なみだの向こう側に
「ねえ、なんで…なんでよ?なんで私のこと裏切ったの?こんなの…こんなの酷すぎるよ!」
香織の悲痛な叫び声がホールに響き渡る。私は彼女のことを見ることもできず、ただただうつむくことしかできなかったー。
私と香織は幼稚園の頃から幼馴染で、親友でもある。内向的で引っ込み思案で地味な私とは反対に、香織は外交的で前向きで人目を引く存在だった。それでも、いや、むしろそうだからこそ私たちはこんなに馬が合うのかもしれない。
初めて彼女と出会ったときのことを今でも覚えている。まだ幼稚園に入りたての頃、私は園庭で派手に転んで大泣きをしたことがある。その時に一番に駆けつけてくれた人、それが香織だった。
優しい言葉を掛けてくれると思ったら、彼女からの第一声はこれだった。
「ちょっとあんた!こんなことで泣くんじゃないよ!涙を流さないといけないときに泣けなくなっちゃうでしょ!ちゃんと涙は溜めておかないと。」
何を言ってるんだろうと私はキョトンとして彼女を見つめた。彼女は厳しい表情をしながらも手を差し伸べてくれた。その後、自分より年上だと思っていた彼女が同い年だと知って衝撃を受けた。その日をきっかけに私と香織は距離を縮めていった。
でも、実は気になることがあった。それは、彼女の家族のことだった。
私の母が私を迎えに来た時に「いつも仲良くしてもらってるから、香織ちゃんの親御さんに挨拶したい。」と彼女に伝えたことがあった。その瞬間、彼女は表情一つ変えずにさらっと言った。
「出て行きました。」
私も母も言葉を失った。彼女はそれから「見て!テントウムシ!」と掌に乗った虫を見せつけてきた。彼女は笑顔だった。いつもと変わらない、くっきりえくぼの笑顔だった。
「じゃあ…香織ちゃんは誰と暮らしてるの?」
母が聞くと、彼女は「ヒマワリのおじちゃんとです。」とこれまた笑顔で言ってきた。私は首を傾げたが、母はピンと来たようで目を大きくした。
「ああ!あそこね。夏になるとヒマワリのお花が綺麗に植えられてるお家ね。そしたらとても近所じゃない!」
香織の家に遊びに行くことはなかったが、私のお家では何度も一緒に遊んだ。彼女は女の子が好きな遊びじゃなくてスーパーヒーローごっこが1番好きだった。
「へーんしん!陽菜は私が守る!」
同じ小学校、中学校に進んで違うクラスになる学年があったとしても、登下校はいつも一緒にしていた。香織は小学生の頃から運動も勉強も人より長けていて、高身長で綺麗な顔立ちだから学年で1番目立っていただろう。それに比べて、私は運動音痴で勉強も人並みだから地味な学生生活だった。彼女は中学校の時、生徒会長に立候補した。
「陽菜、お願い!応援演説してほしい!私以上に私のこと知ってるもん。」
彼女が手を合わせて言ったので、私は笑顔で頷いた。
「喜んで引き受けるよ。香織ならきっと大丈夫だよ!」
案の定、彼女は無事当選した。きっと飾らない性格の彼女を悪く思う人はほとんどいなかったんだと思う。どんなに素晴らしくても、彼女は気さくで謙虚だった。決して威張ることをしなかった。私はそういう彼女の性格が大好きで尊敬している。
「ありがとう…!本当にありがとう、陽菜。陽菜のおかげで生徒会長になれたからこれから学校のために頑張るよ!」
「香織がいつも頑張ってるからだよ。みんな香織のこと応援してるから!」
私が言うと、彼女は嬉しそうに飛び跳ねて私に抱き着いてきた。
しかし、その日の夜。珍しく彼女から電話が掛かってきた。私はベッドに横になりながらスマホを取った。
「もしもし、香織?」
「ごめん、陽菜。」
彼女の声はいつもより暗くて低いトーンだった。私は彼女の次の言葉を待った。
「私、陽菜に言えてない話があるの。私の…家族の話なんだけどね。」
今までずっと避けてきた話題が彼女の口から放たれた。私の心の鼓動が速くなるのを感じた。
