第20話 甘味は正義
迷宮に一歩足を踏み入れると、たったその一瞬で空気が変わったことに気がついた。迷宮はどこまでも無機質な見た目でありながら、どこからか生き物の腐った匂いがしている。そりゃ掃除屋がいなかったらこうもなるか。辛うじて壁の隅に生えている苔が空気を浄化しているようだが、それでもどんよりとした空気であることには違いない。それでも何か……ロマンとでも言うべきか、この空間には人を惹きつけるものがあった。
「魔物と遭遇する前に言っておくが、俺は今回基本的には手を貸さないからね。命の危機になれば助けるが、それ以外は君達で対処してくれ。そして全員ある程度固まって動くように。」
「本当に…ホントに!命の危機には助けてくださいね!」
「あ、オレもあんまり積極的には手を出さないから。」
「君は手を出せよ!!ポッケにでも入れておくつもりか!?転んじゃうからな!!」
「いやいや、そうじゃなくて。オレはちょっと魔物に対して強すぎるから。オレだって好きで来てるわけだからある程度やりたいけどさ、オレが出ちゃうと一階層や二階層にいるような魔物は殲滅しちゃうから。」
混沌や混沌竜は肉体を持っていたから戦いになっていたけれど、普通の魔物はただの魔素の塊だ。オレの魔力にほんの少しでも触れてしまえばたちまちその身体を失ってしまうから、みんなの狩りのためにもオレはそんなに出るべきじゃない。
「そうか!そりゃ優しい配慮だな!でも僕はそんな配慮要らないと思うな!!」
「さて、まず陣形を決めるか。前衛はカミュールとリアン、後衛がラルヴァとヴァンルージかな。一番後ろがヴァンルージだ。」
「………そんなの決める必要あるか?片っ端から片していけばいいじゃねぇか。」
「決めといた方がいいだろ。まぁ強い魔物が出ない以上みんなの好きにしてくれてもいいんだけど。」
「じゃあ僕!僕が後衛やります!!」
「お前は前で戦いたくないだけだろ。お前が後ろに行って何ができるんだ。」
泣き言を言うリアンをなんとか説得し、いよいよ迷宮の奥へと進んでいった。この迷宮は迷層型だ。通路が入り組んでいて下層に進むための本道に合流しなければ狭く進みづらい。大量の魔物に遭遇したら押し潰される可能性もあるが、少量の魔物と戦うためには利用できる。
そもそも迷宮が作られた当初はこのような小道はなかった。迷宮がもはや生物、つまり巨大な魔物のような存在になったために、構造は常に変化し動いている。困ったときは壁を壊して突き進めばいいし、壊れたとしても数時間もすればすぐに直る。問題は床、及び天井はよほどの力でなければ破壊することはできないことだ。本道を見つけない限りは二階層に進むことはできない。
もしも迷宮で遭難しようものなら待っているのは死だろうが、浅層はそこまで広くないし、壁も薄いから死ぬようなことにはならない。魔物もそう強いものはいないため殺されることもない。しかしなんだろうな……この違和感は……。
「さっきから何を観察しているんだ?」
「うーん……。魔力の残滓っていうのかな?この壁にこびりついてるの。一階層の魔物のものとは違う気がするんだよなぁ……。」
「?……何を見て言っているのかは分からないが、魔物じゃないなら誰かの魔法なんじゃないか?」
ジンリューは壁にくっついてる魔力を見られないのか?オレはセリアと特訓してたからその辺の感知能力も鍛えられたのかな。混沌人やその辺りの魔力と似てはいるけど……どこか違うような魔力が迷宮の壁に残っていた。一階層で出るような魔物であれば、こんな不吉な感じはしない。魔法の跡だとしてもそうだ。こんな階層でこんな魔力が残るような魔法を使うわけがない。
「まぁいいか。とりあえず本道を探そうか。ほんの少し感じる魔力の流れからするに……たぶんあっちの方だと思うけど。」
そう言ってオレは左前方を指差した。壁で見ることはできないけれど、確かに抜けた空間がある気がする。少し前までは確実にこんなこと分からなかったんだが……セリアの感覚が多少なりとも共有でもされているのか。
