第25話 懐かしい気配
気づくとオレは牢の中にいた。腕と足が鎖で壁に繋がれており、隣にもその隣にも同じように拘束された人達が無限にいた。なぜ拘束されているのか、なぜ牢に入れられているのか、理解はできなかったが、牢の外にはオレ達の主人がいた。最初は顔も、何をしているのかも見えなかったが、彼女が振り返ると全てが見えた。
主人はルーシュの顔をしていた。そしてルーシュは机の上で男を解体していた。男は苦しい悲鳴を上げていたが、次第にその声はなくなっていった。ルーシュは顔に血飛沫を飛ばしながら、不気味に笑っていた。
出される食事は生ゴミ同然のものだった。銀皿に装われた餌のようなものを、オレ達は犬のように食べた。中には腐った食材もあり、とても食えたものではなかったが、生きるためには食うしかなかった。オレ達は奴隷なんだ。いつでも壊すことのできる彼女の所有物。恐ろしかった。オレは心から震えた。死ぬことが怖かったのか?違う。壊されることが怖かったのか?それも違う。もうすでに壊れていることが怖かったのだ。
この世界は異常だった。現れる人達全てがオレと関わりのあった人達だが、その全てが実際の者とは性格や立場が一切異なっていた。首を鎖で繋がれ、四足歩行でルーシュを背中に乗せながら歩いていると、街の人達はオレを気にすることはなく、空は闇に包まれていた。これが夢か幻か、とにかく非現実のものだということはすぐに理解した。しかし、オレの頭はどうしてか現実だと認識していた。夢だと分かっているのに、夢だと割り切ることができない。この苦しみを理解してくれる人はいるだろうか?
しばらくするとルーシュは何人も、何十人も奴隷となった者達を殺していた。オレはお気に入りだったのか殺されることはなかったが、もう普通には生きていけないほどの傷ができていた。左腕は猛獣の餌となり、右脚は海獣と競走させられた際に失い、右腕は実験のために溶けてなくなった。全身に焼印を入れられ、ルーシュが退屈しているときはただ無意味に鞭で打たれていた。毎日一度だけ与えられる餌にも抵抗がなくなり、そのときにはもう感情の起伏もなくなっていた。ただ主を怒らせないように、罰を受けるときもただ大人しく。この世界が夢なのか現実なのか、オレには分からなくなっていた。考える力さえもなくしていた。
どうしてルーシュに反抗しようとしなかったのか。こんなことをするなら彼女はルーシュではないと分かっているはずなのに。それは彼女が楽しそうだったからだ。どんなに道を外れていようとも、彼女が幸せそうだったためにオレはそれを止めることができなかったのだ。止めようとすら思えなかったのだ。
どれくらいの時が経ったのだろうか。それはある日のことだった。首を鎖に繋がれたまま歩いていると、ルーシュは道を歩いている少女を手にかけようとした。少女は何の特徴もない、顔すらよく見えない子だった。しかしなぜだろうか。それだけは許せなかった。オレはないはずの手でどこからか刀を取り出し、それでルーシュの首を落とした。今まで奴隷達がどれだけ殺されようが沈黙を貫いてきたのに、なぜ今、ルーシュを殺すことにしたのか。それはたぶん、殺されそうだった少女にほんの少し、ルーシュの影を見たからだ。そのためにオレはルーシュを殺してしまった。
後悔はしていない。だが無限の喪失感がオレを襲った。今までの時間は何だったのか。何のために耐えてきたのか。………ルーシュのためだったハズなのに、そのルーシュをオレが殺してしまった。もはやオレが生きている理由がここにはなかった。オレはルーシュを斬った刀で、自分の心臓を貫いた。
闇の中から目を覚ますと、オレは知らない場所にいた。オレは今まで何をしていた……?考えていると、身体が自由に動かないことに気づいた。オレは腕と足を鎖で繋がれ、牢の中に入れられていた。牢の外に見えたのは、確かにルーシュの姿だった。
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男は最高傑作だった。生まれたときは、それ以降の者達の誕生時よりもずっと弱小であったが、ものの数年で最強と呼ばれる存在になった。なぜそれほど強くなったのか、それは彼が特別だったからだ。ならばなぜ、彼だけが特別だったのか。それは彼の誕生が他の者のそれとは大きく異なっていたからだ。
ーーベータ、聞こえますか?
ーー!?アンタから連絡が来るたぁ珍しいこともあったもんだ。どうかしやしたか?
ーーNo.6が殺されました。対処は私の方でしておきましたが……。
ーー死体は?
ーー残ってませんね。
ーーそれじゃあ弔いもできやしねぇな。勝てねぇ相手なら逃げろといつも言ってるというのに……。
ーー彼にも彼なりの道があったんでしょう。そう言ってやらんでください。ルシファーには私から伝えておきますから。
ーー王はまた悲しまれるな。……ところでNo.6を殺したというのは?
ーーグランデュースです。サンダーグラスもすぐ近くにいましたが、戦っていたのはまず間違いなくグランデュースの方でしょう。
ーー前は混沌竜に辛うじて勝てる程度だったと記憶してやすが……恐ろしい成長でござんすね。………アンタもしかして、『月鏡を使いやしたか?
ーーそうですね。10秒ほど目を合わせてたので……100回ほど繰り返してるんじゃないですかね?なかなか精神の強い少年でしたよ。
ーーそりゃあまた……同情しやすよ。最大級の恐怖と苦痛を幻を介して繰り返し体験する術……廃人になっちまうんじゃ死ぬよりはマシでしょうが……。王の準備にまた時間がかかっちまうんじゃねぇですかい?
ーーまぁなんとかなるでしょう。ガンマとデルタ、それとエプシロンは元気にしてますか?
