001 邂逅
阪海ワイルドダックスは十年連続最下位の不名誉な記録を叩きだしたプロ野球チームである。この球団は財政的にも厳しく、フリーエージェントで選手を獲得することもできず、新人や戦力外の選手を集めて何とか一つのチームとして成り立っていはいたのだが、十年連続最下位という屈辱からオーナーが精神的に病んでしまい、自殺してしまったのだ。
オーナーの急死で文字通りチームは崩壊していた。しかし、そこに現れた新たなるオーナーはメジャー通算700号ホームランの黒人スラッガー、マイケル・ワーグナーだった。なんと彼はマスクで顔を隠し、謎の新オーナー兼監督兼プレイヤーとして阪海ワイルドダックスの再建を陰から支える事となったのだ。
そして、丁度その頃野球界が盛り上がりを見せていた。ドラフト会議である。今年のドラフト会議の目玉は高校通算86号ホームランと、決勝戦では最速170キロを記録した伝説の高校球児、渡辺明だった。彼は12球団全てのスカウトがコンタクトを図り、入団させようと必死になっていた。無論、ワイルドダックスも同じであった。
ドラフト会議当日、数多のフラッシュが炊かれる中、ドラフト会議が始まった。アナウンスが各球団の第一回選択希望選手の名前をコールする。
「第一回選択希望選手阪海ワイルドダックス渡辺明。外野手」
ここで、会場からドヨメキが走った。なんと、決勝戦で170キロを叩きだした渡辺明を外野手で獲得するというのだ。
無論、各球団はそれぞれ投手として渡辺明を指名する。こうして、阪海以外の11球団は全て投手として指名することとなった。
「抽選に参ります」
ここで、各球団の監督が前に出た。12球団全ての監督が同時に抽選する事は史上初であり、カメラのフラッシュが濃くて眩しい。その中で監督たちは箱の中に入っている一枚の当たり紙を目指して、紙を引くのだった。
「ぐ」
なんと、手を挙げたのはワーグナーだった。黒人の黒い手を上空に突き出してガッツポーズをしている。他の監督たちは悔しそうな顔を浮かべて、それぞれの席へと戻って行った。
こうして、阪海ワイルドダックスに高校野球のスターが入団した。ワーグナーの類まれなる幸運が球団に一筋の光を差した。しかし、安心は出来ない。野球界最強の遺伝子を持つ渡辺明を立派なプロ野球選手に育てるという使命を同時に背負ったのだ。これから、ワーグナーオーナー兼監督兼プレイヤーの手腕が見逃せない。
そして、月日は流れて開幕戦。ワーグナー監督は相変わらずマスクを被って誰にも正体を明かさないまま、ブリーフィングルームにて選手たちと試合前の話し合いをしていた。
「今日の試合は4番に明を使う」
そう、高卒ルーキーの明を開幕4番で使うというのだ。選手たちは何故か「そうだろうな」という悟った表情を見せていた。それもその筈、明はオープン戦で首位打者、ホームラン王、打点王、盗塁王の四冠を樹立していたのだ。
「そして、渡辺明という名前ではなくAKIRAという登録名に変えた」
しかし、これには選手たちは驚いた様子だった。特に驚きを隠せないでいたのは明本人である。本人に何の確認を取らないで、勝手に登録名を変えたというのだ。
「ちょっと待ってくれ。なんで登録名を変えるんだ!?」
明はパイプ椅子から落ちて転げまわりながら監督に問いただした。
「渡辺明という名前は平凡すぎてツマラナイ。高卒ルーキーに必要なのは何よりもインパクトだ。だから登録名を変えさせてもらった」
「しかし。いきなり名前を変えてプレーするというのは……」
「お前なら出来るさ。さあ、行って来い!」
こうして、渡辺明改めAKIRAはグラウンドに飛び出していった。
「4番センターAKIRA」
観客から大歓声が沸き起こる。高校野球のスターがプロ野球の開幕戦で4番を打ち、更に改名までしているのだ。場内の盛り上がりは初回からマックスに跳ね上がっていた。
そんなAKIRAを迎え撃つのはツネーズのエースナンバーを背負った宮腰投手である。宮腰投手は左腕でありながら平均球速156キロの本格的左腕である。
ズバアアアアアアアアアアンン!!!