「えっ!?行くの!?今日二階層行くの!?」
「そりゃあな。まぁそれより先にボスがお出ましのようだが。」
オレは剣を抜いて壁を見た。少し魔力を放出するだけで周辺の弱い魔物は姿を消した。これでも気配がなくならないということは、間違いなくこの層を徘徊しているボス、D級のミノタウロスだろう。両手で剣の柄を握り、セリアの魔力を借りて思いっきり振りかぶった。
「ボス!?っていうか穴でも開けんの!?」
「耳でも塞いどけ……『嵐闘』!!」
「マジでやんのかよ!!」
オレが剣を振って壁を削り斬ると、迷宮全体が振動した。そしてその先には本道と思われる大きな道があった。近くにいる大きな影がミノタウロスだろう。
「アレ、誰がやる?私がやってもいいけど……。」
「リアン君にやらせてあげたら?」
「なんで僕!?ミルアルト君!なんでついでに倒しておいてくれなかったんだよ!」
「アレはD級だぞ?お前が苦戦するような相手でもねぇだろ。ま、お前ができねぇってんなら俺が片付けてやっても構わねぇが。」
「!?……僕だってできるよ!見とけよ!」
どこから不安が湧いてきてどこから自信が湧いているのか……。理解はし難いけれど、リアンがやる気を出したので問題ないだろう。彼は固有の“加速”魔法で風魔法を異常な速度で飛ばし、ミノタウロスの首を斬り裂いた。数十メートルは離れているというのに、瞬きをする間もなく魔法は届いていた。音よりも速く飛んだ風の斬撃……アレはオレでも避けられる自信がない。
「なんだお前、遠距離攻撃もできたのか。」
「僕の能力は魔法系だから重ねがけできるんだ。消耗が凄いからあんまり使いたくないけど。」
「ならミノタウロスなんかに使うなよ。“加速”して首を直接斬ればよかったじゃんか。」
「万が一にも反撃されたら僕死んじゃうよ!そんな危険を冒すわけがないじゃないか!!」
「いや、死なないでしょ。」
今までリアンは身体強化の要領で自身を“加速”の能力で速度の底上げをし、風魔法で作った不可視の剣で戦っていた。剣術自体はオレやカミュールと比べれば粗末なものだったが、その圧倒的な速度で翻弄する様は見事なものだった。加えて遠隔かつ高速の攻撃まで使えるとなると……真面目にやればオレよりも強ぇんじゃねぇのか?
「まぁとりあえず二階層に進むか。」
「しかしアレだなぁ!約束だから仕方ねぇとはいえ、全然手応えがねぇな!」
「油断はしない方がいいぞ、ラルヴァ君。そういう人達から殺されていくのだから。」
二階層に降りると、そこは一階層とは異なった雰囲気だった。一階層は完全に人工の建造物のようだったが、ここは天然の洞窟のようだった。元からこのようなものだったのか、それとも迷宮化した結果のものなのかは分からないが、とにかく一階層とは見た目も空気感も全く異なっていた。
「なんか……なんかあるか?」
「そうだな。君達、気を張れ。君達が欲しがっていた“デカいの”が来るぞ。」
「何!?デカいのって何!?僕何も欲しがってないんだけど!!」
ジンリューの一言で、全員が前を向いた。リアンを除いて全員が飢えた獣のような鋭い眼光で洞窟の奥を覗いた。三階層以下に行くことは許されていないが、そこに匹敵する魔物が自ら来てくれたのだとしたら、それと戦うことは禁止されていない。
少し待つと、ブラッドボアと吸血コウモリの大群が押し寄せてきた。あれらは全てD級の上位、総合的な厄介さでいえばB級にも劣らないだろう。空中を舞うコウモリはヴァンルージとラルヴァ、リアンが引き受け、猪の方をオレとカミュールで狩っていった。後退と前進を繰り返し、少しずつ魔物の数を減らしていった。ヴァンルージは銃で的確に脳天を撃ち抜いており、手が空いた瞬間に猪の方の討伐も手伝ってくれていた。
