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AKIRA  作者: 千路文也
プロ2年目  -苦悩-
117/426

117  感覚の大切さ


 それからというもの、山室は本から伝わってきた事を熱く語っていた。自分には野心が足りずに目標を設定していなかったのだと。だから小さな目標を立てる事から初めて日々の練習をしてみるとまず充実感が違うのだと言ってきた。練習をしている間は勿論辛いし面倒くさいとネガティブな発想になったけど、練習が終わると目標を達成した気持ちになって充実感が湧いたのだと。今まで嫌々やっていた練習を、果てしない目標の糧として考えるだけで気持ちが楽になっているようだ。やはり考え方次第で人はどんな事でもやり遂げられる才能を持っているらしい。山室は人間なら誰しもが持っている才能に気が付かずに、黙々と練習していたという。それでは駄目だと漸く気が付いたのがAKIRAの渡した本を読んでからというのだ。


 本を通して成長のヒントを掴むというのはありきたりだ。どんな偉大な選手もスランプに直面するのは当たり前であり、その度に本を読んで壁を破る方法を模索し続けるのがプロフェッショナルだ。もしも月に一冊も本を読まずに「スランプが辛い」と言っている者がいれば、その人物はきっと未来永劫苦しみ続けるだろう。この時代、どんな仕事に就いていても活字の本を渡される機会は多々ある。例えば、仕事のマニュアル本だって立派な本だ。スランプだと言うのに本を読まないとい事は、つまりマニュアルを読み直す考えも頭に無いという事だ。それではスランプ脱出もままならないのは当たり前である。


 辛いときこそ初心に戻って一から勉強する。そうすれば初心者だった時代の自分を思い出すきっかけにもなるし、明日も頑張ろうという活力が生まれる。山室は一冊の本を通じて『プロの一軍に上がろうと必死に努力をしていたあの頃』を鮮明に感じたようだ。


 AKIRAは山室の熱弁を聞いている内に自分の中にも前に進もうというポジティブな気持ちが芽生えている事に気づいた。彼は日常の時は不安でいっぱいで毎日が憂鬱としている人間だ。そんな人間が日常の中でポジティブになれるのは滅多に無い事だ。そしてそれと同時に何故、前向きな自分が覚醒したのか理解した。その理由とは、相手が心から喜んでくれているという事実にあった。笑顔を振りまき、この本を読んで良かったと言ってくれる。それだけで歓喜に溢れる。いつも自分のために野球をやっていたのに、ここにきてチームメイトのためにも野球をしている。自分は孤独では無かったのだと思い知らされる瞬間だった。


 常に孤独と闘ってきたAKIRAがここまで満たされた気持ちになるのは山室が成長のチャンスを掴んでくれた事に他ならない。元々はセンターという同じポジションを務めていて、AKIRAが入団してレフトにコンバートされた。そういう意味では両者はポジション争いのライバルと言っても過言ではない。そんな相手が野球選手として成長しているのを肌で感じて、真に嬉しい。ここにきて新しい感情と出会えるとは想像すらしていなかったので、AKIRA自身もかなり興奮をしていた。更に自分の哲学を深める事が出来るぞと妙な張り切りを覚えている。


 やはり人間は感覚によって左右される生き物だ。昔、純粋に感じていた喜びを大人になってからは感じられなくなり、日常や仕事に不安を覚える。それは小学校の頃、当たり前に出来ていた明日の準備に疎かになり、毎日当たり前にしていた準備をしなくなった事が理由だとAKIRAは考えていた。だから少しでも不安を減らそうと明日の準備を入念にする。入念と言っても10分程度で構わない。それだけで大分心と体は楽になる。そして、プレー中には小学生の時に感じていた『何をやっても楽しい』という純粋な感覚を少しだけ体験できる。この少しが大事なのは言うまでもない。体験しないのと体験するとでは大きな違いがある。


 小学生にやっていた事を大人になってもやるのが大事だと気が付いたのは去年のシーズン中だった。8月14日のボンバーズ戦。先発投手の谷が緩急をつけたピッチングで阪海打線を沈黙させ、AKIRAも三振二つとショートゴロに打ち取られたという苦い経験があった。谷と対戦している時、『何故彼は調子の波が激しいのに完璧な投球が出来るのだろう』という疑問がふと頭の中に湧いた。この疑問が頭の中から離れず、結局AKIRAは本人に確かめようという事で、試合終了後に無理を承知で接触を試みた。当時はまだAKIRAもそこまで知名度が高かった訳ではなく、ちょっと活躍してるだけの若手選手だった。そんな自分が何年も年上の先輩、しかも他球団のエースピッチャーに話そうというのだから相当の覚悟があった。しかし、疑問を頭に残したままにするのは精神的に悪いのは分かりきっていた事なので、勇気を振り絞ってコンタクトを取った。すると、谷選手は快くコミュニケーションをとってくれて、その時に『小学生でやっていた事を大人になってするのが安定に繋がる』と教えられた。彼が言うのには物心がついた時からやっている事は体に染みついており、それを放棄すると不安になるのは当たり前だと言うのだ。その言葉を聞いた時、AKIRAは確かにそうだと思った。それから彼は思考や哲学に興味を抱き、考え方次第で人間はどうにでもなるのだという結論に至った。


 日々の準備を忘れずに、子供の頃当たり前にやっていた事を大人になった今でも忘れない。この考え方を貫く事でAKIRAは純粋な感覚を保っていた。何をやっても楽しいとまではいかないが、日々の出来事が心の中に残る。それだけで充実した生活が送れるのは言うまでもない。




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