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2、夏は嵐に乱れる心(二)

 ん?

 ドアを開けた瞬間、首をひねる。すっかり重たくなったコンビニの袋と、畳んだ傘を両手にさげた格好で。

「おかえり」

「あ、ただいま」

 普通に言われたので、つい普通に答えてしまった。いや、それよりもだ。

 スニーカーを脱いで部屋に上がると、私はまず電気を付けた。私が出る前は付いていたから、門真が消したのだろう。

 部屋の中に明かりが灯り、また驚く。固定電話の載った、棚の傍。そこで床に座った門真は、まだ着替えていなかった。濡れたスラックスに、上は裸。脱いだワイシャツで剥き出しの肩を押さえている。止血だろうか。

「何で真っ暗なの? て言うか、何で着替えてないの?」

 言ってから、下着を待っていたのかなと思い当たる。

 この部屋はそう広くないが、キッチンと、ほぼ寝室のリビングに分かれている。門真と私が腰を下ろすのは、キッチン側のビニールコーティングされた床だ。フローリングらしきものを模したつるつるの床の上に、コンビニ袋の中身を広げる。

 男物の下着を探し出して門真に渡すと、彼は戸惑った様にそれを見詰めた。

「……あァ。何でサイズ聞かれたのかと思った」

「そんなマニアックな変態じゃないわよ、私は。あっち行ってるから、着替えてよ」

 隣室に行こうと立ち上がって、ふと床に落ちたタオルに気付いた。落ちた、と言う表現は多分、正確ではない。それは綺麗に畳まれて、脇によけてあったから。

 アパートに門真を上げて最初に、投げ付ける様にして渡したタオルだ。使われてない。私は訝しいものを感じながら、それを拾う。

「髪、拭いた?」

「良い」

 何がいいんだ。

 逃げそうになる門真の頭を捕まえて、無理やりにガシガシ擦る。タオルはすぐに冷たく湿り、重く水を吸った。

 手が掛かる。子守りでもしてる気分だ。

「風邪ひくでしょ、ちゃんとしてよ。ほら、着替えて」

「……汚すから」

 着替えを胸に押し付けると、門真はそれを困った様に見下ろした。

 ん?

 私は再び、首をひねる。

 何だよその、今更な遠慮は。

「パジャマにする様な服だから、汚れても別にいいの」

「ここにいるだけで、迷惑掛けてる。これ以上は甘えられない」

 んん?

 何か今、人間らしい言葉を聞いたぞ。

 足元の男は、すっかり冷えた裸の肩をしょんぼり落とし、眉根の寄った顔を横に逸らす。まるで、意地を張った子供みたいに。

「んん~?」

 今度は、こちらが眉間に皺を寄せる番だ。それも、腕組み付きで。

 この反応は、予想外だ。だって迷惑がってるのは、門真のほうじゃない。突き放したのは、そっちでしょ。

 構うなと、門真は言ったのだ。私は心配してるのに、そんなものは要らないと。

 でもだとしたら、反応としてこれは妙だ。

 私は恐る恐ると言う感じで、腕を組んだまま腰を屈める。

「……門真、あのさ。私、今、もの凄い心配してるんだけど」

「何で。何の心配?」

 ふと曇って見上げる顔に、全く他意は見えなかった。私は床に手を突いて、がっくりと崩れる。

 そっちかー!

