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「以上が朝の顛末よ」
遥はさばさばとした表情で話を終えた。
籠目高校の本日の授業はすでに終わり、放課後に入っていた。残暑の時期になっても衰える様子を見せない日差しは、相変わらずじりじりと大気を焦がしている。
その熱気も、校舎の中にまでは入ってこられない。全館に設置されたエアコンが心地よい冷気を循環させている。特にパソコンがずらりと並べられたこのコンピュータ室は放課後もエアコンが効いているので、涼しく過ごすには最適だった。
今、この部屋にいるのは遥と、一年生の枇々野那奈、阿久津瑠璃の三人だった。後方窓際の一角を占領している。普段はこの部屋を根城として使用しているコンピューター部には笑顔で退去してもらった。
遥は二十五歳と、教師としてはまだまだ新米だが、さすがに高校一年生の二人と比べれば、大人びている。そしてけっこうな美人だ。ぱっとしない芸能人よりはよほど綺麗である。
しかしナナはその美しさを吹き飛ばすほどの超絶美少女である。現役のトップ女優を相手にしても全く引けを取らない。その微笑みの力は、でコンピューター部に快く部屋を明け渡させることで、さきほども実証されたばかりだ。
残るルリのボブカットに黒縁メガネをかけた無表情な顔は、並んでいる二人と比べると華やかさにかける。しかし、身長はファッションモデルクラスで、、モデルになるには少々グラマラス過ぎるところボディを持っている。
「そのまま学校に直行してきたのね」
ナナは教師相手にでも不遠慮に話す。それを礼を失した態度と思わせないのが、彼女の美しさの力である。
「タクシーに乗って、最初は家の辺りをお願いしたんだけど、三十分経っても着かないのよ。ようやく落ち着いてきたから現在位置を聞いたら、なんだか変なところにいて、家に帰る余裕は全くない、学校に直行してもギリギリだって分かったから慌てて行き先を変更したの。運転手さんが飛ばしててくれたから間に合ったけど、危なかったわ」
「なんでそんなに落ち着かなかったの?」
「落ち着く?」
「さっき、三十分経ってようやく落ち着いたと言ったでしょ。お持ち帰りされるのが始めてだったわけじゃないでしょ」
「そりゃ、お持ち帰りは何度もされているけど……って、こんな話をあなた達にして大丈夫なの?」
「なにが大丈夫なの?」
ナナは期待に満ち溢れた笑みを湛えて問い返す。
「お持ち帰りとか、そういう話をすることがよ。あなたたちはまだ一年生なんだし。教師として教え子にそんな話を聞かせて良いものかしら」
「教師としての矜持と、朝帰りを北浦先生に知られることを天秤にかけてみて。どちらが正しい道かしら?」
北浦先生は俗に言う売れ残りであり、二年生の学年主任でもある。生徒の風紀にも厳しいが同僚の先生達にも厳しい。特に遥に対する風当たりが強いのは、全校周知のことである。今日も追い掛け回されていたのを、ナナ達が匿ったのだ。
しかし不幸なことに、それは遥が災難から逃れたことを意味しなかった。別の悪魔に捕まっただけのことだ。
「それはもうなくなった話でしょ」
一気に青くなった顔で遥は弱々しく訴える。
「先に隠し事をしようとしたのは遥ちゃんよ」
「え?ちゃん付けまでされるの?」
目を丸くする遥に、ルリはおずおずと手を上げて助け舟を出す。
「後学のためにもぜひ聞かせて下さい」
「そうそう、後学。後学のためなら良いでしょう。生徒の未来のために、己の経験を伝承するの」
しかしさすがにその程度では、遥の矜持は破れない。
「反面教師という言葉もあることですし」
「カッチンは本当に素でひどいことを言うわよね」
ナナはルリのことを「カッチン」と呼ぶ。
「今のはダメか?確かにダメだった見たいだな。言い過ぎてしまい、申し訳ありません」
うなだれる教師を見て、ルリは大きな身体を折り曲げて、ふかぶかと頭を下げる。遥はルリの頭のてっぺんを見ながら大きく息を吐き出し、硬い木製のイスにくつろいだ格好で座りなおす。
「気にしてないわ。ただ、ひどく歳を感じただけ。久しぶりだわ」
「歳ですか?」
