を冷静に分析できる男だとファンの間では認識されているようだ。無論、普段のAKIRAはそれとは正反対に熱血的でハイテンションな性格しているので、球場のAKIRAは自分の中で作り上げたキャラクターを演じているだけに過ぎない。以前、CM撮影をしていた時に監督から「とても素人の演技には思えない。そこらの大根役者よりインパクトもあるし、今すぐ野球を辞めて舞台俳優になるべきだ」と評価される程の演技力を見せつけた。その演技力は普段からオンとオフを切り替える事によって自然に演技力が鍛えられたのだと今ならハッキリと断言できる。とにかく、オンとオフの自分を作らないとストレスが簡単に溜まってしまうので、プロならば仕事の自分と日常生活の自分とで分けないとやっていけないのだ。
「そうか、どうやら今のお前は心がレゾンデートルで満たされているようだな……俺とは違って」
傍から見ると、AKIRAは自身の存在理由が満たされていると言うのだ。人々からスーパースターだと言われて称賛され続けられる毎日はプレッシャーを生み出すだけの無価値な生活だと思っていたAKIRAにとっては意外な一言であった。一般社会に身を置いているサラリーマンを子供がケースの中に入ってるおもちゃに目を輝かせて見ているかのように羨ましく思っていたぐらい、今のAKIRAは精神的に追い込まれている。それぐらい、彼が感じているプレッシャーの量は日常生活で受けるプレッシャーとは比べ物にはならない。もしもAKIRAの部屋が2階以上に用意されていたらそこから飛び降りていたかもしれないと思う程、シーズンでは強烈な苦しみを抱えながら野球をしている。そんな自分は客観的に見られるとレゾンデートルが満たされていると言うのだから、ただ驚くしかなかった。今まで、自分は他人からどういう目で本当は見られているのか分からなかっただけに、加々美の言葉が意外にも響いてきている。ところが、加々美自身のレゾンデートルはまるで満たされていないと言うのだ。あれだけ長期間結果を残せるのは並大抵の努力では不可能なのにも関わらずだ。
「何故、そうだと思う? 加々美先輩は素晴らしい結果を残しているだろう」
それについて疑問を感じたAKIRAは率直に問いかけるのだった。