「えッ、すずサン、大丈夫?」

 門真は表情をを驚きに変え、私の肩に慌てて手を置く。

 ああ……、解った気がする。

 ぐわんぐわんと眼が回り、少しばかりの痛みさえ覚える頭で全てを悟った。

 あれは、拒絶じゃない。ただ、理解できなかっただけだ。心配されると言う事が、門真には思い付きもしない事だったのだ。

 無頓着にも、程がある。

「私に心配掛けてるのはあんたよ、門真」

「何で俺を? すずサンが?」

 解らない。そんなふうに、男は眉を歪める。

 どうして解らないのか、私にはそっちのほうが解らない。呆れ半分に、ため息が零れた。

「するのよ、普通。知ってる人間が道端でびしょ濡れになってたり、血染めのシャツを着てたりしたらね」

 しかも門真は、その条件を両方満たして目の前に現れた。だから私は今、通常の二倍で心配してる。さあどうだ。反省しろ。

 恩着せがましく主張して、二本の指でピースサインの形を作った。

 目の前に突き付けられたその指に、門真はうっと息を詰める。そして口を開閉しながら言葉を探しあぐねた末、飲む様に息を吸って頭を下げた。そしてひと言。

「ごめんなさい」

 よし。

 勝った。

「で、どうするのよ」

 少し前に夜が明けて、そろそろ出社しなくてはならない。問いながら頬張るのは、昨夜コンビニで買い込んだ食料だ。

 だが通勤服に着替えた私の前には、Tシャツとジャージ姿の門真がいる。そのシャツの下には、真新しい傷。昨日ベタベタと絆創膏を貼った時に見た限り、血管は無事の様だ。傷口から鳥ささ身的なものが覗いていたが、出血はもうない。

 普段は後ろに撫で付けた長い前髪が顔に垂れ、彼の瞬く睫毛をくすぐっていた。

「留守番してるよ」

「ええー。よく解んない男ひとりで家に残しとくの嫌なんだけど」

 三個目のおにぎりからセロファンを剥がしつつ、つい本音を零してしまった。

 いや、信用してないとかじゃなくてね。確かに、凄く信じてるとも言い難いが。自分がいないのに自分の部屋に誰かいると思ったら、落ち着かないじゃない。

 それは至極常識的な心情のはずだったが、門真は私を見ようともせずふっと笑う。

「まともな女みたいな事言うなァ」

 人の横でぐうすか熟睡してた癖に。

 遠い眼で言われて、ぐっと喉が詰まる。確かに、気付いたら朝だった。

 あれ。もしかして私、やらかした?

 二の句が継げずにいる私の肩へ、門真はバッグを斜め掛けに持たす。幼稚園児か。そう突っ込む前に、ドアの外に放り出された。

「行ってらっしゃーい」

 軽く見送られて、心中は複雑だ。

 何だか、ニートの男と付き合ってる気分。ちょっと幸せ。目の前は暗い。

 私もね、そんなに馬鹿じゃないのよ。

 近過ぎない? 門真がそう言った通り、アパートから徒歩十分で会社に着く。この立地が恐らく昨夜、私が門真と偶然会う事になった一因だろう。

 会社の制服に着替えるため、いつも通りロッカールームに足を向けた。廊下の先に目的のドアが見えた辺りで、黒い人影が横からにゅっと現れる。

「相模くん」

 反射的に、その名を口にしようとした。

 けれども相手は声を出す間も与ずに、私を抱える様にして手近の男子トイレに引き摺り込んだ。

「それなりの理由があるんでしょうね」

 個室に押し込まれ、後ろ手に鍵を閉める相模を見上げる。

 私の作った不機嫌な顔に、年下の男は薄っぺらな笑顔を返す。その下に、ひやりとしたものが見える気がした。

「ええと、カドマさん? あの人どこにいるか、心当たりとか、ないッスか」

「何で私に聞くのよ」

「知ってそうなの、あとは柴町さんだけなんスよ」

 他は探し尽くしたと言う意味だろう。思わず、ため息が出た。

 馬鹿じゃないつもりだから、考えてはいたのだ。

 どこにも行く場所がなく、負傷しているのに病院を拒む。そんな人間は、完全にトラブルど真ん中に違いない。

 そして相模が探していると言う事は、仕事絡みと考えるべきだ。要人警護を担当する警護課は、特に危険が多いと言われている。

「知らないわよ。何かあったの?」

 つんと顔を逸らしてとぼけると、相模は眇める様に眼を細めた。こんな状況でなければ、ほほ笑んだのだと勘違いしたかも知れない。

「柴町さんは、めんどうにクビ突っこまないひとだと思ってましたよ」

「そうよ」

「じゃ、何かあったかとか、訊いちゃまずいでしょ」

「……そんな事、聞いた?」

 心臓が跳ねる。驚きの余りに開いた口を、手の平で塞いで呆然と相模の顔を見た。

 普段なら、絶対にそんな事は聞かない。厄介な話には関わりたくない。

 でも今は、自信がなかった。無意識に口走ったとしても、無理もないとさえ思う。実際、知りたかった。

 門真に何があって、彼はこれからどうなるの。

「ま、ついでにでも、もー出てきて大丈夫って伝えてもらっといてイイッスか」

「だから、知らないってば」

「ウソ、意外とヘタッスね、柴町さん」

 うん、意外とそうなのよ。

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