「高校生ののりにはついていけないってこと。ついていってもやばいんだけど。で、なんだっけ」
「お持ち帰り」ナナが人差し指を立てて答える。
「そっか。そうね、お持ち帰りなんて珍しくもないわ。ある意味、合コンなんてそれが目的で行くものなんだし」
「そうなんですか?」
「もちろん人それぞれだろうけど、結局はそういうことでしょ。そもそもお持ち帰りなんてただのファーストステップじゃない。ということは、あなたたちはまだされてないのね」
「合コン自体にほとんど行っていませんから」
「普通なら、経験値を高めるためにもできるだけ行っておきなさいって言いたいところだけど、枇々野さんは必要ないでしょうね。行っても面倒くさいだけでしょうし」
「結果は分かっていますから」ナナは澄まして見せる。
「でも、阿久津さんは枇々野さんとばかり付き合っていてはダメよ。この子はある日突然、すっと別世界に飛び込んで行っちゃうんだから」
「大丈夫です先生。こいつはそんなに薄情な奴じゃありません。どこかに行く時には、ちゃんと一言断ってから行きます」
「すごいわー、ゆうじょうだわー」
「遥ちゃん、ぶっちゃけ過ぎ」 棒読みセリフにつっこみが入る。
「社会人になるとね、友情って言葉の意味を再確認したくなる時があるのよ」
「お持ち帰りです」
ルリが道を正す。
「だからね、落ち着かなかった理由はお持ち帰りされていたことにじゃないの。お持ち帰りされた記憶がないことなの。私はこれまでに数多の飲み会に参加してきたけれど、合コンに限らず、記憶を失ったことはないわ」
「お酒強いんですね」
「ううん。弱くはないけど、決して強いわけではないわ。飲む人は飲むわよ。本当にウワバミみたいな人もいるからね。ウワバミって知ってる?」
「お酒をたくさん飲む人のことでしょう」
「あの人たちは遺伝子レベルで違うんだなって実感するわ。私は強いから記憶を無くさないんじゃなくて、自分の限界を知っていて、絶対にその限界を超えないように飲んでいるから、大丈夫なの」
「そんな飲み方で楽しいの?」
「お酒の楽しみ方として正しいかどうかは分からないわ。潰れるまで飲むのが正しいとも思わないけど。お酒を飲むなんて、ただの一つの手段だかね」
「なんの?」
「男を落とすためでしょ。なんのための合コンよ」
「でも飲み会は合コンだけじゃないでしょ。女友達同士でだって飲むんでしょ」
「甘いわね。女同士の飲み会だって、結局は合コンに繋がっていくの。女同士で飲みに行ったとするでしょ。その場で酔い潰れてしまった、潰れなくても暴言を吐いたり暴れてしまった。それは確かにその場だけの話だわ。でもそれを、合コンの場で暴露されたらどうかしら」
「ダメなの?」
「もちろんその場のノリはあるわ。でも、暴露するってことは悪意を持ってるってことよ。一度ついたイメージを払拭するのは大変よ」
「裏切りじゃない」
「盛り上げようと思って、ごめんね。ってその子は言うでしょうね。そして次の出会いのために必要であれば、その子との関係を切ることもできないのが合コン道よ」
「嫌ですね」ルリがぼそりと呟く。
「だからね、女同士の飲み会であっても気を抜くことはできないの」
「家の中では?」
「うちは昔から家族で集まって飲むって習慣がなかったの。私が成人してから飲んだことあったかしら?親戚の集まりで飲むことはあるけど、それはそれで羽目を外せないしね。今は一人暮らしだけど、家では全く飲まないわね」
「同じ女の一人暮らしでもフミちゃんとは全然違うわね。フミちゃんはいつも酔っ払って帰ってくるし、たまに早く帰ってきてもずっとお酒を飲んでるわ」
「フミちゃんって?」
「ナナの叔母さんです。こいつはそこに下宿しているんです」
「叔母さんがどうかは分からないけど、私はそんなにお酒が好きなわけじゃないしね。飲んだら嫌なことが忘れられるわけでもないし。さっきも言ったけど、あくまでもコミュニケーションツールの一つとして嗜んでいるだけ。美容の敵だし、ダイエットの敵だし、お金もかかるし」
「大変なんですね」
「大変なのよ」
「で、今日はどうして記憶を無くしたの?」
ナナは短いプリーツスカートから伸びる美しい脚を組む。