という音と共にボールがキャッチャーミットに収まった。なんと球速は160キロである。宮腰は高卒ルーキーと真っ向勝負で挑むようだった。
「ハハ。プロのキレのある160キロは怖いか?」
「…………」
キャッチャーの矢部が話しかけてきたが、AKIRAは無視をした。すると、次の瞬間、158キロの顔面擦れ擦れのプラッシュボールを投げ込んできたのだ。AKIRAは思わずのけぞって、バッターボックスから体をはみ出した。
「先輩を無視したら怖いって高校で教わらなかったのかな?」
矢部はマスク越しにニヤニヤと笑っていた。しかし、AKIRAはそれでも表情を崩さずに、バットを構えた。これには矢部選手も怒り狂い、もう一度プラッシュボールを要求した。
バゴオオオオオオオオオオオンンンン!!
しかし、AKIRAはその顔面擦れ擦れのボールを叩き返し、レフトスタンドの上段まで叩き込んだのだ。プロ初のホームランは初打席で、初の逆方向のホームランだった。あまりの怪物ぶりに、宮腰投手を口をポカンと開けて、レフトスタンドを見上げたままである。
「ちくしょう、このまま終わらせるか」
ダイヤモンドを一周するAKIRAに向かって、矢部選手は聞こえるように独り言を呟いた。
そして、AKIRAの第2打席。矢部は変化球とストレートを織り交ぜたガチの配球で、翻弄させようとしたのだが、AKIRAはなんと初球のチェンジアップにタイミングを合わせ、ドラッグバンドを仕掛けたのである。球は一塁手と投手の間をコロコロと転がっていく。
「バカな!」
矢部選手がマスクを脱ぎ捨てて慌てた様子で指揮をするが、もう遅い。ピッチャーが球を拾った頃にはAKIRAは一塁ベース上で伸びをしていた。そう、AKIRAは怪力だけではなく、走力とバント技術も異次元級だったのだ。
そして、AKIRAはこの後、二盗、三盗と連続で決めて、矢部選手のイライラを更に増やしたのであった。
第3打席は162キロの内角球を左中間に運んでツーベースヒット。第4打席は140キロのチェンジアップを内野五人シフトでがら空きになった外野に球を運んでスリーベースヒット。なんと、AKIRAは高卒野手最速となるサイクルヒットを達成したのであった。
しかし、お立ち台に立ったのはAKIRAではなかった。一失点完投勝利を収めた宮腰投手である。AKIRAは孤高奮闘の活躍を見せたのだが、チームは二十六失点と敗退し、チームで唯一ヒットを打ったのはAKIRAただ一人であった。
「最速162キロの左腕なんて打てるか!」
ベンチでやけになっていたのはチーム最年長48歳の石井遊撃手だった。
「動体視力が落ちてるかもしれんな」
AKIRAの何気ない一言に、石井は愕然として、大きく項垂れたのであった。
「お前はいいよな若くて。俺なんて四十八歳のジジイだぜ……チーム事情で引退する事は許されない俺はお先真っ暗だ」
そう、チームの雰囲気は最悪だったのだ。
その後、チームは泥沼の29連敗を重ね、漸く勝てたのは5月のゲームが始まってからだった。そんな中でもAKIRAは一人で奮闘。
打率.246 6本 8打点 10盗塁
高卒野手としては十分すぎる数字を叩きだして、開幕から5月に至るまで、走れる4番打者として君臨し続ける。そして、高卒という事も考慮され、4月の月間MVPを獲得したのだった。