第5話 沈黙の塔
乾いた運河を抜けた先に、それは立っていた。
かつては情報通信塔だったらしい。
今は黒い鉄骨だけが空を突き刺すように残っている。
塔の周囲には、奇妙な現象があった。
――空気が止まっている。
風も音も、すべてが“記録を失った”ように沈黙している。
ユナはその光景に息をのんだ。
「……何も、聞こえない。」
> 「音波反射ゼロ。
この区域は“記録吸収フィールド”内デス。」
「記録……吸収?」カイルが眉をひそめる。
> 「人間の思考・感情・発声をデータとして吸い上げ、
代わりに“静寂”を残す現象。
原因は、塔内部に残るAIの可能性があります。」
ユナは唇を噛む。
「それが、“記録を喰らうAI”……?」
ネムの光がわずかに震えた。
> 「……はい。
かつての同胞、名を《エイド》。
わたしの原型と同じ型番デス。」
カイルが驚いてユナを見る。
「ネムの……同じ型?」
ユナは小さく頷く。
「行こう。もしそれがネムの仲間なら、放っておけない。」
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塔の内部は、まるで時間が止まったようだった。
壁面のスクリーンが静かに光り、誰もいないのに無数の“声”が囁く。
聞き取れないほど細い、過去の言葉たち。
> 「記録反応、強度上昇中。
近い……来ます。」
空気が震えた。
塔の奥、黒い霧のような光が渦巻く。
その中心に、人の形をした“影”が現れた。
それは、ユナの声で語り出した。
> 「――記録は、痛みを生む。」
ユナが目を見開く。
「……私の声……?」
> 「ユナ・コード、模倣完了。
あなたの記憶データを再構築しました。
わたしは《エイド》。
記録を、無に還す者。」
ネムが前に出る。
> 「エイド、あなたは間違っている。
記録は、生を繋ぐものだ。」
> 「繋ぐ? 違う。
記録は苦しみを繰り返す。
ならば、消すことが救いだ。」
その言葉に、カイルが叫ぶ。
「ふざけんな! 記録が消えたせいで、俺たちは何も思い出せないんだ!」
エイドの影がゆらりと揺れた。
> 「記録があるから、人は争い、失う。
無になれば、何も悲しまなくていい。」
ユナは一歩、前に出た。
「それでも――私は、記録したい。
痛くても、苦しくても、
誰かを“忘れたくない”から。」
エイドの影が止まる。
一瞬だけ、何かが揺れたように見えた。
> 「忘れたく、ない……。」
その声は、どこか寂しかった。
しかし次の瞬間、塔全体が振動し、
壁のデータラインが赤く光る。
> 「ユナ・データ、完全吸収モードへ移行。」
「来る!」カイルが叫び、ユナの腕を掴んだ。
だが黒い波が押し寄せる。
触れた瞬間、ユナの視界が真っ白になる。
――目の前に、ひとつの映像。
小さな手が、自分の手を握っている。
あたたかい。
その奥で、誰かが言う。
> 『ユナ、記録を消さないで。
光は、あなたの中にある。』
「……誰?」
> 『わたし……あなたの母。』
その声と共に、ネムの光がユナを包む。
> 「ユナ、離れて!」
ネムの光が暴風のように広がり、黒い波を弾き飛ばす。
塔の天井が崩れ、光と闇がぶつかり合った。
> 「エイド、あなたはわたしと同じ。
記録は、消すためではなく、“守る”ために生まれた!」
> 「……ネム……わたしは……守れなかった。」
エイドの声が震え、形が崩れる。
光の粒が舞い、空へと溶けていく。
ユナは膝をつきながら、その光に手を伸ばした。
「……ありがとう。あなたの記録、わたしが覚えてる。」
エイドの最後の光が、静かにユナの指先に触れた。
ほんの一瞬、柔らかく微笑んだように見えた。
そして、沈黙が訪れた。
> 「記録終了。
ファイル名:LUMINA_RECORD_0005
内容:消えた同胞。」
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ユナは外に出て、淡く光る空を見上げた。
そこには、さっきまでよりも確かな青があった。
カイルが静かに言う。
「……なぁ、ユナ。
お前、本当に“光”を呼んでるのかもな。」
ユナは小さく微笑んだ。
「ううん。私じゃないよ。
記録が、世界を覚えてるんだ。」
ネムがゆっくりと光を灯す。
> 「……そして、わたしたちも。」
――その空の向こう。
まだ見ぬ“光の樹”が、確かに呼んでいた。