「幼稚園の頃にね、私の両親はどっちも家を出ていったの。私のことを育てたくなくなったみたいでさ。でも、2人は約束してくれたんだ。香織が大きくなったらまた会いに行くからね、その時に元気で会おうねって。だから私、両親に気付いてもらえるようにずっと頑張ってるの。できるだけ目立って、2人が私のこと見つけやすいようにしてるの。だから…生徒会長になりたかったのもこんな理由だったんだ。ただ自分のためのことだったの…ごめんね。」
香織の言葉を聞いていたら自然と涙が溢れてきた。
「香織、謝ることなんて一つもないよ。話してくれてありがとう。私、すごく嬉しいよ。」
「え?陽菜、泣いてる?」
私は慌てて涙を拭いて「泣いてないよ。」と笑った。香織は何度も疑ってくるものだから、私は意地を張って否定し続けた。香織の声が明るくなって私は安心した。
「直接話す勇気が持てなくて電話しちゃった。聞いてくれてありがとね陽菜!めちゃくちゃ大好き!ビックラブ!」
「私も香織めっちゃ大好き!」
お互いに愛を叫んで私たちは大爆笑した。やっぱり私たちって最高だ。
それから時が経ち、私たちはそれぞれ違う高校に進学した。香織は芸能界を目指すために都会の高校へ、私は地元で家から近い高校へ進学した。お互い忙しくてあまり会えなかったが、たまに電話したりチャットしたり、そんな感じで過ごしていた。
香織は高校でも優秀だったらしく、細々と芸能活動をしながら名門の大学に進学することになった。私も地元の私立大学に入学し、無事大学生になった。
大学1年生の冬に久しぶりに会った時には彼女はすっかり垢ぬけていて、どこからどう見てもモデルだった。それでも話すと香織は香織のままで、安心感があった。
「ファッション雑誌の表紙をね、もしかしたら飾れるかもしれないの。でも、まだまだそこまで行ってない気がして。カメラの映り方とか、もっと上達しないとなって。」
「いやでもさ、前に香織がやってたアパレルのモデルすごい良かったじゃん。きっと大丈夫だよ!」
「うわー、もう本当に陽菜と結婚したい。そんなこと言ってくれるの陽菜だけだよ。」
香織が眉をハの字にして言ったので私は思わず笑ってしまった。
「そういえば!私ね、ついに両親に会えることになったの。」
「…え!?」
突然の衝撃的な発言に、私は目を丸くして動けなくなる。彼女は嬉しそうに話を続けた。
「やっぱりメディアの力ってすごいよね。私のモデルしてる様子が世の中に出回ったら、自分の娘だって気づいてくれたらしいんだよ。DNA鑑定もして、間違いないって分かったし。今週末会うんだ。」
「今週末!?すごい…良かったね。香織って、両親のこと覚えてるの?」
「もちろんだよ。」
彼女は遠くを見るような目でカフェの窓から見える空を見つめた。
「幼い頃はよく一緒に公園に遊びに行ったんだよ。私、はしゃぎすぎて転んでばっかりいてさ。いつもお母さんに言われてたの。泣きすぎると涙が出なくなって本当に泣きたいときに泣けなくなる、だから涙は溜めておきなさいってね。」
「あれ…?その言葉、私も香織に言われたことある気がする…。」
私が思い出すと、彼女はふふっと笑った。
「あー、言ったかもしれない。私その言葉が座右の銘だから。」
「でも…香織は両親のこと憎んでないの?急に育てるの辞めていなくなって。」
彼女は私の目をまっすぐ見て答えた。
「憎んでないよ。だって、また会う約束してくれたんだもん。」
彼女の瞳が綺麗に透き通っていて私は思わず吸い込まれた。あまりにも濁りのない瞳だったのだ。
それからついに香織が両親と会う日になった。本当は香織の傍にいたかったが、どうしても学校に行かないといけなくて叶わなかった。家で朝ごはんを食べていると、電話が掛かってきた。スマホの画面には香織と書いてある。私は2コール目ですぐに電話を取った。
「おー!香織、これから会うの?緊張するよね…。」
「ううん、もう会ったよ。」
彼女の声は今まで聞いたことのないほど暗かった。嫌な予感がしてならなかった。
「え…?まだ8時なのに?なんで…。」
「死んでた。」
私はすぐに駅に向かって新幹線のチケットを取った。大学なんてどうでもよかった。今すぐ香織に会わないといけないと直感でそう思ったんだ。
