学名:マイクロカルボナーラピーマン
世の中には不思議なことで溢れている。
UFOや未確認生物、超常現象にタイムスリップ。はてにはユダヤの陰謀や秘密結社フリーメーソンなど枚挙に暇がない。
もちろんこれらに科学的・現実的な根拠はクソもありはしないってことさ。存在を否定できないからって、それらが確かに存在すると証明されたことにはならない。
信じるものに神はいるし、信じないものに神はいない。
信じる信じないは個人の自由。聖書を信じればそいつはクリスチャンだし、コーランを信じればそいつはムスリムだし、何も信じなければ無神論者だ。心に神仏を宿している奴もいれば、宿していない奴もいる。
かといって。
かといって、世の中の不思議がことごとく解明されたわけでもない。聖典が人の心に神を植え付けても、現実問題、そこにいるわけじゃないからな。
世界は不思議で溢れている。
ただ一つだけ確かなことがあるとすれば、それがスパゲッティカルボナーラから始まったってことだ。
*
うだるような暑さだったことを覚えている。
備え付けの悪い扇風機がガタガタと音を立てて周り、開け放たれた窓からは生暖かい風が部屋の中で渦巻いている。
まるでサウナのようだと思いながら、僕は冷蔵庫の中から冷凍食品のスパゲッティカルボナーラを取り出した。ピーマンとチーズのクリーミーソース。付近のスーパーで購入したものだ。百三十八円。貧乏大学生にすれば結構な出費だ。
しかしながら、自分で飯を作れるほど自炊技術が高いわけでもない僕は、一年の大半を即席麺か冷凍食品で済ませてしまっている。
自分で作ったほうが絶対安上がりだと思うのに、結局面倒臭がってレトルト食品を買ってしまう性……。
封を切った僕は、"こちらの面を上にしてください"と書かれている面を上にしてトレーを電子レンジの中に入れた。
五分間だ。
僕はフォークをカチカチと打ち鳴らしながら解凍を待つ。
その間にも死にたくなるような暑熱が僕をさいなむ。畳の上にポタポタと汗がたれた。
「……早くしてくれ」
限界まで高まった空腹は、かすかに暑気をまぎらわせている気がしないでもないが、やはり空腹はギリギリのところにまで迫っている。
昨日は水のみで生きながらえている。一刻も早く食物を摂取せねばならない。
"チン"。
軽快な音が狭隘な小部屋に響き渡る。この音を待っていた。解凍を知らせる合図。
僕は喜び勇んで電子レンジを開いた。
その時だ。
僕の視界には明らかに奇妙なものが映っていた。
「……苗?」
それを一声で形容するなら、"苗"というのが一番正しい。
まさしく、"苗"だった。
「なぜ苗がここに……」
電子レンジの中で苗が緑色の若葉を生やしていた。
奇妙なことに、それはスパゲッティカルボナーラの上に萌芽していた。カルボナーラの麺を土か肥料のようにしており、本葉が透明のフィルムパッケージから突き破って出てきている。茎の根元のほうは暖められた麺に埋もれていた。
目を細めて見てみればそれは、ピーマンの苗に類似しているように見える。同じ品種の唐辛子と比べてみると葉は若緑でやや大きく、背丈も高い。
僕はふと、煩雑にゴミ箱につっこまれた"ピーマンとチーズのクリーミーソース"のパッケージを視界にとらえた。
「…………」
僕は何がなんだか全然わからなくなって、ほうけたように首を傾けることしかできない。
「おかしいぞ。確かこれはさっきまでスパゲッティカルボナーラだったはずだ。葉っぱなんて生えてなかったし、芽吹いてもいなかった……。植物を解凍するつもりなんて僕にはないぞ。調理されたピーマンが発芽したのか? 五分間で苗が急成長したということなのか?」
工程のさいに麺の中に種子が混じったのかとも思ったが、そんなアホなとも思う。
僕は恐る恐るカルボナーラ――麺を養土にした苗――を取り出してみることにした。しかし手で触ってみると当然熱いわけで、僕は慌てて鍋つかみをはめた。
カルボナーラに指が触れたとき、なぜか硬質な感触があった。解凍されて柔らかくなったカルボナーラ。本来ならガチガチに凍った麺は加熱されているはずなのに、麺は凍ったままのように固くなっている。
よくよく観察してみれば、麺の隙間から白く細い根が見えた。
根を張っている。
どうやらそれが麺を固定しているらしい。この新芽はカルボナーラを土台(養分?)にしているようだ。
さながらポットに収められた市販の苗である。
僕は暑さも忘れて、この奇妙な物体に見入った。
「これは食べ物なのか? それとも植物なのか?」
分かっていることといえば、これに水を与えなければならないということだ。
試しに水やりを行ってみることにした。
そこらじゅうに空になったペットボトルが転がっている。片付けるのも暑さで億劫になり、そのままに捨て置かれたものだ。
まず水道水で水を補充する。ジョウロのたぐいがあればいいのだが、残念なことにここには大学のテキストと漫画しかない。
苗をトレイから洗面器に移し、おずおずと水をかけてみる。
水をもろに食らった葉は柳のようにしなだれたが、水をやり終えると同時に天に屹立し始める。その動きは力強い。
しかしながら、水を与えたことによって土壌が流されてしまった。
ピーマンの一部やコショウが水に飲み込まれている。洗面器の底に溜まって濁っているのが分かった。
そして心なしか、苗は嬉しくなさそうに葉っぱにしずくをたらしている。
そもそも。
そもそも、水を与えれば成長するというのが誤りなのかもしれない。植物には水をやるべきという絶対の固定観念。
しばし思索を巡らせてみることにする。もし僕がこの植物だったとしたら、どういうことをされたら喜ぶだろうか? 苗がすくすくと生育するような案を考えてみる。
いっそ花屋で肥料でも買ってこようかなどと色々考えてみたが、やはりここは原点に戻るべきだと思った。
洗面器から苗を取り出した僕は、電子レンジの扉をそっと開けた。
「いっぱい元気になれよ」
稼動音とともに苗が熱せられながら回り始める。
それを扉一枚越しに眺めていると、苗がまたたくまに枝を伸ばし、茎を高くしているのがわかった。
どうやら電子レンジのマイクロ波が、植物にとっての養分に相当するらしい。
植物も環境に適応しようとしているということなのだろうか? 人間の文明社会の中で新たなる種が誕生しようとしている……。
「にしても、ちょっと成長しすぎなような……」
その言った途端、電子レンジが異様な音を発した。ガガガガガと何かが挟まったような耳障りな音。
僕は慌てて電子レンジの"取り消しボタン"をプッシュする。と同時に電子レンジの稼動音がやんだ。
扉を開けて取り出そうとするも、上のほうがつっかえてなかなか取れない。
気になって電子レンジの室内を覗き込んでみると、苗の茎が電子レンジの天井にぶっささっているのがわかった。どうやら成長しすぎて天井を突き破ってしまったらしい。さっきの雑音もそれが原因のようだ。
苗は見るからに太く大きくなっている。
「肥料を与えすぎたか……」
植物には細胞の中にクロロフィルなる色素を持っている。別名葉緑素とも呼ばれ、水と二酸化炭素から糖などの有機物を生成するという。
それは光合成によって栄養を生み出す多くの植物や細菌に共通する点ではあるが、何も生物が生まれた時から保持している能力というわけでもない。
生物は環境に応じて進化の可能性を模索する。
光合成を捨て加熱マイクロ波によって成長する種が現れてもおかしくはない。
「この苗はただ、科学の発展した人間社会に順応・進化したに過ぎないのかもしれない」