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4、冬は死にゆく愛の季節(二)

 今更、気付く。門真はずっと、ひとりで生きられる様に準備していた。

 あれは、そう言う事なんだろう。護衛並みに鍛えた体も、びっくりする程おいしい料理も。誰にも頼らず生きられる様に。

 その癖、幽霊は気楽そうでいいなんて、寂しい事を言ったりするのだ。タバコ片手についでみたいに言った顔を、思い出すだけで胸が痛む。

 思えば、誕生日の事もそうだ。門真がそれを嫌うのは、完全な自己否定だったと思う。

 私はどれだけ、彼の事を見ていたのか。どれだけ、知らなかったのか。

 私にも、孤独はある。両親共働きの鍵っ子で、帰る家はいつも空っぽ。よくある話だし、大した事じゃないよなって自分でも思う。

 けどふとした瞬間に、途方もない錯覚に襲われる事があった。夕暮れに薄く沈む部屋の中、世界にたったひとり残されたみたいな。そんな訳ないと知っていたけど、それでも不安で、恐い様な気持ちが胸に沁み込んだ。

 でも、これじゃ足りない。門真の中に、何があるのか。何がないのか。理解するのは難しかった。その深い孤独を、完全には理解できない。

 どうして、私のものじゃないんだろう。

 どうして、こんなに遠いんだろう。

 門真を私の子宮に入れて、産み直したい。そしたら思い切り抱き締めて、愛せるのに。ひとりになんか、しないのに。

「だからって、なんで協力しなきゃいけないのよ!」

「感動したでしょー? ほら、一途な愛に」

 にっこり笑い掛けると、絢子は信じられないとでも言うふうに私を見た。その顔は青ざめ、体は細かに震えている。心外過ぎて、声も出ないらしい。はっはっは。

「いやあ、因果応報って奴だよね。絢ちゃん脇が甘いから、もう悪い事しないほうがいいよ」

 十二月、公園に吹く風は冷たい。私はダウンコートを掻き合わせ、白い息を吐き出しながら真面目な顔を作って言った。

 絢子は柔らかそうなカシミヤの下で、まだガタガタと震えている。金持ちは寒空と縁がないのか、彼女は基本的に薄着なのだ。

 ここは、オフィス街の真ん中だ。呼び出したのは私だが、暖房の効いた場所にすればよかった。

 片や高級ブランド。片やジーンズにスニーカー。正反対の二人が言い合っているのは面白いが、ちょっと目立つ。絢子も寒そうだし、早々に目的地に向かう事にしよう。

 今日も綺麗にネイルの整った、冷え切った手を取る。

「じゃ、行こっか」

「行くってどこへよ。勝手にすれば好いじゃない」

「無理。私だけじゃ、入れないもん」

「どこへ行くつもりなのよ!」

 さすがに何かを感じたらしく絢子は喚くが、無視して車に乗り込む。公園の入り口に無理やり駐車した高級車は、主の戸惑いとは裏腹になめらかに走り出した。

 行き先は、「本社」だ。それを知って、絢子はますます顔色をなくした。

「なにをするつもりなのよ……」

「いや、ちょっと統轄に会おうかと思って」

「会えるわけないでしょう!」

 並んで座った後部座席の隣から、もの凄い勢いで叱られた。

 気軽に訪ねていきなり会える相手ではないし、統轄は何しろ忙しい。本社どころか、そもそも日本にいるかも怪しいのだ。

 力説する絢子に、私はのんびりと返す。

「いや、いるいる。スケジュール確認したし。今日はね、三時から本社で会議に参加する事になってる」

 時計を確かめると、午後二時よりまだ少し早い。確実なのは会議後だが、運がよければ会議前に会えるかも知れない。

 計画に抜かりはない。だが絢子は、ネイルを輝かせて口元を押さえる。心なしか、眼が潤んでいる気がした。マスカラとアイラインは大丈夫だろうか。

「どうしてそんな事知ってるのよ……!」

「え、それ、本気で知りたい?」

 聞き返すと、うっと怯んだあとで巻き髪がぶんぶんと横に揺れた。

 まあ確かに、彼女の気持ちも解る。私はこの計画を実行するために、かなりの無茶をした。

「あれ? 柴町さん、今日休みですよね」

 今日の午前中、会社に足を運んで最初に出会ったのは同じ課の後輩、内村だった。

 思わずニヤリと顔が緩む。いきなり目的の人物に会えるとは、幸先がいい。

「ちょっとね、内村くんに頼みがあるの」

 そう言ってにっこりと笑うと、内村は不思議そうに首を傾げた。

 今年、新卒で警務部に採用されたのはひとりだけだ。つまり内村の同期だが、警務部は経験を重視するので新卒を採るのは珍しい。もしやと思って調べてみると、やはりデスクワークの情報管理担当だった。

 まずいです。これほんと、まずいです。

 半泣きで訴える内村を小突きながら案内させ、情報管理チームのオフィスを訪ねる。パソコンに繋がった大量のディスプレイの前で、くるりと椅子ごと振り返ったのは小柄な女の子だった。

 彼女の特技は、ネットを通じて入ってはいけない所に入る事。見てはいけないものを見ちゃう事。壊してはいけないものを壊す事。

 要するに、私の情報源は彼女だ。「先輩からの理不尽な要求」と言う社会人の武器を振りかざし、統轄のスケジュールや諸々の電話番号などを調べ上げた。個人情報保護法よ、さようなら。