ーーええ。何か伝えておきやしょうか?
ーー予感でしかありませんが、近いうちに動く必要がありそうです。備えておけというのも変な話ではありますが、まぁいつでも動けるようにしておいてくださいと。
ーー了解しやした。それにしてもアンタ、何やら楽しそうでござんすな。何かあったんで?
ーーいやぁ……何か懐かしいものに触れた気がしましてね。
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「ッハァ!……ハァ……ハァ……。………?」
目を覚ますと、オレは宿のベッドに横たわっていた。服が汗のせいで酷く濡れており、呼吸も異常なほどに荒れていた。なぜこれほど取り乱しているのか……。
「起きたか。だいぶうなされていたようだけど、どこか痛むのか?」
「ッ!ハァ……ハァ……。いや……どこも大して痛まねぇ。………何時間寝てた?」
「30分程度かな。そんなに眠っちゃいなかったよ。」
「30分?……そんな程度だったのか……。」
「俺は部屋の外にいよう。君も自分で状況を確認したいだろう。何かあれば扉の外にいるから呼んでくれ。それと寒かったら上着でも羽織っておくといい。」
「?ああ、ありがとう。」
ジンリューは分厚めの上着を残して部屋の外に出ていった。最初はよく分からなかったが、改めて自分の腕を見てみると小刻みに震えていた。よく分からないが、何かが心臓に絡まっているような気分だった。何に震えているのだろう。何かに恐怖でもしているのか……?恐怖はしているのかもしれないが、それだけでもなさそうだ。単純なものではない。しかし心当たりが一切ない。なんだ?何をされた?
「セリア、何か分かるか?オレが寝ている間に何があった?」
オレが話しかけると、セリアは幽体化を解除して隣に座った。オレには何も分からないが、セリアなら分かるかもしれない。オレに起こったことと、あの仮面の男について。
「具体的には分からないけど、何かしらの幻術にかけられてたみたい。こっちから解くことはできなかったから君が自力で解除したか何かしら解除される条件を達成したんだと思うけど……。何も覚えてない?」
「……分からない。記憶には何も残ってない……。」
「だとしたら自立で解除したわけじゃないか。覚えてないなら得られる情報もなかなかないかな。どこか違和感はない?」
「違和感は……あるけど……。」
オレの精神が何かおかしくなっているような気がする。さっきジンリューと目を合わせたときも、今セリアを見たときも、なぜか心の奥で酷く恐怖していた。背中が冷たくなり、何かトラウマのようなものを感じた。しかしそれが何なのかが分からない。何に怯えているのかが分からないのに、怯えずにはいられない。精神が、魂がそうなってしまっているのだ。
「寝る前の記憶がまるで何年も何十年も昔のものみたいだ。……仮面の男は一体何者なんだ?」
「それも分かんない……けど、アレは強さは人間のものというよりも天災の類いだよ。実力は個人のものではあるけど、正直私とかベルドット君の力じゃ足元にも及ばないよ。何者かって聞かれると何とも言い難いけどあの感じ……。」
「あの感じ?」
「ちょっとだけエストに似てたんだよね。雰囲気というかなんというか……絶対にエストではないんだけどね。」
「……子孫とか?」
「いや、そういう感じでもないんだよね……。そもそも子供なんていないし。まぁ気のせいかもしれないんだけど……。」
仮面の男は今まで会った誰と比較しても別格の存在だ。No.6はナンバーズには序列はないと言っていたが、“番外”は違うとも言っていた。恐らくはアレがその“番外”というものだろう。つまり、正直アレほど強い者がそう何人もいるとは考えたくないが、同格として扱われている者が他に何人かいるということだ。……あの異常性を感じた以上、その数は何としても調べなければならない。……それも歴史の破壊者と遭遇しないには始まらないな。
「参ったな………。問題は山積みか……。でも個人的なもので言えばもっと問題があるんだよな……。」
「身体の不調でも?」
「……身体っていうか精神の方が不調なのは否定できないけど、そうじゃなくてさ。今回ってなかなか良い戦いだったと思うんだよ。でも魔力が全然増えてないんだよな……。ずっと五星級のままだよ。」
「………言われてみればそれもそうね。まぁ六星級以上にはなかなか上がりづらいとは聞くけど……。」
「それにしてもだよ。……もっと追い込まなきゃいけないかな……。」
「…………何にしても今はゆっくり休んでなさい。ミラったら今死んだような目をしてるもの。」
「……それもそうだな。」
オレは毛布を深く被って寝転がった。しばらくするとカミュール達が帰ってきた。すぐにオレの心配をしに部屋に入ってきたが、そのときもまた、オレは正体の分からぬ何かに怯えていた。それが何なのかが分からない、分からないことにさえ恐怖していそうだ。
「しかしお前が気を失うほど戦ってたとはなぁ……。どこをほっつき歩いてたんだ?」
「ん?いやぁ……まぁボチボチな。お前らは土産でも買ってたのか?」
「ああ。ジンリューさんに帰されちまったからな。明日も迷宮に入る予定ではあったんだが……この様子じゃ見送りになりそうだな。」
「悪いね。身体の方は平気なんだが……どーも何かがおかしくて……。」
「気にするな。ずいぶんと疲れた顔をしているからな。ゆっくり休め。私達だって街の観光は嫌いじゃない。」
「………ありがとう。」
それからは翌日のことについて調整をし、オレの傷に響かせないようにとそそくさと部屋を出ていった。リアンに至っては迷宮に入らなくて済むことに安堵しているように見えたが、それでもみんなに気を遣わせてしまったかもしれない。多少は仕方なかったとは言え、流石に悪かったかな。