十分ほどだろうか。少しすると魔物の群れは全滅していた。アレらは最低でも四階層でないと出ないはずだ。魔素が薄く環境も異なる二階層にわざわざ出てくるなんてことはそうそうない。あるとすればアレらが恐怖するような何かが現れたか、あるいは何者かが誘導したか、だ。だが気にすべき点はそこではない……。
「………今日は引き上げよう。これだけ狩れば金もそこそこできる。」
「早くないか?せっかく二階層に入ったばかりだというのに。」
「僕は賛成だな!!」
「君がそう言うのならボクも従うけど……何か理由が?」
「………いや、少し嫌な予感がするというだけだ。外で確認したいこともあるしな。」
そうしてオレ達は迷宮を出た。ラルヴァはもう少しいたかったようだが、なんとか説得することができた。別に急ぐ必要はないのだけれど、わざわざゆっくりしている必要もない。ギルドで魔石を換金した後、予約していた宿に帰った。
これからは自由行動のためみんなは近くの店や武器屋に向かったようだが、オレは一人で街の外れまでやってきた。活気に満ちていた迷宮周辺とは違い、ここはどこか寂れた雰囲気だった。野良猫が歩き回り、一際目立った大きな建物からは、子供達の声が聞こえた。孤児院のようだ。裕福ではないようだが、一部の冒険者の支えのおかげでお金に困っているわけでもないらしい。その近くにオレの探していた人物は現れ、すぐに近づいて逃げられないようにその腕を掴んだ。
「おっと、いつかのセンパイじゃないか。良かった。ちょうどアンタを探してたんだよ。」
「なッ……!!お前は!!」
ロイドという飲んだくれの青年だ。といっても今は酒の匂いも弱いし、瓢箪を持っているわけでもなさそうだ。どうやらいつでも酒を飲んでいるというわけでもないらしい。
「どうだ、近くのカフェでお茶でもしないか?オレはアンタに聞きたいことがあるが、アンタもオレに話すべきことがあるだろ?」
「………分かった。近くに人気の少ない喫茶店がある。……テラス席なら話をしていても店員にも聞かれないはずだ。」
「じゃあ案内頼むよ。」
オレはロイドの後ろについていった。街はさらに静かになり、そんな住宅街にある一つの看板が目に入った。掃除をしていないのか、蔦の生えた看板に、店の扉は錆びついていた。窓は霞んでいるせいで中は見えないが、それゆえに話が人に聞かれるという可能性も考えずに済んだ。扉は軋む音とともに開き、内装は外観からは想像がつかないほど整っており、清潔だった。そして店主と思しき人物は若い女性の人間………いや、エルフか?エルフにしては耳の形が人間寄りではあるが、ハーフエルフというものだろうか。
「あら、いらっしゃい。ロイド君と……見ない顔ね?」
「観光客みたいなもんなんで……。コーヒーを一つと紅茶を一つ、ショートケーキも一つお願いします。………ところでなんでこんな外観にしてるんですか?」
「先生がこういう雰囲気の店をやっていてね。テラス席に持っていけばいいかな?」
「いや、彼とは話があるから先に受け取る。」
「そうか。それなら少し待ってておくれ。」
少し待ち、店主の淹れてくれた飲み物とケーキを受け取ってロイドと共にテラス席へと向かった。コーヒーはロイドに渡して紅茶を一口飲んでからケーキを一口食べた。どっちも良い味だ。
「……話をするんじゃなかったのか?」
「甘味は正義だぞ。カフェに来てケーキを食べないなんてバカだろ。」
「カフェってのはコーヒー店だぞ。」
「何が悲しくて苦いもんを飲まなきゃいけないんだよ。」
コーヒーの苦さは気に入らないが、紅茶の適度な苦さはケーキによく合う。コーヒーはダメだ。コーヒーは砂糖とミルクを入れてやっと飲み物になる。
「まぁ食べながら話を順に聞こうか。魔物の群れをオレ達にぶつけたのは、アンタだな?」
オレは単刀直入に尋ねた。ロイドはどう答えようか迷っていたのか、少しの沈黙が続いた。しかし隠し通すことができないと理解していたのだろう。言い訳もせずに彼はただ一言、“ああ”と答えた。




