153 不安定な自分を排除する
AKIRAとて常に疑い深く自分に接する訳では無い。時には自分を励ますため、試合が始まるまでに好きな音楽を聞いてリラックスをする事もあるのだ。まるで普通の社会人がしてるような方法だが、そもそも野球選手も立派な社会人であるので気持ちを落ち着かせる方法はサラリーマンだろうが野球選手だろうが同じである。そんな中でAKIRAが好き好んで聞いているのはアイドルグループの曲だ。特に国民的知名度を誇るアイドルなんかよりも、巷では地下アイドルと呼ばれている子達の曲に勇気を貰っている。彼女達は田舎から一人で上京して孤独を抱えているような者ばかりなので、その背景を想像しながら歌を聞いていると次第に自分が鼓舞されていき、「こんなところ挫けてる暇は無い」と思わされるのだ。時にはロッカールームで彼女達の歌を口ずさんでしまい、周囲のチームメイトから大丈夫かという眼差しで見られる事もあるが、他人にどうこう思われようとも自分が納得しなければ意味が無いので、AKIRAは常に自分の内なる心が何を求めているかと耳を傾け続けていた。その結果、チーム内で地下アイドルの曲が流行ったりして、意外にも事態がプラスになったりするので自発的に何かをするのは決して悪くはないのだ。そして今日のAKIRAもロッカールームで着替えを終えると、ユニフォームを着たままバッグの中からスマートフォンを取り出してユーチューブのアプリを起動させる。お目当ては勿論、AKIRAが好んでいる地下アイドルの曲だ。しかし、売れていないので再生数は600程度なのが実に寂しく感じさせる。これならまだ素人のカラオケの方が再生数も上だろうが、そんな事はお構いなしにとイヤホンを差して耳に装着させた。すると耳には彼女達の歌声がこだましていくのでかなりの幸福感を得られるのは言うまでもない。彼女達は売れるか売れないかの未来がまったく分からない状態でも、こうして一つの作品を作れるのだから大した者だと言わざる終えない。彼女達の悩みや苦悩に比べると自分の精神的苦痛など大したもんじゃないなと思わされるのだ。しかし、AKIRAはただ音楽を聞いてリラックスしようとはしない。時間は限られているので音楽を聞いている時でも常に考え事をしているのだ。無論、ネガティブな感情を出すのはプレイ前では御法度と自分の中で決めているので、もっぱら相手投手の投球や捕手のリードを想像しながら打席に立つ想像をしている。そしてこれはポジティブな考え方なので全打席で内野安打やバントヒットを成功させるイメージを描いている。ここで常人ならホームランを打つ自分を描きそうだが、足を生かしたプレイを彷彿とさせるところがAKIRAらしいと言えばAKIRAらしいのだった。
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ロッカールームでの儀式を終えるとAKIRAは球場に足を踏み入れた。まだ選手はおろか球団関係者すらいないので、もぬけの殻である。そして何故、結果を残しているAKIRAが誰よりも早く球場に来て練習をするのかと言うと人の目を気にせずに練習をするのが実に効果的だと分かっているからだ。既に彼はコーチから教わる事柄など人生論だけであり、技術はある程度習得していたからこそ、一人で黙々と練習をする方が性になっている。なのでAKIRAは試合が始まる数時間前から既にスタンバイをしていて誰もいない時間帯を狙って練習をしているのだ。それに努力をしている時の方が自分がAKIRAでいられるので家でジッとしているよりいくらかマシである。普段、部屋の中で過ごしている渡辺明という人間はとてもネガティブで憂鬱な気持ちを胸に抱えている弱い存在なので、そんな自分にも嫌気が差して颯爽と外に出て球場に向かい、ユニフォームを着てAKIRAに変身する。よく、スポーツ選手はオンとオフの切り替えが凄まじいと言われているがAKIRAの場合は野球選手としての自分を演じているだけなので切り替えている感覚ではなく、むしろ全身に力を込めて緊張しているような感覚だ。部屋の中にこもっていてはとてもじゃないが味わえないプレッシャーを体験できるからこそ、野球は面白いと感じさせられる。
そんなこんなで練習を続けていたAKIRAは自分の中に結果を出そうと欲望を抱いている負の念がある事に気が付いていた。結果を出すのが野球選手としての誇りとも言えるが、AKIRAは結果よりもむしろ自分の精神状態を気にするタイプなので、結果にばかり囚われてしまう考え方を追い出そうとがむしゃらに素振りをしていた。このように簡単に邪念が心の中に生まれてくるので自分は精神的に弱いと、痛い程感じさせられるのだ。だからこそ、いくら結果を残そうとも自分の精神状態が乱れていては何の価値も無いとAKIRAは考えていた。とにかく人生を楽しむのが先決なのだから結果どうこうよりも、まずは自分が本当に苦しくないように努力しなければならない。そのためには取捨選択をしてネガティブな自分を削って、新しい鉛筆のように尖った芯を見せなくてはいけない。まだまだ発展途上で至らぬ部分の方が圧倒的に多いかもしれないが、いつかは自分でも完璧だと自信を持って豪語出来るAKIRA……もとい渡辺明になりたいなと感じていた。それだけ、今の自分はまだ未完成で粗の多い存在だと自覚させられていた。未だに凡打をして後ろ向きになる自分が心の中にいるので、出来るだけそのような感情を排除していこうと考えているのだが、中々上手くはいかない。以前よりはポジティブに物事を考えていて、たとえ5打数ノーヒットで次の打席を迎えても「まだ俺はヒットを打てる」と思えるようになっていたのが救いとも言えるが。