 運よく統轄が日本、それも本社にいると解ったが、どう考えても私ひとりでは本社にも入れない。そこで、一本の電話を掛けた。

「あ、元気? プーちゃ……」

『絢子だって言ってるでしょ! どうしてこの番号知ってるのよ!』

 これが約一時間前の事。

 最初は相手にしなかった絢子も、私の「絢ちゃんさ、私の拉致の時、薬使ったでしょ。あれ、酷いよねえ。犯罪だもんねえ。これ、統轄に言ったらどうなるかなあ。庇ってくれるかなあ、統轄。いや、見捨てるよねえ、これ」と言う、熱心な説得によって協力を承諾してくれた。

 藤白ジュニア世代の駄目な所は、全く人を信じない癖に妙に素直な所だと思う。

 でもさすがに、いきなり統轄の所に連れて行けと言っても断られるに決ってる。そこで一旦、本社近くの公園に呼び出したのだ。

 私が乗っ取る絢子の車が、本社の玄関前に滑り込んだ。大きなガラスのドアの前には、制服の警備員。私が単身討ち入ったとして、ビルにも入れず追い返されるのが落ちだ。

 しかしその点、抜かりはない。しおしおと足を引き摺る絢子を盾に、これでもかと厳重にしかれた警備を掻いくぐる。

 ブランド服の背中をエレベーターに押し込んで、ほっと息をついたのも束の間。

 チーンとのん気な音でドアが開き、その向こうから藤白洸成が現れた。

 ……そりゃ、いるよ。本社だもん。でも正直、ばったり会うのは想定外だ。こんなに大きい会社の中で、いきなりエレベーターで乗り合わすって。どんな偶然だよ。

「珍しい組み合せだ」

 洸成はチラリとこちらを一瞥し、秘書を伴いカゴに乗り込む。絢子はギクリと体を強張らせ、慌てて私の体を引っ張った。自分と洸成の間に、壁として立たせるためだ。

 冷たい銀フレームが、こちらを見下ろす。

「用件は」

「専務に用って訳じゃ、ないんですけど」

 ああ、どうしよう。

 顔には出してないはずだが、頭の中は動揺で煮えくり返るみたいだった。統轄に会う。その本心を隠しつつ、不自然さのない言い訳なんか思い付かない。

 煮え切らない態度が気に入らないらしく、洸成はすっと眼を細めた。

「警備を呼ぶか?」

「えー、いいじゃないですか。キスまでした仲でしょ、私たち。セクハラで訴えられたくなかったら、見逃して下さい」

 動揺のせいだ。考える前に、すらすらと口を突いて出た。

 ボタンの並んだ操作盤の前で、洸成の秘書が堪え兼ねた様子で吹き出す。丸めた背中が、クックッと笑って震えていた。

「岸本」

「……申し訳御座いません」

 謝りながら、笑いを噛み殺す。洸成は不機嫌な眼を向けたが、それ以上は言わなかった。年齢も、岸本のほうが少し上だ。もしかすると、彼らの力関係は微妙な部分があるのかも知れない。

 これはあとから思った事で、この時は絢子に肩を掴まれて「洸成にまで何をしてるのよ貴方は!」と、ガクガク揺すられ激しい責めを受けるのに忙しかった。

「あ、そうだ。ひとつ、聞きたかったんですけど」

 目的の階に着いて、洸成はカゴから降りていた。見逃された形だが、訴訟を恐れたと言うより、単に興味がなかったんだろう。

 閉まり掛けたドアを押さえ、去ろうとする背に声を投げる。

「あなたが門真を嫌うのは、本当にあなたの意思ですか?」

 足が止まり、一呼吸の間を置いて振り返った。眼鏡のレンズ越しに、眼が眇められているのが解る。どう言う意味か、と。

「理由が見えないんですよね。後継者争いとかならまだ解りますけど、門真はとっくに勝負から抜けてるし」

「妾腹だ。理由はある」

「それが納得できないんです。よく解んないですけど、愛人とかその子供を嫌うのって、家族や家庭に愛着あるからじゃないんですか? あります? そんな人間らしい感情とか」

 何しろ、見るからに冷血漢。気に入らないからって苛める程、人に関心あるとは思えない。壊されたと恨む程、家族に執着する人だろうか。

 目的のためには平気で人権踏みにじる癖に、自分だけ心柔らかなんて信じられない。

 その辺、どうよ? と、眉を歪めて問い掛ける。すると藤白一族とその秘書は、一様にきっぱり言い切った。

「ないな」

「ないわね」

「御座いません」

 ほら、やっぱり。

 私が正解。どいつもこいつも、問題ありげな一族だ。まともな人間の訳がない。

「面倒な所を突いてくれる。君は、あれより厄介だな」

 それで? と彼は問う。

「理由がなければ、どうなんだ。手を繋いで、仲よしごっこでもしろと?」

「それもいいですけど、専務は合理主義っぽいから。理由がないなら、門真に構う事もないでしょ?」

「守るつもりか。あれを」

「まあ、そうです。私は門真と一生付き合って行きたいから、敵は減らして置きたいんですよね。それが問題みたいだし」

 門真が私から離れたのは、もちろん執着が薄いと言う事も一因ではある。けれども、私に危険が及ばない様に。そのニュアンスが強い気がする。

 止めるために押さえていた手を、エレベーターから離す。鉄のドアは両側からせり出し、中央で出会って閉じるタイプだ。

 見る間に細くなって行くドアの隙間に、洸成の顔を見ながら私はボソリと呟いた。

「喧嘩を売るのは、統轄だけで手一杯ですよ」

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