第43話 客人訪問
1週間か、1ヶ月か……あるいはもっと長い時間が経ったのか。この結界で流れる時間はどうにも分かりづらかった。
「ぐ……ぐぐ……!」
「おっ!」
やっと、やっと一歩、オレは前に踏み出した。今にも潰れそうな脚を両手で支え、唾液と血液の混ざった液体を吐き出しながらゆっくり、けれど確実に立ち上がった。
「ここは楽園、その名の通り外界とは効率がまるで違う。が、よくやった。さぁ、少し緩めてやるから、斬りかかってみなさい」
「ッ……!」
まるで羽が生えたように、身体がフワリと軽くなった。これなら……充分に動ける!
焼けるように肺が苦しい。身体が痛い。でも動ける。
一太刀……今はただそれだけでいい。
「“叢雲剣”……」
渦巻く魔力を全て八雲に流し込む。白く発光した刃が師匠を捉える。斬る。躊躇わず、殺すつもりで……。
「『天翔暴風』!」
魔力は、太刀筋は空間を巻き込んで、捻りながら刀を振った。
本来、セリアとの天現融合があっての技だが、自分でも驚くほどの完成度だった。炎を纏わずとも空気を焼き切り、空間を無視して無限の果てまで刃が届く。
「くッ……!」
ただ師匠には届かない。相変わらず一歩も動かす、ただ立ち尽くしている。魔力の壁か、あるいは魔素の壁か……オレの魔力ですら壊せないほどの圧縮率……。
限界を迎えたオレの身体が、脚から順に崩れ落ちた。意識がぼやける。呼吸さえ難しい。
「おっと、限界か。よくやったよ。本当に……。もっと時間がかかるもんだと……」
遠のく意識の向こう側で師匠の声がした。……気がする。けれどもう保てない。死ぬとはこのことだろうと思えるほど、全ての気力を消費してしまった。だが大丈夫、師匠がいるから……。
***
「……ッ!?」
気づくとベッドの上に横たわっていた。あれから……あれからどれだけの時間が経ったんだ? 筋肉が痛い……が、動けないこともない。
窓の外に視線を移した。あぁ、もうすぐ朝か。薄い光が山の向こうに微かに見える。そうか、2日か3日か……寝続けてたんだろうな。
「くっ……うぁあ……」
背筋を伸ばすと気持ちいい痛みが走った。背筋と、腹筋と……四肢の筋肉が傷ついてるかな。苦しい修行だ。それでちゃんと、成長を感じるのが嫌なところだ。
「おはよー……ございます……?」
階下に降りると、昨日の残りか、少しばかりのスープがあるだけで、あとはただ静寂だった。そっか。そういえば師匠は朝に弱いんだったか。
何かと早朝から起きていることも多かったが、あれは徹夜しているときだけだとか……。老体に響くだろうに、そう思いながらスープを椀によそった。
「んん……美味いな」
師匠は飯屋を営んでいただけあって、料理の腕は本当に素晴らしいものだった。そこらのレストランや料亭よりはずっと美味い。長く生きているからなのか、それ以外の理由もあるのか……。
コンコン……
片付けのために腰を上げたその瞬間、扉を叩く音がした。ふと視線を師匠の部屋にやった。あの人の魔力は感じることができないから、確証はない。が、気配は確かにそこにある。
誰だ……? 普段の師匠の雰囲気からするに、知り合いがいるとはなかなか思えなかった。そしてここは迷って入るような場所でもない。ということは、明確にこの場を訪ねてきた存在……。
「エス……ん? あぁ、いや、アリスはいるか?」
若い女の声……師匠の知り合いか。考えたのが無駄だったろうか、少なくとも敵対者の声ではない。
「師匠はまだ寝てますが……今行きます。少し待っててください」
食器を片付け、身だしなみを簡単に整えてからドアノブに手をかけた。扉を開けかけてふと違和感に襲われた。師匠の知り合いが……いるのか、と。あれだけ悲壮感漂っていたあの人の知り合い、まず只者ではないだろう。
「おや、師匠とは。アイツも珍しいことをしたもんだな」
「ッ……!」
彼女に顔を覗かれた瞬間、言い得ない圧迫感がやってきた。ただ者ではないと、確かにそう思っていた。しかし目の前のこの女は……師匠やアルファと同程度の……いや、それとは全く異なる種類の恐ろしさがあった。
「……ん? あぁ、なるほど。おかしな話だとは思ったが、君、グランデュースか」
「……? 何か知ってるんですか……?」
「さぁ、どうだか」
彼女はやれやれといった素振りで、そして堂々と家に入ってきた。オレにはそれを止めることができない。気になることと、聞きたいこととあり、そしてオレは彼女を止められるだけの力がなかったから。
「えっと……お客さんってことでいいんすかね? 名前を聞いても?」
「ん? 私はケイラだ。あんま口外しないでくれな」
ケイラさんか。見た目は綺麗なのに、その底知れない異質な魔力がオレの心を震わせる。何者だと、聞きたいけれど聞けない。
「——さんは……ッ!?」
“ケイラさん”、そう言おうとして、オレの声が遮断された。なぜだ? 何者かが近くにいるのかと勘繰ったけれど、そんなことはない。そんな小さな力じゃない何かが……。
「はっはっ! そうかそうか、君にゃ無理だったか。そうだな……うーん……よし。コンと呼べ」
「……あ、あなたは一体……」
「ん〜……おいおい、なんかうるさい魔力が来てると思ったら……。事前に言ってくれんかね、ケイラ」
「旧友に酷い言いようじゃないか。もっと感動してくれよ」
階段を降りてやってきた師匠の顔は、眠そうで、それでいて少し輝きのある目だった。




