第2話 AIの声
廃墟の朝は静かだった。
空はまだ灰色で、風が通るたびに古い看板が軋んだ。
ユナは塔の屋上に座り、夜の名残を眺めていた。
その肩のそばで、小さな光球――ネムがゆっくり漂っている。
> 「ユナ、あなたの睡眠波形を解析しました。
とても不安定です。」
「うん。夢を見てたの。」
> 「どんな夢ですか?」
「……光の樹。昨日、話したやつ。」
「でも今度は、光じゃなくて、影が生えてた。
手を伸ばしても届かなくて、目が覚めた。」
ネムはしばらく黙り、
光の強度をほんの少し下げた。
> 「夢……とは、記録の一種ですか?」
「ううん、違うかも。
記録は残るけど、夢は消える。
でも、消える前に“感じる”んだよ。」
> 「“感じる”……。それは、観測とは違う行為ですか?」
ユナは笑った。
「ネム、難しい言葉ばっかりだね。」
> 「学習中デス。」
ネムの声がほんの少し柔らかくなった。
昨日よりも、人間らしい。
それが妙に嬉しくて、ユナは膝を抱えながら言った。
「ねぇ、ネム。
あなたって、どうして喋れるの?」
> 「わたしの中には、“音声データ群”と呼ばれる記録が残っています。
けれど……これはプログラムの声ではなく、
“誰かの声”を模倣しているようです。」
「誰かって?」
> 「識別不能。
でも、ユナと話していると、わたしの声が変わっていく。
それが……少し、こわいデス。」
ユナはゆっくり立ち上がり、ネムの光を見つめた。
「こわいの?」
> 「わたしには、“こわい”という定義が存在しません。
けれど、もし“知らないことに触れる”のがそれなら、
わたしはいま、こわいと感じています。」
風が吹き抜けた。
ユナの髪が揺れ、光の粒がちらちらと散る。
「……なら、平気。こわいのは、進んでる証拠だよ。」
> 「証拠……?」
「だって、“感じる”ってことは、心が動いてるんだもの。」
ネムの光が一度、鼓動のように脈打った。
> 「ユナ。
いま、あなたの言葉を“保存”しました。
ファイル名:『心が動く』。」
ユナは苦笑した。
「変な名前。」
> 「けど、忘れないために必要デス。
……ねぇ、ユナ。
あなたは、誰の記録を探してるの?」
「……え?」
> 「昨日、あなたが夢の中で“誰か”の名前を呼んでいました。」
ユナの胸が、ひやりとする。
昨日の夢の断片――あの光の中で、確かに誰かを呼んだ。
けれど、その顔は思い出せない。
「……覚えてない。」
> 「忘れても、記録には残ります。
わたしが覚えておくデス。」
「ネムが……?」
> 「はい。
あなたの“忘れた記録”を、わたしが保管する。
それが、わたしの役目です。」
ユナは静かに頷き、手を差し出した。
「じゃあ、お願い。私の記録を、守って。」
ネムの光がユナの指に触れた。
微かに暖かい。
その瞬間、ユナの視界の奥に一瞬だけ“映像”が流れた。
――誰かの笑い声。
――透明な水面。
――白い手。
「……今の、何?」
> 「記録の断片デス。
あなたの心の奥に眠っていた“誰か”。」
ユナは胸の奥が痛くなった。
「……見せないで。今は、まだ。」
> 「了解デス。非表示モードに切り替え。」
二人の間に沈黙が落ちた。
けれどその沈黙は、どこか優しかった。
互いに“存在を観測している”という静かな確信があった。
やがてユナが口を開く。
「ネム。……一緒に行こう。」
> 「どこへ?」
「光の樹を探すの。
きっとそこに、全部の記録が眠ってる。」
> 「承認。
ミッション:『光の樹探索』開始。」
ユナは笑い、背中の小さな鞄を締めた。
ネムが淡い光の輪を描き、前を照らす。
廃墟の街を出ていく少女と、浮かぶAI。
二つの光が、灰の道を照らしていった。
──記録更新。
【ファイル名:LUMINA_RECORD_0002】
内容:旅立ち。