お昼にはもう香織がいる場所に着いた。彼女がいたのは都内にある小さな火葬場だった。
人がいなかったのでもう火葬は終わったようだった。
恐る恐るホールの中に入ると、そこには香織の後ろ姿があった。
「ねえ、なんで…なんでよ?なんで私のこと裏切ったの?こんなの…こんなの酷すぎるよ!」
香織の悲痛な叫び声がホールに響き渡っている。私は彼女のことを見ることもできず、ただただうつむくことしかできなかった。彼女の両親の死因は事故死だったらしい。私と香織が会って話していた日、その日が彼女の両親の命日になってしまったのだ。
両親の死で、香織は香織じゃなくなってしまった。大学生活も芸能活動も全くできなくなってしまった。それも仕方がない。今まで両親の再会のためにすべてを費やして来た彼女は生きるための目標を突然なくしてしまったのだから。私がどんなにたくさん連絡しても無反応で、私は彼女に「気持ちが落ち着いてからまたゆっくり会おう」と伝えることしかできず、連絡するのを辞めてしまった。
それから半年が経ち、夏の始まりを感じる季節が訪れた。やっと香織が会えるようになると、彼女は前のように笑顔を見せていろいろなことを話してきた。公園のベンチに座っているだけなのに、彼女はやけに声を張っている。
「最近ね、大学でファッションショーをすることになったから私も参加してみたの!そしたら1位になっちゃった。…ていうか、私って小学生の頃からずっと1位だったんだよね。勉強も運動も何でもできちゃうし、ルックスも悪くないし。今まで100回くらい告白されてるくらいだもん。」
「……。」
私が黙り込んでいると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「何?どうしたの、陽菜。」
「香織、無理してるでしょ。」
私の言葉に彼女の瞳が揺れた。相変わらず透き通りすぎている美しい瞳だった。
「まだ整理できてないんでしょ、両親のこと。1人でずっとそうやって抱え込む気でいるの?」
「陽菜には分からないでしょ。」
香織は少し声を荒げて私の話を遮った。
「両親に育ててもらえなかった。でもまた会えるって、そう信じて今まで生きてきて、ここまで頑張ってきた。それなのに…なんであんな死に顔見ないといけないの。陽菜に分かるわけないよ、私の気持ちなんて。」
「うん、分からないよ。だって私は香織じゃないし、香織にはなれないんだから。」
私が冷静な口調で言うと、彼女は口を結んだ。私は涙を頬に流しながら話を続けた。
「でも…でもこれだけは分かるよ。香織が今までどれだけ努力して人生を歩んできたかってこと。だからこそ私は少しでも香織の力になりたい。楽しいことだけじゃなくて、苦しいことも辛いことも一緒に乗り越えたいの。だから頼ってよ。もっともっと頼ってよ。香織には私がいるでしょ?」
彼女の美しい瞳がだんだん涙の膜を張っていくのが見える。彼女がうつむくと、彼女の両目から涙の雫が一粒一粒零れ落ちていった。
「陽菜…。」
泣き声で私の名前を呼んだ彼女の目からはまだ涙の粒がとめどなく流れている。
「陽菜…私、ようやく泣けたよ。」
今まで香織の涙を見たことがなかった。どんなにしんどくても悲しくても彼女は泣いたことがなかったのだ。火葬したあの日でさえも彼女は涙を見せなかったのだ。
「泣きたいときは泣いていい。涙は溜めてなくたっていいの。だからほら、いっぱい泣きな。気が済むまで泣いていいんだよ。私が抱きしめれば泣き顔も見えないから、私が隠してあげるから。」
私が腕を広げると、彼女は頭を私の胸に当てて嗚咽を漏らした。私は上着で彼女の顔を隠して背中をゆっくりと擦る。
香織は両親が大好きだったんだ。たとえ育ててもらえなくなっても、美しい過去の記憶を胸に両親との再会を心から願っていた。彼女はきっと優しすぎて憎むことすらできなかったんだ。
今度は私が香織を守ってあげる番だ。あふれ出る涙とともに私も香織を強く抱きしめる。初夏の風が吹いて、どこかでヒマワリの芽が顔を出している予感がした。




